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シャラン、シャラン。
霧の中の人影から音がする。長い杖の先には輪があり、その輪に6つ程の輪がついている。
万力の杖。それを持つ者は…――

 砂漠ではないが乾燥した暑い国。シュークオ。
 ざわざわとにぎやかな店通り、チェン。ここにはいろいろなモノがある。食料、雑貨、――そして人間。

「魚、安いよ!」
「新鮮な果物はいかが?」
 色々な声がそこを行き交い、活気が溢れる。その時、

「…いやぁっ」

 女の声が店通りを響き渡った。 
「離して、離して下さい! その手を離してっ」
 気の弱そうな目と、背中の半分はおおう黒い髪。『美人』の部類にはいりそうな女だ。

「そんなに騒ぐなって。何もとって食おうとしてる訳じゃないんだから」
 2Mはあろうと思われる身長、腕も、彼女の足より太い。
 軍人である証の腕章をつけた男は昼間から酔っているのか赤ら顔で続けた。
「なぁ? 俺と一緒に来いよ…」

「か、カモリナをは、離せっ!」
 つまり気味の声で男の手を掴んだのは栗色の髪と緑色の瞳の青年。しかし彼の腕は、男の腕より細く思われる…いや、細い。
「…やろうってのか?」
「エンテ、やめてっ」
 彼女は明らかに青ざめている。周りは、見て見ぬ振り。活気は、少し下がったが。

 男の瞳は輝いていた。…まるでほしいものを見つけた子供のように。
「売られた喧嘩は買う主義なんだ。…楽しませてくれよ?」
 くれ、あたりでもう、拳はエンテと呼ばれた青年の腹に収まっていた。

「く…っ」
 息をつまらせたエンテは倒れたまま起き上がらない。
「さあ、邪魔者は消えた」
 男はのどの奥でくくくと笑う。そして、彼女の腕をぐい、とひっぱり
「行くぞ?」
 答えはただ一つ…。否は、ゆるされない。いや、できない。
 彼女はそう、確信していた。その時…

「お、じさん。おねぇさん、嫌がってるでしょ? 手、離してやれよ」

 声が響いた。変声期の過ぎていない、ボーイソプラノだ。
「おじさん、だと…?」
 男の反応に、声をかけてきた存在は笑う。
 柔らかそうな髪を無造作にまとめて、肌は健康的な小麦色。簡単な作りの服からは足がすらりとのびていて、全体のバランスが良い。
 瞳と髪は琥珀色ともいうのであろうか? 淡い色をしている。目や鼻の配置も良く、文句なしの美少年だった。
 その少年はところどころに宝石がついていて、輪の付いている杖を持っている。
 『おじさん』とよばれた男は、明らかに怒っていた。
 カモリナは少年を止めようとしていた。やめなさい、と。しかし、できなかった。
 男の怒りを触れている腕で感じ、恐怖で声が出なかった。
 やめなさい。彼女の唇はそう動いた。少年には、届いているはずだ。だが少年は一向に動こうとしない。それどころか、その男をまた挑発する。

「そ。あんた、耳遠いの?」
 こんなことも聞き返すなんてやっぱり年なんじゃない? と、少年はとろけるような笑みで言った。少年が動くたびに手に握っている杖が『シャラン、シャラン』と軽やかに音をたてる。
「…このくそがきぃっ!!」
 言うが早いか、男はすでに少年に向かって大きく腕を伸ばした。
 そろそろ手応えがあるはず。そして、今頃少年は恐怖に顔を引きつらせ、固っている、男は半ばそれを確信していた。

「遅い」

 上からの突然の声。男は顔を反射的に上に向けた。
 遅いだと…? ふざけるな、と思いながら。その瞬間…

「うをぅっ」

 響いたのは少年の声ではなく、男の声だった。
「おじさぁん、やっぱ年だよ。無理は体によくないぞ?」
「う、うるせぇっ」
 ガバリと起き上がる。だが…。
 どかっ どさっ
 なにかの倒れた音がする。

「ふん。準備運動にもなりゃしない」

 少年は冗談のようにつぶやいた。――瞳には、鋭いものが潜んでいる。
 男は倒れたまま動かなかった。

「ありがとう、ありがとうございますっ!!」
 カモリナは言いながら、男の拳をくらった幼馴染みに触れる。
 目は開いてないが、呼吸はしている。カモリナはほっとした。
「あ、おねぇさん」
 くるりと振り向いた『少年』の顔、体つきを見ておねぇさん、ことカモリナは驚いた。
 大きな瞳、細い肩。――体に凹凸こそないものの。
「あなた、女の子?!」
「ん? 女じゃいけない?」
 だが笑い方が…。
 男、とも取れる。
「男…の子?」
「男だったら、おねぇさん、困る?」
 カモリナの言葉に少年――少女?――はくすくすと笑いをこぼす。
「もう、どっちなのよ?」
「そんな事どうだってよくない? わたしはわたしなのだから。男とか、女とか。そんな事関係ないと思うから」
 わたしと言ったところをみると女か。
「あっと。お礼させてくださいな」
 そうは言ってもあまり大したことはできないけれど。
「じゃぁ」
 にっこりと笑った。さっきの少し意地悪そうな笑いではなく、とても優しそうな笑みだった。

「何かおごって」

「え?」
 何かって…。
 カモリナは少々戸惑う。あまり高いものは買えない。
 高級料理だったらどうしよう…。だがカモリナの心配をよそに返ってきた答えは予想外のものだった。
「あ、わたし、甘いものが食べたいなぁ」
 果物とかでもいいよ。ここ、何でもそろっているんでしょ? と続ける。
 その言葉に何にしよう? とカモリナは思案する。
(あれそう言えばこの子の名前は何というのかしら)
 カモリナは思ったことを唇にのせた。
「そういえばあなたの名前は?」
「知らない」
「え?」
 知らない? ――それは一体どういうことだろう?
「なぁんてね」
 言いながら、また笑う。よく笑う子だなぁ、などとカモリナは一人思った。
 だが、気のせいだったろうか。さっき『知らない』と言ったとき、瞳の色が陰ったような気がしたのは。
「わたしの名はオーフォ。職業は旅芸人っ」
「旅芸人?」
 オーフォの答えにどんな芸をやっているのだろう? とカモリナは色々と考えた。
 いろいろな考えが頭の中をグルグルしている時、カモリナは声をかけられた。
「カモリナ…」
「エンテ」
 起き上がったエンテはオーフォを一度だけ見るとふいっと視線を背けた。
「カモリナ、助けられなくてごめんよ」
「ううん。いいのよ。あたしはあの行動に移してくれたことが嬉しかったわ」

「お二人さんは恋人同士?」

 オーフォが突然二人の間に割り込む。
「ち、ち、ち、ち、ち」
「言葉はきちんと喋ろうよ」
 からかい半分に言葉を発する。また、笑っている。
「おねぇさん、おごってもらうのあとでいいや。その代わり、夕方ここにまた来てね!」
 じゃぁ、またね! オーフォは杖を片手に人混みの中にまぎれていく。
「ちょ…オーフォっ」
「絶対だよー!!」
 声は聞こえたが姿は見えなかった。杖に付いている飾りのシャラシャラという音は聞こえたがオーフォの姿は完全に見えない。
「まぁ、夕方またここに来ますか」
「ぼ、ぼくも付いて行く!」
 カモリナの呟きにエンテがそう言った。


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