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 シャラン シャラン
 雨の中、濡れるのも構わず歩く人影があった。
 シャラン シャラン
 シトシトと降る雨の音に混じり、涼やかな、金属の擦れ合う音がする。
 シャラン シャラン
 音の正体は杖、だった。長い杖の先には輪があり、その輪に6つ程の輪がついている。

万力の杖。それを持つ者は――精霊を従わせることができるという。
そして精霊を従わせることができるのは――。
精霊が選んだ者。
そして…

「………さ、む、い……」

 ぐーぅ、きゅるるるるる…。
「腹減った……」
 こんな所で死ぬのか、自分は。
「……ね、む、い……」
 どんどんと意識が遠のいていく。

(ああ…もう、ダメかも…)
 そう考えて、目を閉じた瞬間に音がした。
 シャラン
 それは、涼やかな音。その音が、近づいてくる。
 その音の正体を知ろうと、目を開こうと…した。だが。
(ああああーっ。瞼が重いーっ。開けられないーっ)
 シャラン シャラン シャラ…
 音が、止まった。

「……死んでるのか?」

 涼やかな音とは違う。声、だ。
 やっとの事でゆっくりと重い瞼を開ける。
 成功。向こうから見れば開いてないに等しいであろうが、彼にはその声の正体が見えた。

「生きてる、な。どうした? 迷ったか?」
 だが、とその者は続けた。
「私だってこの辺の者じゃない。詳しい場所とかは知らんぞ」
 彼…ユーダ=グラースは、瞼を開くよりは簡単に、声を絞り出した。

「……腹……減った……」

「――…」
 しばしの、間。
「食いたけりゃ、約束しな」
 そう言って、声の正体…ヨガネス=オーフォはニッと、猫のように目を細めて、笑った。

「ちゃんとおごり返すってな」

 そうして、この先にある町に駆け出す。
 町の名を『シューリョウ』といった。
 シューリョウは山に囲まれた、大きいとは言い難い町だ。
 しかし『山間に唯一ある町』とも言える場所にあり、なかなか栄えてもいる。
 そんな町外れ松の木の下、2人の人間がいた。

「もぉぉぉぉ本当にありがとうございますぅぅぅぅ」
 深々と頭を下げながら、彼、もといユーダは言った。
「おかげで死ぬことを間逃れましたよー。いやー、本当に、まったく」
 ユーダは何度も何度も頭を下げながら、言う。
 このユーダという男、糸目だ。
 はっきり言って『本当にこっちが見えてるのか?』という具合である。
 肌は白く、手足は細長い。髪の色は漆黒よりも黒、という具合に真っ黒で、もとから白い肌を更にそう見せる。『もやしっ子』といえそうだ。
 もう一方の、ユーダの横に腰を落ち着けているオーフォは日に焼けたような小麦色の肌。手足の長さのせいか全体のバランスが良く、瞳と髪は琥珀色とでもいうのであろうか? 目や鼻の配置も良くどのように見ても、文句なしの『美少年』である。 この二人の容姿は正反対と言っても過言ではなかった。
「ええとオーフォさん、でしたよね」
「ん、そだよ」
 一番近くの店で飲み物とサンドウィッチを買ってきたオーフォ。
 …いつもだったら見知らぬ人間がぶっ倒れていようと助けを求めていようとも、気にしないのだ。
 だがオーフォが助ける――手をさしのべてやろうとする人間には一つの共通点がある。髪、瞳。両方だと更に、なのだが一方でもその色が『黒』であることがその条件だ。
 ユーダの髪は黒。故に彼はオーフォに手をさしのべられたのである。

「失礼かもしれませんけど、ご職業は?」
「職業? ああ」
 オーフォは背負うようにして持つカバンに手を掛けながら、言った。
「一応、芸人。舞をやるんだ」
「舞、ですか」
 ほぉ、とユーダは感嘆の吐息をもらした。自分は執事の免許を持っているが、前に勤めていた家の主人は死亡。もう1人の執事と共に護ろうと思った1人娘はその街で1番大きな屋敷に引き取られていった。
 よってユーダは只今無職。実家に帰ろうと思ったはいいがユーダは勘当されていたことを思い出し、家には戻れないことを思い出した。そんな中で銭が途切れ…今に至っている。
「いいですね、特技があるということは」
 笑った、のだろう。多分。糸目に動きは感じられなかったが、口元が微笑んでいる。
「まぁな」
 満更でもない様子でオーフォはサンドウィッチの最後の一口を口に放り込む。
 ムグムグと噛んでから搾りたての、モモのジュースを飲み干す。

「…さて。飯も食ったし」

 オーフォは思い切り伸びをする。
「私は街の方に行くが、あんたはどうする?」
 見ればユーダはまだ――よく噛んで食べるタイプらしい――サンドウィッチを食べきっていない。ついでにオーフォがサンドウィッチと一緒に買ってきたお茶も、あまり変化が見られなかった。最初に少し飲んでいたのを見たくらいだ。
「まあ、街の方に来なよ」
 おごり返してもらわなきゃ困るし、とオーフォは笑いながら言った。
「あ、じゃあ、行きますね」
 しかしおごるとは言っても、自分は金を持っていない。
「……どうしよう」
 ユーダは小さな声で言った。まさか、スリをやるわけにもいかないし。

「……あ」

 オーフォの背が大分小さなものになってから、ユーダは気付いた。
 どこに行けばいいのだろう? 自分は。
 待ち合わせの場所を決めたわけではないし。
 いっそのこと、ばっくれてしまおうか? と、一瞬考えたが、人のいいユーダはその考えを瞬時に切り替えた。
 おごり返すことはできなくても、何かしなくては。と思ったのだ。
 勤めていた家の影響で、ものはゆっくりと噛むことが習慣となっていた。
 それをできるだけ早く、早くと噛み砕く。
 飲み物を最後に、というのは自分の元からの習慣だった。最初に一口、最後に一気飲み。なみなみと注がれていたお茶はあっという間になくなる。
 ユーダは『これを作って下さった、農家の皆さん。私にこれを与えてくださった全ての神に感謝いたします』と心の中で唱えながら右の拳を胸に当てた。
 目を開くと同時に(とはいっても、開いているのかいないのかは分からないが)拳を広げながら、胸の前から手を離す。
 幼い頃からの習慣だった。と、いうか。ユーダの生まれ育った土地…チョウという村の習慣であるといえた。
 チョウは自然信仰の土地だ。最も信仰しているのは『緋の神フェ・シェン』とも呼ばれる日の神フェ・イアである。
 緋の神フェ・シェンは少年にして華をもち、少女にして力を得ているという。
「さて…っと…」
 ユーダはオーフォの後に続いて、町へ向かった。
 町では、ユーダが予想もしなかったものを見ることになる。


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