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「え?」
 下を向いていた藍は顔を上げる。
 …と、そこには。
「バニー…さん?」
 特別親しくない人間(?)に対し、呼び捨てもどうだろうと思い、藍は相手に『さん』付けで呼ぶ。
 そんな藍に対し、バニーは「ぶっぶー」と言った。

「アタシはバニーじゃないわ。女王よ」
 その言葉に藍は思考が停止した。
「ええ?」
 どこからどう見ても、バニーにしか見えなかった。
 瞬きをしながら、藍は考える。

(耳取って、こーゆー格好したら…って…)

 藍は、まじまじと声をかけてきた相手の服装を見た。
 …一気に、体温が上昇する。

(なんつー格好をしてるんだっ!)

 藍はバッと視線を外した。
 …女王様の格好をしている。
 黒いピッチリとした…ボンテージ、とかいうヤツか。
 鞭を持って『女王様とお呼び! ホホホッ!!』てヤツだ。

(な、なんつー格好してんだよーっ!!!)

 藍は視線を泳がせる。
「どこ見てるのー?」
 バニー…ではなく女王と名乗った彼女はズイ、と藍へと近づいた。

寄るなーッ!!!

 藍は心からの叫んだ。…コエにはなっていないが。
 藍は女の子…女性、かもしれない…に免疫がないのだ。
 そんな藍の様子に女王は「フフ。可愛いわ」なんて、一歩下がった藍へまたもや近寄る。

いやーッ!! 笑いながら寄ってこないでーッ!!!
 藍は椅子から腰を浮かせた。
 …逃げなければ…。

 腰を浮かせ、椅子から立ち上がった藍に対し、女王は首を傾げた。
「あら、どうしたの?」
 心底不思議そうな声は、藍の耳…脳ミソに届いてはいなかった。
 藍の中埋め尽くされる思考は、ヒトツだった。

 ――ヤられる!

 藍は完全に立ち上がる。顔は、あり得ないほどに赤い。
「お、おおおおお、おれ」
 走る体勢、準備万端。

帰りますっ!!!!

 顔を真っ赤にしながら藍は宣言した。
「やだちょっと、待ちなさいよっ!!」
 ――言うことなんか聞けるものか!
 藍は女王の声を聞きながら、猛ダッシュで部屋をあとにした。

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「はぁ、はぁ、はぁっ!」

 …息が上がる。
 心臓がドクドクドクドクと、うるさい。
 息が、苦しい。
 体中が心臓になったようだ。

 藍は肩で息をしながら、振り返った。
(よかった…追いかけてこない…)
 もちろん女王が、である。
(…どーっすかなぁ…)

 出国手続きをするために女王に会いに行ったが…逃げてきてしまった。
 入ってきた所から、手続きナシで出て行こうか…とも考えたが。
(書類…だかはないし、黙って通りぬけようにも透明人間になれるっぽいジュースは全部飲んじゃったし…)
 本当に、困った。
 …どうしよう。

「おい」
うわあっ!!!

 藍は(言葉通り)跳び上がった。
 木の幹に背を押しつける。

 そこにいた存在を確認し、胸を撫で下ろす。
「な、なんだ…チシャ猫か…」
 心から安堵して、藍は呟いた。
 親しい、といえるほど仲良くなっていないかもしれないが。
 チシャ猫は大体自分と同じような年頃に見えたし、相手も自分を『藍』と呼んだので、意識せず藍もチシャ猫を呼び捨てにした。

「そんなに驚いて、どうしたんだ」
 藍の叫び声と、跳び上がった様子にチシャ猫は僅かに首を傾げる。
「あ、いや、ちょっとね…」
 藍は心の底から『女王じゃなくてよかった……』と思いながら応じた。
 ちなみに、今バニーが顔をだしてきても即行逃げるであろう藍である。

「まさか、女王の気に障るような何かをしたのか?」
「え?」
 ぎく。
 チシャ猫の鋭い意見に藍は身を縮こまらせた。
「ど、どうして?」
 恐る恐る問いかけると、チシャ猫は淡々と言葉を紡いだ。

「いや、なんか、こういうものが出回っているから」
 チシャ猫はそう言いながら、藍に一枚の紙を手渡した。

「え…と、何?」
 藍はその紙の絵…写真といえるかもしれない。
 とにかく、それを見た瞬間に「えっ」と声をあげる。
 そこには、藍の顔 写真があった。
「な、ななななな、なにこれ!」
 藍はチシャ猫に問いかける。

「見つけ次第女王に報告せよ…と。藍、お前は何をやったんだ?」
 紙を思わずグシャリと握りつぶす。
「な、なにって…!」
 あまりにも(予想外な)すごい格好をしていたので、(思わず)逃げ出しました。
 …とはまさか、言えない…!!
 そんなことを思っていた藍の背後から、声が聞こえた。

「いたーっ!!!」
 振り返って藍は「ぅげっ」と声を上げる。
「いたぞーっ!!! つかまえろーっ!!!!」
うわーっ!!
 …いかれ帽子屋である。
 藍は思わずチシャ猫の手を引き、走り出した。

「な、なんで追いかけてくるのさっ?!」
 走りながら藍はチシャ猫に問う。
 見つけたら報告、ではなかったのか?

「…捕獲したものに賞金」
 叫ぶ藍に対し、チシャ猫はいつも通り淡々とした口調でとんでもないことを言った。
「『捕獲』なのっ?! おれ、人間だよっ?!」
「…『つかまえる』も『捕獲』も、意味的には変わらないだろう」
 やっぱり淡々としたチシャ猫に「ニュアンスがちがーうッ!!」と走りながら藍は叫ぶ。
 後ろからはドタドタという足音がいまだ響いている。

「どこに行く気だ、藍」
「ど、どこに行こうッ!!」
 ついでになんでチシャ猫の手を引いてしまっているのだろう、自分は。
 そう思いながらも足を止めることもできない。
 だって足音が近い!

「…おい」
 そんなことを考えている藍に、チシャ猫は声をかけた。
「へ?」
「私はそろそろ眠たい。だから寝る」
 突然のチシャ猫の言葉に「走りながら?!」と思わず聞き返した。
「まさか」

 チシャ猫はそう言うと、突然姿を消した。
「頑張って逃げろよ。じゃあ、な」
 声だけが藍の耳に届いた。
 姿を消した瞬間に手も離してしまい、藍はしばらく茫然とした。

(姿が消せるなんて…姿が消せるなんて――ッ!!!)
 藍は思わず、叫んだ。

裏切りものーっ!!

 走りまくっていた藍ではあったが思わず心から叫んだ。

  「いた、あそこだぞっ!!!」
 その叫びに、追手に藍の居場所がバレる。

「ぎゃーっ!!!」

 そして藍はつかまるまい、と再び走り出した。

 

「…っ」

 へたに激しい呼吸もできない。
 藍は木の陰に隠れながら、浅く、速い呼吸を繰り返した。
 …のどが渇いた。
 藍は胸元を押さえつけた。

「…これ…」
 藍のポケットの中には、ミステリージュースが1つ。
(なんだっけ…)

 藍はパッケージに書かれた細かい字を読んだ。
【このジュースは『髪のばし作用』抜群のジュースです】

(髪のばし作用…)
 1本目のミステリージュースは、透明人間ぽくなれる効果抜群のミステリージュース。
 ――あれは、効果があった。
 だったら2本目のこれも、効果があるかもしれない。

(…髪がのびれば少しは写真と感じが変わるかなぁ…)
 藍はそう思い、一度大きく息を吸い込み、吐き出した。
 …さっきチシャ猫に見せてもらった手配書(?)に載っていたのは、髪の短い藍だった。

(どうか、効果がありますようにっ!!!)
 藍は祈りにも似た思いで、蓋を開けた。
 そして、一気に飲み干す。

 

 ……だが。

 

「いたぞーっ!!」
「追えーっ!!!」
なんでだーっっっ!!!!!

 

 様々な叫び声が交叉する森。
 …そこに転がっている空の、1本のミステリージュース。

 ミステリージュースには【このジュースは『髪のばし作用』抜群のジュースです】の他に、小さくこう、書かれてあったのだ。
 【一週間続けて効果がない場合は、諦めてください】
 ――と。

「なんでおればっかりーっ!!!」

 藍、走る、走る、走る!!

 …気のせいでなければ、追いかけてくる人数が増えているような気がする。
 どこに行っても、1分もしないうちに『いたぞーっ』だの『追えーっ!』だのという声が響きわたる。

「や、休ませてくれーっ!!」
 逃げるほうも必死だが、追うほうも必死だ。
 賞金がかかっている。
 ……しかし、その賞金は。

「まてーっ!! 1万円ッ!!!!!」

 …人1人にかかっているにしては、安い。
 藍はその言葉を聞いて、密かに悲しくなった。
(…おれの価値って、そんな程度…?!)
 そんなことを考え、逃げることに集中しなかったのがいけなかったのだろうか。
 藍は木の根っこに足をつまずかせ、顔面から転んだ。

「……だーっ!!!!」

 藍の上に追いかけてきた人間が乗り込み、押さえ込む。
「1万円ゲットッ!!!」
はーなーせーっ!!!

 

 そして、藍は…。

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「はーなーせー…」
「へ?」
 ――声が、した。

「…え?」
 藍はゆるゆると瞬いた。
(ここは…)

「どうした、藍」
 自分に向けられた言葉。
 ――自分を見つめる、顔。

ああっ!!
 藍は思わず声をあげた。
 そんな藍の反応に、耳としっぽのないチシャ猫は首を傾げる。

「…? どうした? 熱は?」
 そっと、自らの手の平を藍の額にあてる。

「裏切りものーッ! 姿を消しちゃうなんてっ!!」
「…本当にどうした、藍。寝ぼけているのか?」

 藍は(今更)、何かがおかしい、と気づいた。

「…え?」
 藍は辺りを見渡す。
 ――見覚えのあるベッド、部屋。
 そして、見覚えのある人間…紅。

「……なーんだ…夢かぁ。よかったぁ…」
 藍は言いながら思わず、微笑む。

「ハハ…夢かぁ…なら、いいんだー…」
「…やっぱりまだ寝ぼけてるのか?」
 耳としっぽのないチシャ猫――紅はそう言うが、藍はご機嫌である。

「ハハ。…よかった、夢で」
 藍は心からの呟いて、安堵のため息を漏らす。

「もう少し、寝てろ。完全に熱が下がるまで」
「ん…」

 …そうだ。
 藍は、現実を思い出す。
 藍は実家に帰ったというのに風邪をひいて、眠っていたのだ。
 実家に帰ったというのに…。
 ウトウトと、睡魔に襲われながら藍はふと思う。

「あ……れ…?」
 なんで紅が、ここにいるんだ…?
 しかしそれを紅に訊ねることなく、藍は眠りについた。

+++++

「よぉし、寝た寝た」
 双子の片割れがそう言うと、もう1人がニュッと顔をだした。
「寝たー?」
「うん。もお、ぐっすり」
 2人は自らの上司…黒に言われ、風邪を引いて体調を崩した藍の様子を見に来た。
 白は任務中で藍の様子が看られないから、様子を看ていてほしい、と黒は双子…翡翠に頼んだのだが。

「ちょっと、夢をかまっちゃったからねぇ…思わず」
 翡翠は、『不思議なチカラ』を使える。
 ――その『チカラ』を利用し、藍に対して『夢を操作する』というイタズラをした。
 …藍の父親である黒は、風邪っ引きである息子の看病させる人間を『人選ミスした』と言えるかもしれない。

「藍クン、どんな夢を見たのかな」
「一応、『不思議の国のアリス』のイメージを使ったけど」
 そう。あくまでイメージである。
 ちなみに翡翠らは藍が悪夢を見ていたことは知っているが、その詳細まではわかっていない。

「どんな悪夢だったのかな」
 それを微笑みながら言う翡翠(片割れ)。
「藍クンのうなされる顔可愛いもんねぇ」
 翡翠の片割れが言い、もう1人もうんうんと頷いた。
 変態である。

「でもさすがに…熱っぽいのにちょっと可哀相かなぁとも思って」
 誰も聞いていないのに、1人が言い訳めいたことを唇にのせた。
「…そうそう。だから目が覚めた時に会いたい人が見えるようにって暗示をかけたんだけど。…誰が見えたのかな?」
「そういえば、名前は言わなかったねぇ」
「…そうねぇ」
「まぁ、いいか」

 …しばしの沈黙。
 藍は単調な吐息を繰り返し、眠り続けている。
「……ああ、可愛い」
「……本当」
 藍の寝顔を見ながら、2人はどちらからともなく、呟いた。

「「……かまっちゃいたいくらい……」」
 2人は顔を見合わせる。
 そして、にっこりと微笑み合う。

 

「もう1回やっちゃおうか
「あら、それ、アタシの台詞

 藍はそんな会話に気づくことなく、眠る。
 ――また、翡翠に悪夢を見せられると知ることなく…眠り続けた。

「なんでおればっかりこんな目にぃッ!!」(by藍)

 

「ちなみに今度は『白雪姫』なんてどう?」
「うーん、アタシは『眠る森の美女』もいいと思うわ

不思議の国の藍クン part1<完>

2002年 2月13日(水)【初版完成】
2009年 3月22日(日)【訂正/改定完成】


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