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一、はじめまして

「かーたーぎりぃぃぃぃ!!!!!」
 ズダダダダダダダダッ!!!

 『マッハ』という早さは知らないが、ヤツの早さはそれに匹敵するような気もする。
 ゼーハーゼーハー
 少年…片桐かたぎり擢真たくまはそう思いつつ、適当な部屋を見繕い走り込んだ。
 五月下旬の水曜日――放課後。
 本日の天気は、多少雲があるが晴れである。
「んむっ?! ここかっ?!」
 越前(体育教師、陸上部の顧問)の独り言が聞こえる。
 何となく、ではあるがゆっくりと近づいてくる感覚がする。
(ヤバッ)
 ドアに半ば張り付いて越前の様子を窺っていた擢真は息をのんだ。
 ダンダンダンッ
 越前の戸を叩く音が部屋中に響きわたる!
(もお、ダメかぁ?!)
 ――その時、擢真はグイッと引っ張られた。

 

「…はい?」
「失礼するっ! …おお、刈田じゃないか」
 とある教室――美術室に足を踏み入れた越前は出迎えた少女に声を掛けた。
「越前先生、どうかしたんですか?」
 あまりにもすごい勢いだったから、ちょっとビックリしました、と少女…刈田かった紅深くみは続ける。
 紅深の言葉に「悪かった」と詫びつつ、問いかけた。
「片桐という、多少頭の色が派手な奴を捜しているんだが、見なかったか?」
「カタギリ…ですか?」
 紅深は瞬いた。そのままニコニコして、答えない。紅深の様子に越前は「わからんか…」と一人頷いた。
「制作の邪魔をして、悪かったな」
 越前はそう言うとピシャンッと戸を閉め、またもや走り出す。
 「片桐〜っ!!」という声が、ドアの向こうで響き渡った。

「…いえ、ここにいる人がそうじゃないかと…って、聞こえませんよね」
 紅深はドアの向こうに言ったが、当然ながら越前の姿はない。
「いやっ、わりっ! 助かった!」
 越前から逃げおおせた擢真が教卓の下から這い出た。
 匿った礼を言った擢真に「いえいえ」と紅深はニコニコと笑ったままだ。

 越前に「多少頭の色が派手」と言われた擢真は、確かに頭の色が黒から比べれば派手だ。だが、嘘っぽい派手さではない。色素がもとから薄い、というような状態だ。そもそもこの学校――公立北川高校は頭髪検査が毎月あり、髪を染めることは許されていない。
 …それはさておき。擢真の格好はその、髪の色を引き立たせるためか、服は古びたブロンズ像のような渋い色をしている。

「今日も大変ね、片桐君」
 ニコニコ笑ったままの、越前から擢真を匿った丸いメガネをかけた童顔の少女――紅深は言った。
 紅深は殆ど私服高校と化している――行事制服制という不思議な制度の――北川高校で、制服を着用している。制服は一昔前の女学生、といった具合で、おさげ、膝下スカート、柄なしソックス…と、偏見のある者から見れば『ダサイ』と言われるような格好をしていた。

「ん!」
 擢真が機嫌よく答える。越前から(一応、ではあるが)逃れられてなかなか嬉しいのだ。
 そして擢真はしばらくしてから考えた。
「…あんた、誰?」
 擢真は今、フツーに「片桐君」と呼ばれたことに瞬きながら問いかけた。
「何で俺の名前知ってるんだ?」

 北川高校は私立でもないのに色々な『科』がひとつの学校に存在している。
 よって一学年最低八クラス、三学年合わせると合計二十五クラスという膨大なクラス数になる。
 なので、下手をすれば同じ学年でも卒業写真で始めた知った顔、名前ということもあるわけで。自分の学年でさえ、全ての人を覚えるなんてことは並大抵のことではない。かなりのマンモス校ともいえる。
 擢真は一年生でも私服の方が主である北川高校で制服姿という珍しい少女…紅深を『見たことがあるような気がするようなしないような…』というなんとも曖昧な状態だ。
 よって、自分の知らない相手が、自分の名を知っていたことがとても不思議だったのだ。

「フフ。だって、越前先生との追いかけっこ、有名じゃない」
 少しおかしそうに笑うと、紅深は告げた。
 ああなるほど、と擢真は納得する。――と、同時に多少恥ずかしい気持ちになった。
 自分が知らない少女に『自分』を知られているということは、そんなにも大騒ぎしていたということだろうか。

「…で、唐突なんだけど」
 紅深はにっこりと笑顔を見せた。
 擢真は紅深の笑顔と言葉に視線を向ける。
「美術部入りませんか?」
「…へ?」
 前振りはあったが…本当に唐突だった。


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