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二、入部

 教室の一角。
 擢真と一人の少年、二人の少女が雑談していた。
 「そういえば、」と擢真は口を開く。「美術部に勧誘された」と友人三人に報告する。
「…美術部?」
「片桐が、かー?!」
 それぞれの言葉に擢真は頷いた。
 頷いた擢真の様子に、立っていた少年と、擢真の前の席に座っていた少女は顔を見合わせた。
 ――この二人、服の色合いがはっきりしているため、見た目の印象が派手な組み合わせである。
 少年は、榊原さかきばらひびき
 スポーツ刈りというかなんというか。クシャクシャッとしたラフな髪型で、目はたれ目。鼻は丸っぽく、なんだか愛嬌のある顔つきである。本日は原色の黄色にちょっと渋みの効いた赤いジーパンを履いている。
 少女は、篠岡ささおかきら
 ちなみにどのように派手かというと、他のクラスメイトに比べて季節を先取りしすぎというか。露出度が高いのである。ワンピースのスカートがとても短い。まぁ、美しい脚線美ではあるのだが。
 実は幼馴染みの二人は、しばらくするとどちらからともなく噴き出した。

「にっっっっあわねーっ!!!」
「確かにっ!」
 それぞれ言って、響と輝は大爆笑をした。
「……」
 擢真はなんとなく一緒にいたもう一人の少女へと視線を移す。その少女は、特に笑ってはいない。
 …だが、この一年間つるんできた擢真達にはわかる。
 ろくに表情が動かないこの少女…岡元おかもと日奈ひなは爆笑なんてことはしないのだ。
 真っ黒で、光沢があるほどの髪。それを耳がでるかでないか、といった長さで前後を切り揃えてある。そのせいで日奈の形の良いアゴがでていて、なんだかとてもすっきりとした印象だ。唇は特に何かをぬったわけでもなさそうなのに紅い。『美人』と言えた。
 ――そんな日奈の目が、笑っている。

「なに、片桐ってば、ゲージュツに目覚めたってわけ?」
 まだ「ククク」と笑い続けつつ、響は言った。
「でもさ」
 日奈は声に出して笑いはしないものの確かに笑いつつ、疑問を擢真に投げかけた。
「美術部って、あるの?」
 聞いたことがない気がするんだけど。
 そう言うと、輝も続ける。
「ああ、アタシもそれは思った」
「そう言われるとそうだよなー。あんのか?」
 笑い続けていた響だったが、首を傾げて擢真へと視線を戻した。
「え、でも俺、入ってくれって言われたぜ?」
 友人達の言葉に擢真もまた首を傾げる。

『…で、唐突なんだけど。美術部入りませんか?』
 メガネの制服姿の少女にそう言われた。
 擢真は昨日のことを思い出して一人頷く。

「ふーん」
 響はそう言うと、どかっとイスに座った。
「誘ったってことは、部長じゃないのかな? 一人しかいなかったみたいだし」
「一人しかいなくて、入部を進めるからって、部長とは限らないでしょ?」
 日奈は鋭い突っ込みを入れる。

「…てかさ…」
 ふっと、擢真は少し遠くを見つめ――どこを見ているかは定かではない――続ける。
「俺は越前から逃れたいんだよ…」
 越前から逃れるためであればゲージュツに目覚めた? とからかわれても友人に笑われても美術部に入部した方がマシな気がした。

 越前だって悪い先生ではない、と思う。
 だが、目が合う度に『陸上部に入れ!』と、追いまわされるのは少し…正確にはかなり辛い。『いい加減に諦めてくれ!』と、いう感じである。
 しみじみという擢真の言葉に、響はポンと肩に手をおいた。
「――大変だな」
 「だろ?」と言いつつ、思わず擢真がもらすのはため息だ。
「やつれた?」
 演技ぶった表情で擢真を心配するのは輝である。
「…ま、多少な」
 「フフ」と遠い視線のまま擢真はボーッと窓の外を見つめた。

 時は、春――すでに、初夏と言える時期か。
 桜舞う四月の肌寒さは既になく、新緑が芽吹き、その色が瞳に鮮やかな五月の末である。

 だいたい、本来、擢真達のクラスの体育教師である海棠(こちらは体育教師のくせに、文学系の部活の顧問である)が出張に出て、代わりの見張りに越前がきたのがいけなかった。
 罠か偶然か、その時に百メートル走のタイムをはかったのだ。
 去年と同じく、擢真は陸上部であるクラスメイトと、0.5秒差で勝利。
 それに感動した越前が擢真を追いまわす…というのが現在の状況だ。

(何気にあれから一ヶ月近くなるのか?)
 「勘弁してくれ」と、擢真が密かに回想をしていた、その時である。

「片桐っ!!」
 教室のドアから(擢真の心情的にはすでに)『モンスター』越前が登場した。
「でぇっ?!」
 昨日は美術室で難を逃れた擢真。
 ちゃっちゃと帰ればよかったのだが、教室で雑談していたのが災いした。
 越前に対し「陸上部の方は見なくていいのか?!」と、頭の片隅で疑問が残る。
「見つけたぁ〜〜〜〜〜っ!! んーっふっふっふ」
 …モンスターと呼んで間違いないかもしれない。越前の様子に擢真はひくりと口元を引きつらせた。

「さぁ、観念しろ〜。いいかげんに、このっ! 陸上部の入部届けにサインッ! 拇印! 判子!! どれでも良いっ、さぁさぁさぁ」
 んーふっふっふっふ…と、笑いが続く。
 その場に広がる感情はある意味『恐怖』、それだけだった。
 『燃え尽きた』。――対して、今の擢真の状態を示すのはそれかもしれない。

「クックックク」
 越前と、擢真と。二人の様子に耐えきれない、という感じで笑いだしたのは響である。
「先生、擢真は美術部に入るんだって」
 擢真の様子に、日奈がそんなフォローを入れた。
「…なぬ? 美術部?」
 陸上部の入部届けを持って擢真へ迫っていた越前はグルリと日奈へと振り返る。
「そーそー。ゲージュツに目覚めたんだとー」
 まだいくらか笑いつつも、響もフォロー(になっているかは疑問だが)を続けた。

「…美術部か」
 なんだかいつもと違う反応に擢真は「お?」となる。
 いつもの越前であれば「美術? いやっ、やっぱり青春は友と友に語り合い! 時には衝突し! それでも友情を育んでゆく! これに限るだろう!」とか続きそうなのだが。
 …まだ、返答がない。
「せ、先生…?」
 擢真は恐る恐る、口を開いた。
「美術部は、刈田が部長だったな」
 重々しい口調に一度越前に近づいた擢真だったが、思わず身を引いた。

「え、『刈田』って、あの、制服の?」
 越前の呟きに響が問い返す。
「ああ、そうだ」
 返事はしたものの、ちゃんと聞いていないような曖昧な返事を越前はした。
「それなら安心だ」
 頷きつつ、続いた言葉に『…何がだよ』とそれぞれ内心で突っ込む。
 そんな四人の同じ心情も察することなく、越前はまた大きく頷いた。
「まぁ、頑張れよ」
 ――越前のその言葉に、擢真の表情が思わずきらめいた。
 これでもう、諦めたか、と。

「んだがっ!!」

 ――ギランッ!
 力強く、やや猛獣染みた越前の瞳の光。擢真はまた、一歩体を引く。

「掛け持ちという手もある! 俺はまだ諦めんからなっ!!」
 そう宣言すると、体育教師越前は陸上部の顧問らしく、キレイなフォームでダッと走り去った。
 越前の起こした風が止み、一瞬の沈黙。
 沈黙を破ったのは、響であった。

「――部活、毎日にしてもらうしかないな」
「――かもな」
 響の呟きに擢真はこっくりと頷く。

「あ、そう言えば響」
 輝がふと、響に疑問を投げかけた。
「『刈田』って、誰?」
「ん?」
 響はしばらく輝が言った意味が分からなかったのかしばらく考えた後、「ああ」と頷いて続けた。
「この学校ってさ、私服でも制服でもいいけど、制服着てるのなんてほとんどいないだろ?」
 ちなみに制服は強制的に買わされる。…貧乏性の人間からしてみれば、なぜに着もしない制服を買わねばいけないのか? という疑問がわく。まぁ、貧乏性でなくても、そう考えそうだが。それはさておき。
「そうね」
 日奈が納得する。擢真もうんうんと頷く。
 響が言っていた「え、『刈田』って、あの、制服の?」という言葉。
 『制服』と言っていたから多分、あの少女――擢真を美術部へ勧誘した少女であろうと考えた。
「それがさ、入学してからずーっと制服着てくる子がいるんだって。しかも」
「しかも?」
 輝は一度止めた響の続きを促す。
「ん。髪型が、おさげで」
「おさげ?!」
 輝のオーバー・リアクションに、擢真の方が驚く。思わず、ビクリと肩が揺れた。

「制服着ておさげかぁ。珍しいね」
「そ。んで、白のソックス」
 柄もなーんにもないヤツ! と、色合いが派手な服装の響は両手を広げる。
「だがらぱっと見、一昔前にタイムスリップした子がいるよ、って感じ。何となく、そこだけ空気が違うんだよな」
「へぇ。おっもしろぉい」
 輝は指を組んでその手に顎を乗せた。

「最後に! それをその人は三年間続けてるんだってよ」
「え?」
 響の言葉に今度は擢真が声を上げた。
(三年間てっことは…)
「…あの人、三年?! あの童顔で?!」
 下手すれば一年生とも思えそうな幼い顔立ちをしていたというのに。
「え゛?」
 擢真の発言に、カエルをふんだような声をあげたのは輝である。
「ナニ? たっちゃんを美術部に誘ったヒトってその制服っ子なの?」
 輝の問いかけに「制服、おさげ、メガネで童顔」と頷く擢真。
「あ。そっか。じゃあ、片桐を誘ったの刈田サンかもな」
 響は腕を組んで椅子に背中を押し当てた。

「はー。あの格好を三年間もね…」
 ぼそりと擢真は呟いた。
 なんだか童顔の所為か、あの姿のまま入学当初から三年間変わっていなさそうだと想像して、思わず笑ってしまう。
 『恐怖! まったく変わらない(成長しない)少女!!』とかいって。
「…っ」
 自分の想像で吹きだす擢真であった。
「…たっちゃんどうしたの?」
 机をダンダンッ! と力強く叩きながら(どこがおかしいのか分からないが)笑い転げている擢真である。

「あ、擢真」
 うっくっくっくっくと、笑っていた擢真だったが、その呼びかけに息を整えつつ日奈の方を見つめた。
「入部届けの紙とかって、貰わなくていいの?」
「ああ、明日やるよ」
 今日は帰る! 今すぐ、ちゃっちゃと帰る!! 高々と擢真は宣言した。
 ひとまず越前から逃れられ、晴れ晴れした気持ちで。
 擢真に続いて響と輝も宣言をする。
「オレは擢真の家に寄る!!」
 んで遊ぶ!
「アタシはたっちゃんのお母さんの手料理を食べる!」
「おい、夕食食ってくことかっ?!」
 輝の言葉に擢真は鋭く切り返した。
「いや、アタシはおやつでも夕食でもなんでもいいんだけど」
 言いながら輝はちらっと擢真の方を見た。
 「…睨んでる、睨んでる…」と口の中だけでぼやきつつ、続ける。
「だってさぁ、たっちゃんのお母さんのお料理美味しいんだもん!」
「自分家の食費を削る気かぁっ!! 俺ン家の食費を上げる気か?!」
 なんて卑怯なっ!
「なんでそこで食費の話がでてくるのよ…」
 そう、ボソッと日奈が言ったが、誰も気にはとめない。
 ギャア ギャア ギャア…

 ――放課後の二年三組の教室に、夕食ネタで騒いでいる四人(正確には三人と言えた)がいた。
 「今日はちゃっちゃと帰る!」と宣言していた擢真は「たっちゃんのお母さんの手料理を食べる!」と宣言した輝に対抗していて、さっさと帰れず。
 「擢真の家で遊ぶ!!」と宣言した響だったが、騒いでいる間に気づけば六時となっていて、七時から用事があった為寄り道はできなかった。
 ちょっとめんどくさがり屋な「たっちゃんのお母さんの手料理を食べる!」と宣言した輝は、幼なじみの響のチャリにのって帰ることを望んだため、響と共に帰った。
 …つまり、誰の宣言も成り立たなかったのだった。
 擢真はここまで遅くなってはもういつ帰っても同じだから、と職員室に行って入部届けの用紙をもらい、ちゃっちゃと帰れば五時には家に着きそうだったのに(日奈を送るため遠回りした、というのも遅くなった要因ではあったが)家に着いたのは七時頃となってしまった。

 
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