布団をたたんで、押入に突っ込んだ。
朝食は食べ終わり、やることもなく、ボーッとしていた。
ボーってしているヤツ…こと榊原響。
クシャッとした髪型で、少し硬そうな髪質である。鼻は丸めで瞳がくりくりとしている、愛嬌のある――人懐っこい大型犬を思わせる顔立ちである。ちなみに、公立北川高校二年生だ。
今日より、生きている中で十三回目の夏休みである。
(暇だなー…)
響は団扇で空気を掻き混ぜた。
ふと、友人の存在を思い出す。
(どっか行こうかなー…。あ、いいかも。片桐あたりでも誘って)
思ったならば、即実行。それが響の合言葉である。
ちなみに片桐…片桐擢真とは、先に述べたように響の友人だ。
全体的に色素の薄いそいつは、見た目だけで判断するならば弱そうな印象を持たせるが、――あんまり関係ないかもしれないが――足が速い。
陸上部に入るのが嫌だという理由で、現在美術部に在籍している。
まあ、好きな女の子が美術部に在籍しているということもあり、幽霊部員ではなく、きちんと活動しているなかなか真面目な部員だ。
友人としてはもちろん、遊ぶオモチャとしても、擢真は響の中でナンバーワンなのだ。
響はケータイ、つまりは携帯電話を持っている。持ってはいるが、家にある固定の電話で連絡をとることにした。
別に家族とかに聞かれて困るような内容ではないからだ。
ケータイのメモリから擢真家の電話番号を探しだし、音読しながら電話番号をプッシュした。
『もしもし?』
三度ばかりの呼び出し音の後、電話の向こうから聞こえたのは女性の声。擢真の母である。
「あ、おはよーございます」
擢真は現代の高校二年生にしては珍しくケータイを持っていない。
よって電話をするとなると家にかけることになるのだ。
「榊原ですけど、擢真くんいますかね?」
擢真くん。
自分で言ってから思うなもなんだが、聞き慣れず、言い慣れないものだ。
『擢真ですか? ちょっと待っててくださいね』
そう言った後、電子音の『エリーゼのために』が響の耳に届いた。
しかしそれが一回りすることなく『もしもし?』と、擢真の声が聞こえた。
「おっはー」
…一応言っておけば、手振りはしていない。
それはさておき…微妙な間の後、『うっす。どーした?』と、擢真は言葉を紡いだ。
「朝から覇気がないねぇ」
『おっはー』と言った瞬間に、家族(正確に言うと妹)からのやや冷めた視線を受けた。それが打撃となり、只今沈み気味の響だったりする。
そんな沈み気味の声を聞いたせいか『響ちゃんも覇気ないじゃん』と返してきた。
「あ?」
…態度悪し。
『なんてな。怒るなよ、榊原』
少し笑いの混ざった声で、擢真は言う。
擢真は響がこの名前を『女の子みたいで、(特に)同性から呼ばれるのがイヤ』ということをわかっているだろうか?
「…“ちゃん”とかつけるな」
応じれば、ハハハ、という擢真の笑い声が聞こえた。
(あの野郎、イヤがってんの知ってて言いやがったんじゃあるまいな?)
…響は知ることはできないが、擢真はきちんと、響が嫌がっているということを知っていた上で、『響ちゃん』と言ったのだった。からかわれる率が高い擢真のささやかな逆襲だ。
『んで、どうした? 休み一日目早々に』
擢真の切り返しに響ははっとする。そういえば、本題に戻らなくては。
「いやー、暇でさー。片桐、どっかいかね?」
『…わりー、俺、図書館に行くんだわ。開館早々にでも』
擢真の返答に響はパチクリとしてしまった。
微妙な間をおいて響は「片桐が勉強?!」と聞き返してしまう。
「似合わねーことすんなよ!」
そう言いつつ、響は笑った。ナニがどうしてそうなった? とか思う。
『うわ、ひでーなあ、おい』
電話越しで擢真が苦笑しているのがわかったが、響の笑いは止まらなかった。
「じゃあ、いいや。せいぜい頑張れよ」
『へいへ…』
カタン
「あ」
響は受話器を置きながら声を上げた。…通話時間約一分。
(途中で途切っちまったかも…)
まぁいいか、と響は思考を切り替えた。擢真辺りが聞いていたら「おい!」と突っ込まれそうな素早い切り替えである。
(さってー…どうすっかなー…)
響はまたもや思案する。ちなみに『勉強をする』という選択肢はない。少なくとも、今はまだ。
「なに? お兄ちゃん、フラれたの?」
「そうそうオレは失恋したんだよ…って冗談だっつーに」
響の言葉に表情を堅くした少女…響の妹である奏は、小さく息を吐き出した。
「冗談なら、もうちょっと笑えるの言ってよ」
奏に「はいはい」と応じながら、響は電話台のすぐ横に置いてあるソファに腰を沈めた。ちなみに通信販売で購入したゆったり三人並べるモノだったりする。
そんな響の目前に立って、奏は一向に動こうとしない。
「あ、電話使うのか?」
電話の会話で聞かれたくないことの一つや二つ、あるだろう。まだケータイを持っていない奏だから、電話をするとなると普通の電話を使うしかないのだ。
なかなかできた兄である響はちゃっちゃと居間から出ていく。
(さて。マジでどうすっかなー)
正確には、居間から廊下に続くドアに手を掛け…出ていこうとする。
「待って! お兄ちゃんっ!!」
(お?)
響は奏の声に振り返った。
「何?」
そんな必死な声をあげなくても、呼ばれりゃ止まってやるぞ、というようなことを思いながら奏を見た。
奏は響より四つ下の中学二年生だ。来年、響が無事三年生に進級することができたなら、二人は揃って受験生である。
ポヨポヨとしたくせっけ。それが首の辺りで跳ねている。顔立ちは母親似で、響とはくりくりした目が似ていた。
「…あの…。片桐さん、いるじゃない?」
――片桐。
つい先程まで電話で会話していた相手だ。
響は「おう」と頷きながらも思考を巡らせる。
…もしや。
(片桐に惚れてるから、何とか連絡とってくれ、なんて言うんじゃないだろうなぁ?)
なぜかそんな想像をした。「まさかなー」と内心否定してみたが、なかなか奏は言葉を続けない。
なんだろうか、この間は。
名を呼ぼうとした時、奏が口を開いた。
「…遊ぶ約束とか、した?」
その問いかけに、奏が擢真に惚れているのかと響は「おいおい、ドンピシャかよ…」とひっそり驚いた。
いや本人から聞いたわけではないから…まだ憶測だが。
「いんや? してないけど?」
応じると「…ふーん…」と奏はちょっと残念、みたいな素振りを見せた。
そんな様子を見た響は「何かちょっと、複雑」なんてコトを思った。
奏はまだ夏休みに入っていない。
「いってきます」
だから、今日も中学に登校する。
「…いってらっしゃい」
そんな奏の背中を響は見送った。
響の父と母はまだ寝ている。平日休みの二人は、揃って今日が休みだからだ。
響は両親のことを思いだして、ふと思った。
(…どうしてオレ、こんなに規則正しい生活してんだ…?)
入ってからまだ一日目とはいえ、夏休み。
もっとゴロゴロしていたとしても、誰も文句は言わなかったはずだ。
――響自身は気付いていないが、響がいつも通り起きたのにはきちんと理由があった。
奏のためだ。
奏が一人きりで食事をとらないようにという、響自身気付かない気遣いのせいだ。
…結構奏に甘い響である。
(もう一度寝る、って気分でもないしなぁ。ってか、布団を引き直すのが面倒?)
自分の中でそう考えて、フムフムと頷く。
とりあえず響はソファに寝ころんだ。テレビをつけてみる。
『…内閣総――』
ピッ
聞こえたフレーズに、響はちゃっちゃとチャンネルを変える。
ニュース報道に興味はない。
…自分の担任とかは興味を持て、とか新聞を読め、とか言うが、興味なんぞもてない。
『くっくっくっ、ククリカレーッ! くっくっくっ、ククリカレーッ!!』
CM。
カレーのCMらしい。『何とか』(当然だが)とかいうグループの少年達が楽しげに踊りながらカレーに向かって突進している。
『甘口、中辛、辛口! 全部おいCーッ!!』
CMの彼らは、そう叫びながら大きく『C』を腕で象った。
「………『おいC』って、オイ」
響は思わず呟いた。