ピンポーン
チャイムの音に響は「ん?」と顔を上げた。
なんだかんだで二時間ほどテレビを見ていた響だったのだが、自分の両親の姿を見て、よっこいせっと(ジジくさく)立ち上がった。
そろそろ十時になるのだが、両親は二人してパジャマ姿のままだったのだから、玄関からの呼び出し…チャイムには響が応じるしかないだろう。
(これでどっちかに用事のある人だったらどうするんだろう、あの二人)
そんなことをちょっと思いながら響は玄関の扉を開けた。
そこに立っていたのは…。
「…輝…」
響の(そしてもちろん奏の)幼なじみである、篠岡輝の姿がそこにあった。
「おっひさー」とおどけた調子で輝は笑う。
「おっひさー…って、昨日終業式だったじゃん」
響は輝の頭をポン、と一度叩いた。
響と輝(そして擢真)は同じ北川高校なのだ。
「そうとも言う」
アハハ、と一度笑ってから輝は言葉を続ける。
「響、今日、暇?」
その問いかけに響はちょっとドキッとした。視線を僅かに泳がせ、一度ペロリと唇を舐める。
「…暇、だけど?」
平然に、平然に。――輝は自分のことを何とも思っていないのだから。
そう自分に言い聞かせながら、輝の続きの言葉を促す。
「本当? ねぇ、遊びに行かない?」
「遊び…に?」
響は輝の言葉を繰り返し、自分の中では『平然に、平然に』と繰り返した。
響は一度小さく息を吐き出すと、おどけて輝に言う。
「おいおい、彼氏ほっといて幼馴染みと遊ぶのかよ? オレ、浮気だと思われてイザコザ、なんてヤだぞ?」
きしし、と笑いながら――本当は別に、構わないとも思った。
浮気だと思われるのは面白くはないが――輝の隣にいられるのは、なんであれ嬉しいことだから。
そんな響の心情なんて小指の爪先ほどにも知らず、輝はちょっとばかり頬を膨らました。
「だってー。サトルってば友達と遊びに行っちゃったんだってー。だったらコッチだって友達と遊んでいいと思わない?」
「『友達』…ねぇ」
響は思わず呟いていた。
輝が、自分のことを『友達』の内の一人だと思っていることを改めて思い知らされる。
(まあ、何とも思われていないよりはずっとマシだけどな…)
響は、輝に惚れている。
それを知っているのは(とりあえず、響が自らそう告げたのは)擢真…くらいだ。
…多分周りからは、『すごく仲のいい友達同士、幼馴染み…腐れ縁』として映っているだろう。
――それでいい。
隣の家同士で幼馴染みである二人は、保育園時代から一度も違うクラスになったことがなかった。
付け加えれば誕生日も近く、更には名字が『榊原』と『篠岡』なので、名簿番号もいつも近い。
腐れ縁、と言ってしまえばそれでお終いだが、響にはそれがとてもありがたい。
――輝と離れなくてすむ。
どこに惹かれてるのか、と言われたなら『輝自身に』と答えるだろう。
それから、そう答えられる程度に…いいところも悪いところもひっくるめて…輝のことを知っている、分かっているつもりだ。
輝が付き合っている男なんかよりも。
(ああ…。オレ、いつまで見守っちゃってるんだろう…?)
響はひっそり、そんなことを思った。
告白しよう! と考えたことは…ある。
それから実行したことも実は二回ある。
しかし、輝は覚えていないだろう。
――覚えていたとしても、そうだとは気付いていないだろう。
一度目は小学校三年に上がる直前。そして二度目は中学一年の夏。
一度目は、三年生に上がる時にクラス替えがあると知ったから。
もしかしたら別々のクラスになるかもしれない、と思って…始業式の前日に告白した。
しかし今考えてみると場所が笑える。
近くの公園の砂場で、砂遊びをしながら響は輝に告白したのだ。
『僕…キラちゃんのことスキなんだ』
結構緊張したような気がする。砂場で砂遊び、なんてシチュエーションは、笑えるばかりだけれど。
…当時は、ものすごく必死だったのだ。
砂山を二人で作って、まだ春と言うには浅かったが、ちょっと水をつかって、泥になった砂で手と服を汚しつつ。
響の告白に対しての輝はパチクリ、としていた。
何度か瞬いた後の返事は…
『キラもひーちゃんのことスキ♡』
――だった。
嬉しくて、いつも寝つきのいい響が興奮して眠れずにいて。
次の日、学校に行ってみればクラスはまた一緒で。有頂天になった響に輝は、輝く笑顔で言った。
『ひーちゃん、キラ、中尾先生のおよめさんになる!』
『………え?』
中尾とは三年の、新しいクラス担任になった優しいお兄さん風だった先生のことだ。
響はその言葉を聞いてショックを受けた。
…そして、知った。
響の『スキ』はある意味お嫁さんにしたい『スキ』だったのだが、輝はお友達として『スキ』と返事したのだ。
――『スキ』にも種類があるんだなぁ、と思い知った、春。
それから二度目は、言うなれば思わず、だった。
中学一年の夏休み前…毎年、学年毎に行われていたレクレーションキャンプ。
クライマックスのキャンプファイヤーも終わり、夜の内にできるところだけ片づけていた時。…もっと言うなれば、響の目の前で、一人の少年が輝に告白したのだ。
それは学年で一番『たらし』と噂されている少年で、名前を確か…馬場といった。
『俺、輝と付き合いたいんだけど』
『………え゛っ?!』
周りにはほとんど人がいなくて、二人の様子に気付く者はいなかった。…いたのかもしれないが、少なくとも響の目には映らなかった。
…実は響は輝を捜していて、『やっと見つけた!』という時にそのシーンを見てしまったのである。
響はその時、思わず馬場と輝の間に入り込んでいた。
『コレはダメだ。ヨソにあたってくれ』
『……誰?』
馬場のその言葉に響はムカッとした。
『輝の幼馴染み! んでもって、クラスメートッ!』
『…幼馴染みでクラスメート? それだけでどうして俺の邪魔するんだよ?』
馬場は…いい男だった。――顔が。
互いに中学一年生ではあったが、凄まれるとなかなか圧倒されるものがある。
しかし響も負けていられない。
『オレが、輝を好きだからだ』
輝を背にしたまま、響はそう、馬場へと言い放つ。
…確かに、それを輝に言ったわけではなかった。
『そ、そうなのっ! アタシも響のこと好きなのっ!! 両想いなのっ!! だから、ごめんっ!!』
背後から顔をのぞかせた輝が馬場にそう言った。
舌打ちしながら「バカみてぇ」なんていう捨て台詞を吐いた馬場が去った後…輝の「アタシも響が好き」という言葉にやや呆然としていた響だったのだが。
……まさか。
『ひーちゃん、サンキュー。アタシのこと助けてくれて』
続いた言葉に、響は今度は唖然とする。
……誤魔化すため、だけに響が嘘ついたと思われたとは…。
つまり「アタシも響が好き」っていうのは、輝としては芝居の延長線だっただけで…。
『…あぁ』
そこで響も『あれは本気で言ったのだ』と言えば良かったのだが、それをしなかったのもいけなかったかもしれない。
――ともかく、響の告白は、ある意味輝にとっては『ないこと』になっているのだった。
「ねぇ、いいでしょう?」
響は輝の言葉にハッとする。…ちょっと、思い出に浸ってしまっていたから。
「ん、あ、あぁ、いいよ。どこ行く?」
輝はにっこりと笑って言った。
「カラオケ!」
…それは、響の予想通りの答えだった。