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−ⅰ

「…えーと…」
 昼間とも、夕方とも言い難い時間。
 人気のない山中の街道で、少女は大きな目で瞬きを繰り返した。
 後ろを短く、前髪からもみあげだけ長い髪を左右に分け、額を露わにした少女は、その額に額飾りサジフェスをして覆っている。
 少女の目前に立つ男達は、そんな少女の様子をニヤニヤと見下ろした。
「…何か、ご用でしょうか?」
 一応、訊いてみる――そんな口調で少女は口を開いた。
 少女の疑問に、一人の男は一歩進んで答える。
「実はね、金が無くなって困ってんだよ。俺達」
 男の答えに「はぁ」と少女は曖昧に応じた。まるで呆れているような、ため息のような口調だ。
「で。お嬢ちゃんの持ち物を全部寄こしてほしいな、なんて」
 もちろん、と男…男達のリーダーらしき男…は続ける。
「断ったところで、頂くものは頂くけどな」
 そう言うと、何がおかしいのか他の男達がギャハハッと耳障りな声音で笑った。
 しかし、少女は言われた物騒なことにも「はぁ」と曖昧に応じただけだった。
「荷物を寄こせ、…そしたら、命だけは助けてやるぜ?」
 先程までとは違う男が言った。
 少女…ループルはやはりはぁ、と応じる。
「――荷物寄こせって言ってんだよっ」
 そんな曖昧なループルの反応に男は逆ギレした。
 逆ギレした男の一声を合図にしたかのように、男達は一斉にループルの元へ腕をのばした。
 …と…。
「うわっ?!」
 何も無い所で、男達は何かにぶつかったかのように吹っ飛んだ。
 ――いや、何か激しい衝撃があったかのように、だろうか。
「…なんだ、今のっ」
 吹っ飛んだ男達はじっと手を見下ろした。ガタガタと震えている男もいる。
「な…んだ?! 今のは?!」
 一人の男は喚いた。
「…ち、なんだか知らねぇが…行くぞっ!!」
 男達の反応に『元気だなぁ』などと思い、ループルはマントの内側から、何か…小さな棒のようなものを取り出した。
 ループルの手にしたソレを、再び飛び掛ろうとしたハゲ男…髪を剃った男が見止めた。
「まさか」と、声なく呟く。

 ソレは『エルファ』と呼ばれる、小さな杖だ。
 エルファは大体肘から手までの、腕程度の長さがあり、握るのに程よい太さだ。先端に向かって細くなり、輪が二つと、小指の先ほどの水晶のような石の装飾がある。
 近づいてくる男達を無視するように、ループルは瞳を閉じる。
 ハゲ男の声なき呟きになど知らないように一度息を整えた。
 そして言葉を、呟く。

「ЭеЖјЪљыЪ」

 それは確かにループルの唇が紡いだ。『言葉』のはずで…けれど、聞く者に意味が伝わらないそれは『声』というより『音』にも聞こえる。
 ループルがその『言葉』を紡いだ瞬間…ザワリと、変わった。
 空気が。その場を包む雰囲気ものが。――彼女の気配ようすが。
 襲いかかろうとする男の一人が、ループルの状態に思わず足を止めた。
(…なんだ…?)
 ループルの髪がなびいている。――自分達の周りに、風など吹いていないというのに。
「фКЈЋхЕЖЩ ЁЌІЏЕЖЫ」
 ループルは瞳を開き、男達を見据えた。
 瞳を…薄墨色だった瞳を、金色こんじきにも似た琥珀色に輝かせて!
「Ін」
 男達の周りに突風ともいえるような風が吹く。
 あまりに突然のことに、それぞれが思わず瞳を細めた。
 …そんな時。ループルは手に持つエルファを男達に向ける。
「ЏГІ!!!」
 エルファを向けつつループルが放った『言葉』に、男達はピタリと動きを止めた。
 いや、体が動かなくなったのだ。
 何かに押さえつけられているかのように…動かない。――動けない!
「…終わり…っと…」
 エルファをマントの中に戻しつつ、ループルは呟いた。

 今、男達を襲った突風はない。
 ――だが、ループルの周りには絶えず風がめぐっている。
 彼女の髪は、揺れる。
「ЭкЖјЪљыЪ ЕЇЮУзЩ ллГЮФЕУЧ ЭеЙеЂЮЇЇ РЊЕЮГиЧ」
 ループルは何かを呟いた。…先程よりも長い。
「Ін ллёЯЌЯЇёЃ」
 そして彼女は目を閉じた。何か、聞くように。…何か、探すように。
「――ん、発見」
 ペロリ、と唇をなめながらループルは目を開いた。
 動けないでいる男達に最初の勢いは…もう大分前に、だが…どこにもなく、ループルを見つめる瞳は恐怖で彩られていた。
「お前…なんだ?」
 笑いながら「お嬢ちゃんの荷物を寄越せ」とループルに声をかけてきた男は言った。
「はぁ。ループル、ですけど」
 誰も名前は訊いてないが、ループルは答える。瞳は、琥珀色に輝いたままだ。
「エルファ…持ってるってことは…」
 エルファを見て「まさか」と唇でかたどったハゲ男はループルを見つめつつ唇を震わせた。
「…もしかして、シダズィーエ…」
「ジダジーエ? …なんですか? ソレは?」
 ハゲ男の問いかけにループルは首を傾げる。
「まぁ…お話はあとで…」
 何か言葉を続けようとする男の言葉を無視し、ループルは背を向けた。
「とりあえず、人を呼んできますね」
 ループルは右腕を上げ、呟きと共に仰ぐように下げた。
 ――瞬間。ループルの姿が、消える。ループルの存在が、まるで幻だったかのように。

 さわりと風が吹いた。動けないままでいる男達の頬や髪を撫でた。
「おい…シダ…ジーフェ? ってなんだ?」
 呆然と一人の男が呟いた。
「シダズィーエ」
 言葉にチェックを入れてから、『シダズィーエ』を知るハゲ男は問いかけに答える。
「『力』を使える人間のことだ」
 ハゲ男は忙しげに瞬きをした。
「だが…あんな若いシダズィーエ…」
 いるはずがない、とハゲ男は続ける。
 ――だが。ループルの存在が幻ではなかった証拠に、男達は今も動けない。
「あの言葉…」
 ――言葉ではない。あれはすでに『力』だ。
 それを、スラスラと…しかも、ためらいもなく使うあの少女。
「何者…だ?」
『シダズィーエ』を知るハゲ男の問いかけに答えられるものはおらず、沈黙がその場を支配した。

 本来は日が沈んでからやっと到着したであろう町までの距離を、『風』の力を用いて半時もせずに到着したループルはぼんやりと呟いた。
「…あー…日が沈む…」
 男達に襲われた時には昼間か夕方か…どちらとも言い難い空だったのだが、今はもう、完璧に夕方だ。
 ループルは「どうしよう…」などと考える。
 今からまたあの人達(先程の男達…賊、と表現すればいいのだろうか)のところに戻るには、歩いて行くことになるわけで…どう考えても、賊の元へ到着するのは夜中である。
 自分はまぁ、ともかく。呼んだ――実際はまだ、呼んでいないが――人々が大変そうだ。
「まだ暖かいし…」
 男達の肉付きはそんなに悪くなかった。
「一晩くらい、放置しても大丈夫だよね」
 ループルはそう納得して来た道を多少戻り、町から出る。
「食料は…うん、今夜のご飯分くらいならあるね…」
 ――かくして。ループルは野営の夕食の支度に取り掛かったのである。

* * *

 翌日。
「…と、いうわけで…」
 ループルは町の役人を呼び、昨日の男達のいる場所に案内する。
「ヨロシク」
 男達を捕らえていた風の戒めを解くとループルは役人に男達…賊を引き渡した。
「…君…一人で捕らえたの?」
 引き渡しと搬送が無事終わり、役所の一室で不思議そうに問う役人にループルは「はぁ」と力が抜けそうに答える。
「…う、まぁ…なんにせよ、ありがとう」
 数人いた役人の中でも高位にたつであろう男は言った。
「こやつ等のおかげで被害もでていたのだ。本当に、ありがとう」
 役人はそう言い、ループルに袋を差し出す。
 それを手渡された時、シャラ…という小さな音と共に腕に重みを感じた。
(やった。…そろそろお財布の中身がヤバかったんだよね)
 ループルはペコリと頭を下げ、賞金を受け取る。
 そしてループルは早々に役所から出た。これからも続く旅の道具の準備のためである。
 まずは携帯食だろうか。
 ループルはそんなことを考えながら役場からそう離れていない、市場へ向かう。
 びゅう、と風が吹く。ループルは目を細めた。
 その瞳は輝く琥珀色ではなく、薄墨色になっていた。

 
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