「…馬鹿馬鹿しい。八十、九十のじじぃじゃあるまいし」
目を瞑りながら言ってやる。
『明日目が覚めなかったら』?
妙なことを考えやがる。そんなこと、考えたこともねぇ。
オレは目を瞑ったまま、寝ることに集中しようとする。
「――あと、半年って言われたんだ」
「んぁ?」
半年? と自分の中で繰り返す。
なんのことだかわからない。
「僕の余命が」
ボクノヨメイガ…
――うまく漢字変換ができない。
僕 ノ 余命 ガ
――アト、半年。
脳内でそんな文字変換になって…。
「…?!」
思わず、息を呑んだ。目を開いて言葉の発信源を見た。
何度か瞬くうちに目が慣れて、発信源が見える。…じっと、天井を見ている。
間が、あった。
見ていて――真斗は目が乾くんじゃないかってくらい、瞬きをしてない。
「…眠るのが、怖い…」
暗い中、真斗の声が響く。
耳から入ってきた言葉が、心臓に到達して…絡まって、キリキリするような気がした。
「…このまま、目が覚めなかったらどうしよう…」
言葉が、でてこなかい。
聞き返すこともできない――。
「…明日が来なかったら、どうしよう…」
「………」
それを聞いて、考える。
――真斗の行動と、言葉と…自分の中で、思い返す。
(――だから、ずっと…)
夜更かしをしていたんだろうか。
限界まで、寝ることをしなかったんだろうか。
この一週間、口調が大分あやしくなって…ブツリと途切れるようにして真斗は眠っていた。
(…だから…)
「――だから…」
思っていることと、真斗の声が重なって驚く。
意識せず、息を呑んだ。
「…だから、会いにきたんだ」
静かな声だった。
真斗がオレのほうを見ていると、わかる。
――あと半年で死んでしまうから?
思考の奥深く…口に出すことはない、問いかけ。
「ずっとずっと…会いたかったから…」
真斗が、オレを見ている。
静かな声で――掠れた声音で、言葉を紡ぐ。
雨の降る音が聞こえる。
(――何を言えばいい?)
死の恐怖は…まだ、ない。――わからない。
適当なことなんて言えない。
――雨が降る音が聞こえる。
ガシ、と掴んだ。
…ちゃんと、生きてる。
隣に横たわっている真斗の手。
重なればじわりと――温かい、手。
オレの体温だけではなくて…真斗自身の体温。
「斗織…?」
何を言えばいいか、わからない。
――だから。
答えない代わりに、真斗の手を握る。
「――斗織…」
返事の代わりに、手を握る。
ここにいる。
お前も。…オレも、生きている。
ここに。確かに。…今、ここにいて――ここに、ある。
「…斗織――」
呼ばれても、声では答えない。
何度も。何度も。――何度も。
真斗の、手を握る。
● ● ● ● ●
昨日――土曜日は真斗に付き合わされて買い物に出かけた。
…日曜日。
今日は母さんが夜勤で、昼飯を作ってくれた。
片付けをしながら「明日もまた、寝不足なんだろうか…」と。ふと、そんなことを思った時。
皿を洗い終わって、居間に戻ろうとする。…と、なぜか。
「…どっか行くのか?」
母さんはわかる。夜勤だといっていたから、そろそろ出かける時間だ。
だけど…カバンを背負った真斗が、玄関に座り込んでるのはなぜだ?
「うん。…一週間ありがとね。斗織」
「一週間ありがとね…って…」
オレが言葉を繰り返せば、真斗はニッコリと笑う。
「もともと、そういう予定だったんだよ。――斗織には、言ってなかったけど」
「……」
そういえば、コイツのいる期間なんてものは…聞いてない。
てっきり、もうずっといるのかと思っていた。
「僕がいなくなったら寂しい?」
「いや、全然」
即答してやる。
「…斗織…」
「ずっと2人だったんだ。お前がいて騒がしくてしょうがなかった。いなくなるんだったら清々する」
本心だ。
悲しげな顔の真斗に、言ってやった。なるべく、サラリと。
「気をつけて行って来い」
…オレの弟である、双子の片割れに。
ここもまた、お前の帰る場所として。
『行って、帰って来い』
…気付かなかったら、そのままでいい。
「――…!」
だけど真斗は気付いたようだった。
悲しげな顔が、変わる。
「…うん!」
――いつもの…いつも以上の、笑顔に。
「あ、そうだ」
「一昨日の話だけど」真斗は耳元で小さく言った。少し、重々しく。
――その口調で、思いだす。
土曜日である昨日、真斗があんまりにも…普通に、のほほんとして…うきうきしてたから、忘れていた。
買い物に付き合わされてる最中も…本当に、ニコニコしてたから。
(…あと半年だと言っていた…)
――忘れた、フリをした。
『…だから、会いにきたんだ』
思いだし、目を閉じる。
(――そうか…病院に『行く』のか…)
『行って来い』なんて言わないほうがよかっただろうか。
…でも。
あんな顔で笑ったんだ。言ってよかったと思う。
「あれ、ウソなんだ」
………
「――え?」
「信じた?」
真斗はニッコリ、というよりはニヤリというような笑顔を見せる。
「手、握ってくれて嬉しかった」
………ウソ?
「いってきます!!」
ドアを開けながら、真斗は言った。ドアの外で母さんが「いってきま〜す」と手を振り、「行きましょうか」と真斗に声をかけたのが聞こえる。
…バタンと閉じたドア。真っ白になった頭が、現実に戻る。
(嘘? …じゃあ、オレの悩みっつーかはなんだったんだ?)
…そういえば…なんの病気か…とか、言ってなかった…か?
『あれ、ウソなんだ』
(――いってきます?)
真斗の言葉を自分の中で繰り返す。
――そして。
「………二度と来んなーっ!!!」
オレは、叫んでいた。