それぞれは長いのに、振り返れば時間はあっという間に過ぎている。
10月に文化祭。
11月には音楽発表会。
年末年始を過ぎて…明日は3月12日。
――とうとう入試だ。
● ● ● ● ●
「――おはよう」
「おはよう〜」
母さんの間延びした挨拶。
カーテンを開けた窓からは見事に晴れた空。
入試と関係ないが、今日は洗濯物がよく乾きそうだ。
「はい」と母さんがご飯を盛って差し出した。
――山盛り。
(いや、まぁ、食えないことはないが…)
いつもより多いご飯をジッと見つめるオレに「いっぱい食べてエネルギー補給しときなさい」と母さんは笑顔を浮かべる。
…このご飯は母さん的励ましだろうか。
飯を食い、歯をみがき、カバンの中身を最後にもう一度確認する。
受験票、ふでばこ、財布…。
(よし、大丈夫だ)
受験する高校はチャリで大体20分。
少し早めなくらいでいいだろう。
「じゃ、いってきます」
いってらっしゃい、と言う母さんと目があった。
「とにかく最後までやりきりなさい」
母さんの言葉に、オレは頷くだけで答えた。
● ● ● ● ●
張りつめた空気が教室に満ちていた。
結構早く来たつもりだったが、オレより早いヤツはいる。しかも、思ったよりも多い。
案内にしたがって教室へ移動する。
(ここか…?)
受験票をとりだして、受験票と机の番号を確認する。
…109。ここだ。
オレは席に着いて、参考書を開いた。
『よく出る問題』と赤で囲ってある公式をじっと見つめる。
一時間目は数学だ。
国語よりはまだ、得意だ。
(コレで点数を稼がないと…)
――ガタンッ。
戸の開いた音に、ざわめきが止んだ。
…多分、この時間の見回りをすると思われる先生が入ってくる。
「席について」
…試験開始、15分前。
参考書は開いていたが、頭にロクに入ってないような気がする。
――10分前。
許される限り、目を通す。
5分、3分…2分…1分。
参考書を片付けるように、という指示に緊張感が増した。
キーン コーン カーン コーン…
「それでは、始めてください」
――入学試験開始。
● ● ● ● ●
耳を澄ませば、何かを書く音が絶え間なく聞こえる。
…なんか、自分だけできてないんじゃないか…っていう気分になる。
気持ちが焦るわりに、問題はなかなか解けない。
(あぁ…ったく…)
ぎゅっと首元に爪を立てて、最後から2番目の問題文を読んだ。
『証明せよ』
…証明は得意ではない。
オレはチラリと時計を見上げる。
――9時15分。あと10分だ。
他の問題にちょっと手をかけすぎたかもしれない。
最後の問題にも目を通す。
図と、文章。
『面積を求めよ』
…うん、まだ、こっちのほうができるかも。
オレはひとまず証明を後回しにすることにした。
並んだ三角形と問題文を何度も見比べる。
(ABが6pでEFが9pだから…)
・
…
・
……空
・
………白
・
―― … … ――
・
(……?)
頭の中が、真っ白になった。
今、考えていたことが…今まで考えていたはずのことが、消える。
(――え…?)
今、何を考えていた?
一瞬、自分がどこで何をしているのかさえわからなくなる。
今は――入試だ。
(あぁ、そっか…これを解こうと…)
――しているところだったか。
なんとなく、頬に違和感があった。
肘をつき、手のひらの上にアゴをのせる。
――と…なぜか。
(……?)
触れた指先が何かに濡れた。
オレは頬を手のひらで拭う。
(――なんで?)
違和感の正体は、水。
(――涙…?)
しばらく考えたが、気を取り直した。
今は違和感の原因を考えるような暇はない。
あと8分で、終わりだ。
● ● ● ● ●
「お疲れさま〜」
今日は、母さんは休みだったようだ。
玄関の戸を開けると、待ち構えていたように立っていた母さんに「ただいま」と言う。
緊張した一日だった…。
数学は結局、証明問題の途中で時間が終わってしまった。
――とりあえず。
『どうだった?』とは言ってほしくない…。
「今夜は母さんが夕飯用意するわね。何食べる〜?」
…オレの願っていることがわかっているのか、母さんは「どうだった?」とは言ってこない。
「うまいもの」
「それは、母さんも賛成だけど」
オレは制服から私服に着替えた。背伸びをする。
「今日は誕生日でしょ? ちょっと豪華にお寿司にでもしてみる?」
入試も終わったしね、と続けた母さんの言葉に「あ」となった。
…そういえば、今日はオレの誕生日だった。
誕生日と入試が重なってるって…いいんだか悪いんだか。
「はい」
腰を下ろすと母さんから紙袋が手渡された。
何年か誕生日プレゼントなんてもらってなかったが、今年はくれるんだろうか。
…とか思ったが、大きめの封筒だった。
オレに渡されたから当然かもしれないが、宛名にオレの名前が記されている。誰だ? と思って、そのまま裏を見た。
「………」
「誕生日おめでとう」
のほほんと、母さんは言った。
オレの視線の先には、住所と名前が記されている。
『小月真斗』
「………」
「嬉しい?」
言いながら、ニコニコと母さんは笑う。
「………忘れた頃にくるんだな…」
母さんに対して返事をしないまま、呟いた。
そういえば、あと一ヶ月もしないうちに初めて会った時から一年になるのか。
2回目は、半年くらい前…9月だったか?
(…何が入ってんだ…)
開けるのが、少し躊躇われる。
触った感覚からして、多分本だ。
「開けないの?」
…中身を知りたいらしい母さんの声に後押しされて、オレは封筒を開いた。
「………」
中身は。
「本ね」
予想どおり、本だった。
――本だったのはともかく…
『いとしい きみへ』
タイトルをじっと見る。
どんなに見たって変わるはずもないんだが…。
………『いとしい』って…――『愛しい』?
「………」
「せっかくだから読んでみたら?」
夕飯まで時間はあるし、という母さんの声は耳の右から左へ。
こぼれたのはため息だった。
なに考えてんだ、アイツは…。
(ナニが『いとしい』だ…)
表紙をめくった。
…真斗のものだと思われる字。
『誕生日おめでとう
真斗』
黒の、サインペンか何かで書いたんじゃないかと予想する。
夕飯は母さんが用意してくれるという言葉もあった。
入試も終わったし…暇だし、目を通すことにした。