みちるは思わず「えっ」と声を漏らしてしまった。
(『罰』? 『罰』って何やらされるの…?!)
みちるの(見てわかる)慌てぶりに女性はまた、小さく笑った。
「恐がらずともよいと申したはずじゃ」
女性の言葉にみちるは赤面する。そんなにも『恐い』という表情をしていただろうか。
そんなみちるの心情を知ってか知らずか。女性は言葉を紡ぐ。
「わらわは非常に暇をしておる。今日、客人が来るのだがそれまでわらわの相手をしておくれ」
…つまり、話し相手をしろ、ということであろうか。
みちるは女性に『長居はできない』ということを伝える。
「そうか…。まぁ、客人もすぐにくるじゃろう。そんなに長居せずとも大丈夫じゃ」
お入り、と言葉は続く。
みちるはしばらく迷ったが、お邪魔することにした。靴を脱ぎ、対屋の階段を上がる。
「ついておいで」
女性に言われるまま、みちるは女性のあとについていく。
「此処にお入り」
女の指さす部屋には大福があった。
ちなみに『チョコン』なんてものじゃない。『山盛り』といってもおかしくないような量である。
女性はみちるに部屋を示すとどこかに行ってしまった。
座っていいものか、どうしようか、とみちるは戸惑う。視線を庭へむけた。
…寝殿造りに本当に忠実らしい。
寝殿造りの特徴に、池があることは述べたが…庭が、本当に美しい。
平安時代にタイム・スリップしたような感覚。みちるは見惚れた。
と、その時。
「そなた、名をなんと申す?」
女性は簾の向こうに腰を下ろしたらしい。人影が見える。
みちるはその声にちょっと動じながら腰を下ろした。
座り、「みちるといいます」と答える。
「みちるか…」という女性の呟きを聞きながら、みちるは思った。
女性の名はなんなのだろうか、と。
「あのぅ…」
声の感じからして年上だよね、と考え、訊いてもいいのかなと思ったが、自分の中に起きた好奇心に負けた。
「お名前、訊いてもよろしいですか」
「名前、か?」
少し雰囲気の変わった女性の声に、みちるは「だめならいいんですけど」と返す。
(訊いちゃいけなかったかな)
そんなことを思った。
みちるの記憶が正しければ平安時代では、名を教えることは『結婚О.K?』という意味になる…ような気がした。
建物ばかりでなく、この女性も平安時代に忠実に、忠実にと生活しているのならば、名を明かすのがイヤなのかもしれない。
「…そなたが考えてくれてもよいぞ」
「へ?」
女性の意外な提案。
「呼び名がないのも不便であろう?」
まあ、確かに。
うーん、とみちるは考えるような顔つきをしていると、女性は笑いながら言った。
「そなたの想い人の名でもよいぞ?」
想い人…。
みちるは、彼女を思った。想う彼女を。
そして『ああ』と思う。
女性は雰囲気が『誰か』に似ていると思った。…彼女が大人になったら、こんな女(ひと)になるのだろうか。
烏の濡れ羽色よりも深い髪の色。
凛とした声。
「では…」
彼女を思った。告白にも似た緊張感。女性は、彼女を知らない。
「かおる…と」
風が通り抜けた。
女性の香だろうか。優しい香りが風に混ざっていた。
「かおる…か。それがそなたの想い人の名か?」
みちるはその問いに答えず、小さく微笑む。
女性はそれを肯定ととったらしかった。
「お食べ。我が家のばばが作ったものじゃ」
「そういうことは上手だからきっと美味かろう」と女性は続けた。
「あ、いただきます…」
みちるは女性の言葉に甘えて、大福に腕をのばした。
口に広がる甘すぎない上品な甘さ。
「おいしいっ」
みちるは声をあげた。
「そうか、それはよかった」
女性の…『かおる』の言葉が聞こえた。
「今、茶を用意させる」
「え、そ、そんな…」
「よい。気にせずにお待ち」
『かおる』の優しい叱りを受け、みちるは恐縮してしまう。
「お待たせしました」
唐突に横から声がした。全然、というくらい待っていない。
「ありがとうございます…」
と、持ってきてくれたであろう人に礼を言ったのだが…。
「…あれ?」
その相手の姿はなく、ゆらゆらと湯気のたつ湯飲みがあるだけだった。
「ああ、柏部は見慣れる人に顔を見せるのが気恥ずかしいのじゃ」
「あ、そうなんですか…」
…気恥ずかしいにしても、えらい瞬間的行動じゃなかったか?
みちるはそんなことを思ったが、口にはしない。
「そうじゃ、そなたに問おうと思っていたのだが」
「はい?」
一つの大福を飲み込み、少し熱めのお茶にフーフーと息を吹きかけながらみちるは『かおる』の言葉の続きを待つ。
「そなた、男か?」
くるくると大きな瞳。天然パーマがかかった柔らかそうな髪…。
みちるはぱっと見性別の区別の付けづらい容姿をしていた。
服装も、別に女の子が着ていても変ではないものだ。
「そうですけど…」
(「おのこ」って確か、男っていう意味だったよなぁ)
なぜそんなことを訊くのだろう、とは思ったが、みちるは素直に問いに答えた。
「そうか…」
簾の向こうで、そんな『かおる』の声が聞こえた。
その時彼女は、微笑んでいた。
…例えていうならば、数年後、砂倉居学園に転入した時に小河美千代氏がかおるに目を付けた時のように…笑っていた。
――簾越しのみちるが気づくなんてことはできなかったが、その時『かおる』は、笑っていたのだ。