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9,9月4日/憂鬱…?

 今日はいいことあったなぁ…
 小河氏は何事もなかったかのように布団に潜り、寝息に近い息継ぎを始めた。
 眠りの淵へと落ちる、数歩前。
 その時、物音がした。「コト」とかならば小河氏も無視したであろう。
 しかし…
 ミシ…ミシ…バッターンッ
 これはさすがに無視する気にはなれなかった。
 ガバリと起きる。周りを見渡す。
 今の音はたぶん、入り口の方から聞こえた。
 何事か、と判断しようとしたが――
 だが、音の発信源はもう、来ていたのだ。
「き………!!!」
 それは叫びに変わるはずであった。だが、小河氏は突如布団の上に押し倒され口を塞がれていた。
 そいつの唇によって。
(こんの不届き者ーっっ! わたしの唇を奪おうなんて100年早いわーっっ)
 その時ふさいでいた目をきっと開いた。
(唇をかんでやるわっ。わたしの唇を奪ったのだから、そのくらいの対応、当然よっ)
 月明かりにそいつの顔が見えた。もっとも小河氏の目が慣れていたということもあったが。
「!」
 小河氏はその少年を見たことがなかった。
 その少年に似た少女は見たことがあったが、その少女のはずがない。
 なぜならその『みちる』という少女に、…あの、のほほんとしたように見える少女に、自分を睨みつけるような鋭さはないと思えたからだ。
 しかし、よく似ている…。
 その少年は怒りに満ちた顔で言葉を発した。
「――かおるに触れるな」
 それだけ言うと、みちるに似た少年は去っていく。

 小河氏はしばし呆然と天井を見上げる。
 ヘニャ、と表情が緩んだ。
 ――みちるが去っていった後の、小河氏の第一声。
「……すてき…」
 ――小河氏は今、かおるの事など頭の片隅にもなく、みちるに『似た』少年が忘れられずにいた。

 

「かおる!!」
 勢いで部屋から出て行ったみちるを最初に見つけた人はかおるだった。
「…みちる、ちょっと来い」
 そう言ってみちるの腕をつかむと、みちるからすれば、Uターンをする。
 …小河氏の部屋に向かっていた。
「かおる!」
 どこに行く気なんだ?! と、かおるに叫ぶ。
「…謝りに行く」
 言葉に目を丸くする。
 丸くして、その相手がすぐに想像できて――みちるは、腹立たしく感じた。
「なんで? あのひと、かおるにキスしたんだろ! 無理やりやられる気持ちを思い知ればいいんだっ」
「――だがな、みちる」
 引っ張りつつもその後を続けようとしたかおるだったがもう、小河氏の部屋の前に着いてしまった。
 乱暴に壊されたドアの前で、かおるは続ける。
「前、みちるが賢いことを教えてくれただろう?」

 …
 少々の間。みちるは思い付かない。何か賢い事を言ったことがあっただろうか?
「――何のこと?」
「嫌な思い出は忘れてしまえばいい。嫌なキスは忘れてしまえばいいって」
 かおるのことばにみちるは瞬いた。
 腹立たしい気持ちは、少し治まっている。

『嫌な思い出は忘れてしまえばいい。嫌なキスは忘れてしまえばいい』
 みちるはしばし考えた。
 考えて、考えて…
(…そう言えば…)
 前にそんなことを、言った…気がする。
 でもあれは確か思いつきで言ったことなのに、かおるは覚えているのか…。
「そう…だね。そんなようなことを…言ったような気も、する」
「だから、嫌なキスは忘れるんだ」
 一呼吸だけ間をおいて続きを言う。

「やられたらやり返す、なんていうのは…優しい気持ちだけでいい」
 かおるの言葉にみちるはひとつ、息を吐き出した。
 ――返すのは、優しい気持ち。
(…あぁ、そうだ。僕は…)
 かおるの言葉に瞳を閉じる。
 微かに俯いたみちるにかおるは軽いデコピンをかまして、みちるの背中を押した。
「さぁさ、部屋に入った、入った」

「ごめんなさい! うちの弟がっ!」
 開口一番、かおるはそう言った。
「…へ?」
 小河氏はよく、分からなかった。
 突然現れた麻生みちる(女・小河氏仮定)に似た少年のことでぼんやりしていたら麻生かおる(男・小河氏仮定)が現れ…
「――え?」
 小河氏は素っ頓狂な声を、出す。
 だって、かおるは男で…そのかおるの横にいるのは、みちるで――女の子で…。
「…へ?」
 小河氏はもう一度聞き返してしまう。
「あ…の…。もう一度言ってくれる?」
「だから、悪かったって言ってんだろ!」
 乱暴な口調の、みちる(女・仮定)。
「いやその部分じゃなくて…」
 へ?
 小河氏の頭の中ではてなマークは消えない。尽きることはない。
「実は…」
 かおるは苦笑する。
「みちるは男なんです」
「ついでにかおるは女なんだよっ」
 生徒を襲うなっ!! と、教師を襲ったみちるが棚上げしながら言った。

 
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