佐野は息を吸い込んだ。落ち着こうと努力する。
「かおるに近づくな! かおるに近づいていいのは…触れていいのは光兄さん…だけなのだから!」
みちるはそれだけ言ってこの部屋を出ようとする。
怒りはまだ収まらないらしい。ドアを乱暴に開ける。
「待て! お前…まさか…まさかとは思うが…」
人の話は最後まで聞く。
みちるは真面目な父親にそう、教え込まれていた。
どんなに気にくわないヤツでも最後まで話を聞く。
…たとえその言葉が自分にとって不愉快、不利であっても。
「自分の兄弟のことが好きなのか…?」
佐野はゆっくりとそう言った。
まさか、まさか…。
みちるは振り返る。――事実を指摘された顔をして。
「おい、オレは…オレは言ったぞ。自分の気持ちを。だから、お前も言え」
みちるはドアを閉めた。閉めた本人は生徒会室の中に残る。
「…悪いかよ」
みちるは小さな声、だがよく通る声でそう言う。
「悪いことか? 自分の姉妹を1番大事に思うことは」
「お前のは、いきすぎて…」
「――しょうがないだろ!」
言いながら、みちるの顔が、それにあわせて歪む。
「好きになろうとしたよ! 他の人を! 魅力的な人を捜した! …毎日、毎日他の人のことを考えようとした!」
その思いは、叫びにも似ていた。
佐野はその激しい思いに息を飲み込んだ。
「でも、1番最初に思い出すのはかおるなんだ! 1番、触れたいと思うのはかおるなんだ!」
みちるはぐっと両手を握りしめた。
ぐっと、瞳を閉じた。
――溢れそうなものを、溢れさせまいと。
「…かおるに想いが届くことはない…。なら、かおるの幸せを願うだけならいいだろ? かおるの想う人以外近づけたくなくなるのはしょうがないじゃないか!」
それを聞いたあと、佐野はさらに息を飲み込んだ。
「…かおるの、想う人…?」
「――そーだよ。始めて僕の気持ちに気づいたのがその人! 認めてくれたのがその人!」
少し息をあげる。みちるは袖口でぐいっと顔を拭いた。
「その人以外には触れさせない。かおるを誘惑するヤツは僕が許さない」
…なびいてもかおるのせいではない。すべて、誘った方が悪いのだ。
「…その婚約者っつーのは、『光兄さん』?」
ぼそっと尋ねる。
「そうだ」
そう言った後にみちるは「しまった!」という顔をする。
婚約者が『光兄さん』。
――婚約者が、男だと言ったなら。
…これでは、かおるが女だと言っているようなものではないか。
(かおるに怒られる!)
「――ハ、ハハハ」
佐野はさもおかしそうに笑う。
「かおるって、女だったのか…」
「内緒! ばれたら困るんだから! かおるがこの学園からいなくなるよ!!」
佐野は困った笑い方をする。
「いいことを教えてやる。オレな」
チョイチョイと手を上下させる。
みちるはそれに従った…従ってしまった。
従いながら、ふと思う。
――佐野はかおるを好きだと言った。
…ならば、佐野はかおるを女だと、分かっていたんじゃ――?
「…!!」
みちるはざざーっと後退りする。
みちるは走り出した。
「おーい、ひとの話は…」
そんな声が聞こえるが、かまうものか! 今日は父さんの言うことは、とても聞いていられない!
みちるは左手で頬をこすりながら猛ダッシュする。
――みちるは告白を聞いたのだ。
佐野一紀の、…多分、トップシークレット。
(会長、会長って!!)
「うーん。今度はみちるを狙おうかな…」
あの反応が新鮮だ。佐野は腕を組みながらコクコクと頷く。
…佐野一紀。
かおるを『男』と思って惚れていた――俗に言う『ホモ』だった。
「た、ただいまーっ!!」
勢いよく自分の部屋をあける。
部屋には、かおるがいた。
机にうつぶして、眠っている。いろいろな紙が机の上に散乱していた。
みちるはその、起きているときには見せない、あどけないかおるの顔を見て小さく笑う。
(信用されてるんだなー)
近くにいることを許されているなんて、これほどの名誉があるだろうか?
抱き上げるとベッドに横たわらせた。布団を掛ける。
その寝顔を見つめ、髪をあげた。サラサラとこぼれ落ちる。
すべすべの肌。
みちるはその頬に口づけをした。
…穏やかに眠る少女を見て思う。
『君が誰よりも幸せであるように』
『高野真くん、お電話が入っております。至急、事務室までいらして下さい』
「真、呼ばれたぞ!」
「言われなくてもわかるっ!」
16歳にしては小さな方ではないだろうか? かおるの方が5cmは高い。
「失礼します。高野です」
そして電話を取る。はきはきと真は受話器に言った。
「真です!」
『真か? 俺だ』
「父さん? どうしたの?」
『いやぁ、また、拾いモノをしてな』
「…またぁ? 今度は何?」
確か、オーストラリアだかにこの人は行ってたはずだ。
まさか、キリンの子供ってわけではないよなぁ? 捕まっちゃう!
『記憶をなくしてる、少年なんだ』
「父さん、それ、誘拐…」
『身元が分かんないんだよ』
「…で、何で僕にわざわざ報告すんの?」
『あぁ、一応新しい家族が増えたことを報告に…』
「あっそ」
『う、真が冷たい…反抗期か?』
「あー、もう、じゃーねっ! 切るよっ」
『あーそうそう。ちなみにその少年の名前、かおるにしといた』
「? なんで?」
『その言葉をたまに言うんだよ。記憶の糸口になるかもしれないし』
「はいはい。じゃーね」
『じゃーな』
…会話になってないような会話をうち切る。
『かおる』…。
「――五条かおると縁があったりして」
9月に転校してきた有名人を思い出し、そんなことを呟いてみる。
(…ま、そんなことはないだろーけど)
真はゆっくりと事務室を出ていった。
真の父、高野研。電話をきったとたん、オーストラリアで拾った少年が目を覚ました。
「お、目が覚めたか? かおる」
「…会いたい」
まだ、夢を見ているような瞳でぼーっと見つめる。
「へ?」
「か…にあ…たい」
カ オ ル ニ ア イ タ イ
か細い声で少年はそれだけ言うとまた眠りのそこに落ちていった。
砂倉居学園−君が幸せであるように−<完>
2000年 1月26日(木)【初版完成】
2007年12月25日(火)【訂正/改定完成】