「落ち着きましたか?」
真の母…嘉美というのだが…は、そう言って紅茶を二人の前に差し出した。
「すみません…取り乱してしまって…」
かおるは半ば顔を伏せるようにして、言う。
みちるは「ありがとうございます」と礼を言った。
「残念でしたわね。…その、お知り合いの方ではなくて…」
嘉美はそう言いながら真、真の父…研、それから『かおる』の分の紅茶もそれぞれに差し出す。
「偶然が…そう簡単にあるはずが、ないですよね」
かおるは小さく呟いた。
(私が泣くような理由は…ない)
かおるは根元を拭いながら言った。
(――期待した私が悪いんだ…)
「かおる…サン?」
『かおる』は、おずおずと呼びかけた。
かおるは…本当のことを言えば、泣きはらした顔で相手を見ることなどしたくはなかったのだが…顔を上げた。
『かおる』を見つめる。
金色の髪と、日に焼けた…けれど、日本人よりも白い肌。
――少しくすんだ青い瞳。
「はい」
…何度見ても――当然なのだが――光では、ない。
「…」
『かおる』はじっとかおるを見つめ続ける。
気恥ずかしくなり、かおるは思わず俯いた。
「アァ、ゴメンナサイ」
『かおる』は慌てて呟く。
「女性の顔を不躾に見つめて…」
その時、『かおる』はわずかに顔をしかめた。
…みちるは、そんなことに気付く。
「大丈夫ですか?」
みちるは『かおる』に呟いた。
「あ…ハイ。大丈夫…」
また痛むのか。『かおる』はこめかみに指を当てた。
「あら、大丈夫?」
嘉美は『かおる』に問いかける。
「頭が痛むのかい?」
研も、続けて問う。
「ハ…イ…」
「部屋で休むかい?」
研の言葉に『かおる』は頷くことで答える。
「連れて行こう。嘉美、あとは頼んだぞ」
「あ、はい」
『かおる』は研に連れられ、居間を出て行った。
かおるとみちるは紅茶が飲み終わると、立ち上がった。
「突然お邪魔して、申し訳ありませんした」
「そんな。一向にお構いもせず…」
嘉美は早々に立ち上がった二人を見て、慌てて立ち上がった。
「高野も…突然のことだったのに、家に上がらせてくれてありがとう」
かおるはそう言って頭を下げた。
「あ、そんな…」
なぜか真は慌てた。
…かおるの涙を見たせいだろうか。
「駅まで送ろう」
真の家に来る時に車を運転していた男が、二人にそう声をかけた。
「あ、ありがとうございます」
みちるは礼を言う。
真は「僕も送る!」と車に向かって走った。
沈黙の約十分。
車は駅に着き、二人は車から降りた。
「ありがとうございました」
運転した男に礼を言い、駅に向かう。
「…五条!」
真の呼びかけに、まずはみちるが…そしてかおるが振り返る。
(元気出せ!)
――真はそう、言おうと思って…止めた。
「…また、休み明けにな!」
かおるは数度瞬きをする。そして、微笑んだ。
――それは、悲しげに。悲しいのに、無理に笑うように。
「…じゃあ、な」
真はかおるの言葉が微かにしか聞こえなかった。
「五条…」
思わずこぼした呟きは、かおるに…みちるに、届くことはなかった。
「かおる…」
みちるはかおるの顔を覗きこむ。
「……」
かおるはクルリと方向転換する。
――みちるは、かおるの手に触れた。
「帰ろう…か」
「…あぁ」
かおるはみちるに手を引かれながら答えた。
電車に乗り、二人は黙々と帰る。
言葉少なく…いっそ、会話がないといえるほど。
「…ただいま」
みちるはドアを開けながら言った。
そんな声に、母…爽子はパタパタと二人を出迎える。
「おかえりなさい!」
視線が一度かおるに注がれ…わずかに赤くなった瞳を見つめ。
――そして、みちるを見つめた。
言葉なく。ただ、みちるを見つめた。
…ただ、みちるを。
「何か食べる?」
「父さんが帰ってきてからでいいよ」
みちるは上着を脱ぎながら爽子に言った。
「じゃあ、私は二階にいるね」
「ええ」
かおるは階段を上り、爽子の耳にパタン、とドアを閉める音が聞こえた。
「みちる」
爽子はみちるを見つめ、答えを求める。
『友達の家に…光兄さんが居るかもしれないんだ…』
みちるは自らの言葉を思い出した。
「…光兄さんじゃなかったんだ」
みちるの言葉に爽子は「…そう…」と、呟きをもらす。
それは、かおるの様子でなんとなく想像できた。
心から残念そうに、爽子は呟く。
――小さなため息がこぼれた。
「…そう…」
「オーストラリアに居て、男。しかも『かおる』という呟きをこぼしていた」
みちるは一度瞳を閉じ、ゆっくりと開いた。
「偶然…にしてはできすぎだとは思わない?」
「…そう…ね…」
爽子はソファに腰掛けながら答える。みちるも椅子に腰を下ろした。
「でも、光兄さんじゃなかった。そもそも、日本人じゃなかったんだ」
「…それは、光さんじゃないわね…」
ふぅ、と爽子はもう一度ため息を漏らす。
「多分、西洋の方の人だと思う」
金色の髪。
日に焼けた…けれど、日本人よりも白い肌。
――少しくすんだ青い瞳。
みちるの脳裏に『かおる』の姿が思い浮かんだ。
かおるは自室に入ると、荷物を半ば放り投げ、ベッドにボフンと横になった。
うつ伏せの状態である。
…そして。
「……」
唇をかんだが、『それ』を止めることはできなかった。
「…っ」
『それ』を――涙を、止めることができなかった。
泣かない、と。決めたはずだ。
自分は『男』として過ごしているのだから。
『男』はそう簡単には、泣かないものだ。
自らを、頭の中で戒める。
泣くな。泣くな。泣くな。
光は、帰ってくる。
…泣いて、どうする。自分が、信じなくてどうする。
デ モ
――光が帰ってくると。自分が信じなくて…。
ア レ カ ラ モ ウ ス グ 一 年 ガ 経 ツ …
かおるは布団に顔をうずめた。
(本当なら…)
光のボランティア期間は一年のはずだった。
(…本当なら…)
そろそろ、帰ってくるはずなのに。
光が日本を離れオーストラリアに向かったのは今から約一年前…。
去年の四月のことだった。
…そして。行方不明になったのがその一ヶ月後の五月。
「…ひ…」
光、と。
口の中で小さく呟いた。
――当然、答えはない。
(帰ってきて…)
帰って、自分を。
――自分の名を、呼んでほしい、と。
自分の名を呼んで…笑ってほしいと。
「…光…」
かおるは、もう一度その名を呟く。
そして…ゆっくりと瞳を閉じた。
――その瞬間。涙が頬を滑り、布団をわずかに濡らした。
ぱち。
ベッドに横になっていた男は、目を覚ました。
「? 『かおる』、具合はいいのか?」
勢いよく起き上がった、先程頭が痛んでいたらしい『かおる』に、研は問いかけた。
『かおる』は研の顔を見つめ、言った。
「「先程の人は?!」」
研は一度瞬きをした。
…今まで、――片言ながらも――日本語を喋っていた『かおる』が、英語で研に問いかけたのだ。
「「先程の人、とは?」」
研も英語で問いかける。
『かおる』は何度も瞬きをしながら言葉を紡ぐ。
「「思い出した…思い出したんだ」」
研は言葉の続きを待った。
「「『かおる』という少女のことを…オレは」」
研は目を丸くした。
かおる、という少女?
…かおるとは…先程家にいた、真の友人のうちの一人のことだったはずだ。
黒髪に、黒い瞳の。
…見た感じでは、少年のように見えたが。
(少女…だったのか?)
「「高野さん、先程の…かおるは?」」
「「お帰りになったはずだが」」
『かおる』は頭をわずかに振った。
「「あぁ…もう少し早く思い出していれば!」」
『かおる』に、研は問いかけた。
「「記憶が…戻ったのかい?」」
その言葉に『かおる』は一度研の顔を見つめ、コクリ、と頷いた。