「ただいま!」
五条家に、そんな声が響いた。
…その声は、みちるではなく、かおるのもの。
双子の母、爽子は「珍しいわね」などと思いながら、「お帰りなさい」と返す。
――バタンッ!
“乱暴”と言える音をたて、かおるは爽子のいる居間に入った。
「母さん!」
…本当に、珍しい。
かおるがこんな様子なのは。
…いや、光がいる頃は大抵こんな様子だったか、と爽子は思い直す。
「光が…光が!」
「…光さん? 光さんがどうしたの?」
かおるの瞳に宿るのは、絶望…ではなく。
明るい、希望にも似た輝き。
「いるんだ! …オーストラリアに、いるんだよ!!」
そんなかおるの言葉に爽子は瞳を見開く。
そして、かおるの後に続いて居間に入ったみちるを見つめた。
みちるは小さく頷く。
「…そう…なの…?」
爽子は口元を覆った。
「光さんは…オーストラリアに…」
『ヒカリのことです』
…ブルーは、言った。
ブルーは光と同じように、オーストラリアでボランティア活動をしていた。
光と年頃が近かったからか、二人はすぐに親しくなったそうだ。
…そして。
光は…光と、数人のボランティア活動をしていた人々は。
ある日突然、襲われた。
ブルーもそのうちの一人だった。
襲ってきた男たちの目的が何だったのか、わからない。
ただ、傷つけられた。
…そして、連れ攫われたのだ。
――男たちの目的は、わからない。
なぜか光とブルーとだけを車に無理やり乗せ、そして。途中で…捨てた。
何だったのか。
何だったのか。
何だったのか。
わからない。…わからなかった、けれど。
ともかく、光が大怪我をしていたことは本当。
ブルーは何もないところで簡単な治療――自分の服を破いて止血を施し、人を探した。
奇跡といえた。
光を抱えた状態のブルーの目前に、町があったのだ。
ともかく治療を、と。
ブルーは光をその町に預けた。
光より断然軽傷だったブルーは、元居た場所…ボランティア団体に連絡を取った。…取ろうとした。
だが。
その町に、電話がなかった。
地図を見れば、(車で連れ攫われた割には)そんなに遠くもなく、ブルーは地道ではあったが、歩いて元居た場所に戻ることにした。
町の人々と、町医者に光を任せ。
――そう。ブルーの連絡が届けば、光が“行方不明”という事態に陥らなかったのだ。
しかし…。
ブルーの連絡は、ボランティア団体に届かなかった。
――なぜなら、ブルーが記憶を失ってしまったからだ。
ブルーは、光より軽傷だった。しかし、頭部を殴られていたのだ。
元居た場所に着いたものの、ひどい頭痛と疲労で、ブルーは眠ってしまった。
…光のことを報告する前に。
眠りから覚めたブルーは、記憶を失ってしまった。
――ブルーは自分がなぜここにいるのか、わからなくなってしまった。
…そもそも、自分は誰なのか。何者なのか…そのことも。
『かおるに会いたい』
ブルーの中でそんな言葉だけが、頭に残っていた。
かおる? 会いたい?
…わけがわからない。
記憶を失ったブルーは一度自国…イギリスに戻ったものの、再度オーストラリアに戻った。
記憶を取り戻すには、イギリス…自分の記憶にはない、自分の家ではなく、オーストラリアのほうがいいような気がしたのだ。
ブルーの頭に残っている言葉は『かおるに会いたい』。
…時折、黒髪の少女の顔も思い浮かぶ。
黒髪の少女が『かおる』なのだと、どこかで悟った。
だが、自分の家族だという人々に、そんな黒髪の少女の知り合いはいないはずだ、とブルーは言われた。
だから。
オーストラリアで。
『どうしたんだい?』
少女と同じ、黒髪の人が自分に声をかけてくれたとき。
『記憶がない?』
あの少女の手がかりをつかめるのではないか、と。
『帰る場がない? …では、私と共に行こう』
帰る場は…あった。
イギリスに。
…自分の家も、わかっていた。
だが。
自分の記憶にない自分の家に戻ることよりも、『かおる』という少女に会いたかった。
――本当に小さな可能性といえた。
だが0%ではない。
…そう、自らに言い聞かせて。
ブルーは、高野研…真の父と共に、日本に来たのだ。
「静児さん…。静児さんに、連絡しなくては…」
爽子は二人の話を聞いて立ち上がった。
そして、電話をかける。
「――あ…もしもし、富士原さんの…」
かおるは爽子を見つめる。
しきりに、瞬きをした。