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6,記憶/ブルー

「ただいま!」
 五条家に、そんな声が響いた。
 …その声は、みちるではなく、かおるのもの。
 双子の母、爽子は「珍しいわね」などと思いながら、「お帰りなさい」と返す。

 ――バタンッ!
 “乱暴”と言える音をたて、かおるは爽子のいる居間に入った。
「母さん!」
 …本当に、珍しい。
 かおるがこんな様子なのは。
 …いや、光がいる頃は大抵こんな様子だったか、と爽子は思い直す。

「光が…光が!」
「…光さん? 光さんがどうしたの?」
 かおるの瞳に宿るのは、絶望…ではなく。
 明るい、希望にも似た輝き。
「いるんだ! …オーストラリアに、いるんだよ!!」
 そんなかおるの言葉に爽子は瞳を見開く。
 そして、かおるの後に続いて居間に入ったみちるを見つめた。
 みちるは小さく頷く。

「…そう…なの…?」
 爽子は口元を覆った。
「光さんは…オーストラリアに…」

 

『ヒカリのことです』
 …ブルーは、言った。

 ブルーは光と同じように、オーストラリアでボランティア活動をしていた。
 光と年頃が近かったからか、二人はすぐに親しくなったそうだ。

 …そして。
 光は…光と、数人のボランティア活動をしていた人々は。
 ある日突然、襲われた。
 ブルーもそのうちの一人だった。
 襲ってきた男たちの目的が何だったのか、わからない。
 ただ、傷つけられた。
 …そして、連れ攫われたのだ。
 ――男たちの目的は、わからない。
 なぜか光とブルーとだけを車に無理やり乗せ、そして。途中で…捨てた。

 何だったのか。
 何だったのか。
 何だったのか。
 わからない。…わからなかった、けれど。
 ともかく、光が大怪我をしていたことは本当。
 ブルーは何もないところで簡単な治療――自分の服を破いて止血を施し、人を探した。

 奇跡といえた。
 光を抱えた状態のブルーの目前に、町があったのだ。
 ともかく治療を、と。
 ブルーは光をその町に預けた。
 光より断然軽傷だったブルーは、元居た場所…ボランティア団体に連絡を取った。…取ろうとした。
 だが。
 その町に、電話がなかった。
 地図を見れば、(車で連れ攫われた割には)そんなに遠くもなく、ブルーは地道ではあったが、歩いて元居た場所に戻ることにした。
 町の人々と、町医者に光を任せ。

 ――そう。ブルーの連絡が届けば、光が“行方不明”という事態に陥らなかったのだ。

 しかし…。
 ブルーの連絡は、ボランティア団体に届かなかった。
 ――なぜなら、ブルーが記憶を失ってしまったからだ。

 ブルーは、光より軽傷だった。しかし、頭部を殴られていたのだ。
 元居た場所に着いたものの、ひどい頭痛と疲労で、ブルーは眠ってしまった。
 …光のことを報告する前に。
 眠りから覚めたブルーは、記憶を失ってしまった。
 ――ブルーは自分がなぜここにいるのか、わからなくなってしまった。
 …そもそも、自分は誰なのか。何者なのか…そのことも。

『かおるに会いたい』

 ブルーの中でそんな言葉だけが、頭に残っていた。
 かおる? 会いたい?
 …わけがわからない。

 記憶を失ったブルーは一度自国…イギリスに戻ったものの、再度オーストラリアに戻った。

 記憶を取り戻すには、イギリス…自分の記憶にはない、自分の家ではなく、オーストラリアのほうがいいような気がしたのだ。

 ブルーの頭に残っている言葉は『かおるに会いたい』。
 …時折、黒髪の少女の顔も思い浮かぶ。
 黒髪の少女が『かおる』なのだと、どこかで悟った。
 だが、自分の家族だという人々に、そんな黒髪の少女の知り合いはいないはずだ、とブルーは言われた。

 だから。

 オーストラリアで。
『どうしたんだい?』
 少女と同じ、黒髪の人が自分に声をかけてくれたとき。
『記憶がない?』
 あの少女の手がかりをつかめるのではないか、と。

『帰る場がない? …では、私と共に行こう』
 帰る場は…あった。
 イギリスに。
 …自分の家も、わかっていた。

 だが。
 自分の記憶にない自分の家に戻ることよりも、『かおる』という少女に会いたかった。
 ――本当に小さな可能性といえた。
 だが0%ではない。
 …そう、自らに言い聞かせて。
 ブルーは、高野研…真の父と共に、日本に来たのだ。

 

「静児さん…。静児さんに、連絡しなくては…」
 爽子は二人の話を聞いて立ち上がった。
 そして、電話をかける。
「――あ…もしもし、富士原さんの…」
 かおるは爽子を見つめる。
 しきりに、瞬きをした。

 
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