「はい…ええ…ええ。それでは…」
爽子は、受話器を置いた。
「おじさん、なんだって?」
爽子が受話器を置いた途端、かおるは問いかける。
「とても驚いていたわ。…それから、とても喜んでいた」
爽子は微笑を浮かべる。
「静児さん、オーストラリアに向かいますって」
かおるは口を開いた。
「…私も行きたい!」
「――え?」
かおるの言葉に、爽子は瞳を見開いた。
「母さん、私も行っちゃダメかな? …おじさんと一緒に、行っちゃダメかな?」
会いたい。
…会いたい。
――光に、会いたい…!
「…母さん…お願い…」
爽子は娘の言葉に戸惑いの様子を見せた。
――でも。
好きな人に会いたいという気持ちも、よくわかる。
かおるは、待った。
――光が行方不明…といわれるように…なってから、もうすぐ一年が経つ。
かおるは、待った。
――信じて、待ち続けた。
「…わたしからは…なんとも言えないわ」
爽子がそう呟いた瞬間、かおるの表情が悲しみのものとなる。
爽子はそんなかおるの肩を慌てて抱いた。
「…違う。違うのよ、かおる」
かおるは母親の顔を見つめる。
――自分の視線とほぼ同じ高さの位置にある、優しい微笑み。
「静児さんの了解と…それから、お父さんの了解を得たなら、行ってきていいわ。わたしは、かおるが信じて待っていたことを知っているもの。…止めたりしないわ」
「母さん…」
かおるは爽子に抱きつく。
――それは実に久々なこと。
爽子は僅かに瞳を見開く。
「…ありがとう」
かおるの呟きに、爽子の微笑みは一層深いものへと変わる。
「頑張って、説得なさい。…わたしからも、お願いするから」
「――うんっ」
かおるは、以前のかおるへ戻っていた。
…髪を切る前の…光が、行方不明になる前の。
無理に『男』となろうとする前のかおるに――明るいかおるに、戻っていた。
「…光君がっ?!」
父…昭路が帰ってきた途端、爽子は告げる。
着替え、居間に入りかおるの姿が瞳に映ると、呼びかけた。
「かおる…聞いたか?」
「聞いたよ。…むしろ、私が…私と、みちるが、聞いてきた」
よく似た親子である。
かおるの髪が短いせいか、余計にだ。
「…そう…か」
昭路は、笑みを浮かべた。
「…よかった…な。本当に…よかった」
「父さん」
かおるが口を開くと、昭路は手で、それを制した。
「わかる。…かおるが言いたいことは」
俯き、呟く。
「…行きたいのだろう? 光君のもとへ」
だが…。
「行ってほしくない。…光君を傷つけた人間のいる国に」
しかし、そんな昭路の言葉を遮ったのはみちるだった。
「ボクもついていくよ」
昭路は目を見開いた。
「ボクが、かおるを守るよ。…光兄さんのもとまで」
(――多分、これが最後)
みちるはゆっくりと瞬きをする。
「ボクも一緒に行く。…かおるを傷つけさせたりしない」
(かおるがボクだけの女なのは…光兄さんと会うまで、だ)
――だから。
(…せめて、光兄さんと会うまでは、共に…)
「かおるを、オーストラリアに行かせてあげて」
「…みちる…」
瞬きをする両親に、みちるは「お願いだよ」と繰り返す。
「みちる…」
昭路はみちるの名を呼び、瞳を閉じた。
「父さん…」
かおるは、昭路を見つめる。――ただ、じっと。
「あなた」
爽子も、昭路を見つめる。…爽子によく似た、みちるも。
「――ふぅ…」
昭路は息を吐き出した。
「わかった。…わかったよ」
昭路は苦笑した。「3対1では、勝ち目がない」と、続ける。
「ただ、無理はするな。…静児に、迷惑をかけては駄目だぞ」
かおるは瞳を輝かせた。
「――うん。…うん!」
「静児さんにお願いしなくては…」
爽子はいそいそと電話機に向かう。
受話器をとり、富士原家の電話番号をプッシュした。
爽子を背に、昭路はかおるは告げた。
「かおる。…気をつけて」
「うん」
そして、みちるに続ける。
「みちる。かおるを守ってやってくれ…それから。お前自身も気をつけて」
「――うん」
昭路の言葉にみちるは深く頷く。
――そして昭路は…。
「行っておいで。…そして、必ず帰ってくるんだ」
久しぶりに、二人を抱きしめる。
「気をつけて」
そしてかおるとみちる…そして光の父、静児は。
次の日には機上の人となったのである。
(やっと…会える)
…やっと、あなたに。
――やっと…。
「団体のほうに訊いてみたよ。そしたら…ブルー君といったかな? 彼の方から、光のことについて連絡があったらしい」
静児…かおる、みちるの父、昭路のイトコである…は笑った。
「飛行機は、まだ到着しない。…少し、眠ろう。疲れをとって万全にしないとね」
静児の言葉に二人は頷き、シートを横にした。
(やっと。…やっと)
会える。
――そんなことを考え、かおるは心中で苦笑した。
(眠れそうにないな…)
長くて、長くて…短い時間。
3人は、目的の空港に到着した。
そして車に乗り換え、光のいる場所へむかった。
「「ありがとう」」
静児は運転手に料金を手渡しつつ、礼を述べる。
(ここに…)
光がいる!
本当は走り出してしまいたい。――走り出して、光の名を呼んで。
(…光!)
かおるは心中でその名を呼ぶ。
「えぇと…こっちかな」
ブルーの報告からボランティア団体が光の居場所をつきとめ、それを静児に告げた。
それをメモしてある紙を見ながら、静児は足を進める。
「ここ…かな?」
ドクン、とかおるの鼓動は高鳴った。
静児は通行人に声をかける。静児の言葉に通行人は大きく頷き、静児と握手を交わした。
「かおるちゃん…みちるくん」
静児が息を飲み込んだのがわかった。
「光は、ここにいるよ」
静児は一歩、足を進めた。
かおるとみちるもそれに続く。
「「…捜索が大変遅くなりました。申し訳ありません」」
建物案内する女性…どうやら、団体のお偉いさんらしい…は扉の前で足を止めた。
「「光さんはこちらにいらっしゃいます」」
(この、扉の向こうに…光が…)
「…ここに…」
静児の言葉に、かおるは逸る気持ちを落ち着かせようと努力する。
静児が、扉をノックした。
「「はい、どうぞ」」
…応じる声は、英語だった。
でも、それは――まさしく、光の声。
ドクン、ドクン、ドクン。
かおるの鼓動が、早まる。――そんな気がする。
「光!」
静児は扉を開いた。
…そこには…。
「……」
光が、いた。
「光…兄さん…?」
みちるが思わず、名を呼ぶ。
かおるは瞬きをした。――頭の中でうまく情報が処理できない。
「「? こんにちは」」
光は微笑む。
「「だぁれ?」」
…一人の少女と共に。
――微笑む青年は、まさしく光だった。
3人が共に認める、光だった。
…椅子に座ってくつろいでいる…恋人同士のような、二人だった。