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7,オーストラリア

「はい…ええ…ええ。それでは…」
 爽子は、受話器を置いた。
「おじさん、なんだって?」
 爽子が受話器を置いた途端、かおるは問いかける。
「とても驚いていたわ。…それから、とても喜んでいた」
 爽子は微笑を浮かべる。
「静児さん、オーストラリアに向かいますって」
 かおるは口を開いた。

「…私も行きたい!」

「――え?」
 かおるの言葉に、爽子は瞳を見開いた。
「母さん、私も行っちゃダメかな? …おじさんと一緒に、行っちゃダメかな?」

 会いたい。
 …会いたい。
 ――光に、会いたい…!
「…母さん…お願い…」
 爽子は娘の言葉に戸惑いの様子を見せた。
 ――でも。
 好きな人に会いたいという気持ちも、よくわかる。
 かおるは、待った。
 ――光が行方不明…といわれるように…なってから、もうすぐ一年が経つ。
 かおるは、待った。
 ――信じて、待ち続けた。

「…わたしからは…なんとも言えないわ」
 爽子がそう呟いた瞬間、かおるの表情が悲しみのものとなる。
 爽子はそんなかおるの肩を慌てて抱いた。
「…違う。違うのよ、かおる」
 かおるは母親の顔を見つめる。
 ――自分の視線とほぼ同じ高さの位置にある、優しい微笑み。
「静児さんの了解と…それから、お父さんの了解を得たなら、行ってきていいわ。わたしは、かおるが信じて待っていたことを知っているもの。…止めたりしないわ」
「母さん…」
 かおるは爽子に抱きつく。
 ――それは実に久々なこと。
 爽子は僅かに瞳を見開く。
「…ありがとう」
 かおるの呟きに、爽子の微笑みは一層深いものへと変わる。
「頑張って、説得なさい。…わたしからも、お願いするから」
「――うんっ」
 かおるは、以前のかおるへ戻っていた。
 …髪を切る前の…光が、行方不明になる前の。
 無理に『男』となろうとする前のかおるに――明るいかおるに、戻っていた。

「…光君がっ?!」
 父…昭路しょうじが帰ってきた途端、爽子は告げる。
 着替え、居間に入りかおるの姿が瞳に映ると、呼びかけた。
「かおる…聞いたか?」
「聞いたよ。…むしろ、私が…私と、みちるが、聞いてきた」
 よく似た親子である。
 かおるの髪が短いせいか、余計にだ。
「…そう…か」
 昭路は、笑みを浮かべた。
「…よかった…な。本当に…よかった」
「父さん」
 かおるが口を開くと、昭路は手で、それを制した。
「わかる。…かおるが言いたいことは」

 俯き、呟く。
「…行きたいのだろう? 光君のもとへ」
 だが…。
「行ってほしくない。…光君を傷つけた人間のいる国に」
 しかし、そんな昭路の言葉を遮ったのはみちるだった。
「ボクもついていくよ」
 昭路は目を見開いた。
「ボクが、かおるを守るよ。…光兄さんのもとまで」

(――多分、これが最後)
 みちるはゆっくりと瞬きをする。

「ボクも一緒に行く。…かおるを傷つけさせたりしない」
(かおるがボクだけのひとなのは…光兄さんと会うまで、だ)

 ――だから。
(…せめて、光兄さんと会うまでは、共に…)
「かおるを、オーストラリアに行かせてあげて」
「…みちる…」
 瞬きをする両親に、みちるは「お願いだよ」と繰り返す。
「みちる…」
 昭路はみちるの名を呼び、瞳を閉じた。

「父さん…」
 かおるは、昭路を見つめる。――ただ、じっと。
「あなた」
 爽子も、昭路を見つめる。…爽子によく似た、みちるも。
「――ふぅ…」
 昭路は息を吐き出した。
「わかった。…わかったよ」
 昭路は苦笑した。「3対1では、勝ち目がない」と、続ける。

「ただ、無理はするな。…静児に、迷惑をかけては駄目だぞ」
 かおるは瞳を輝かせた。
「――うん。…うん!」
「静児さんにお願いしなくては…」
 爽子はいそいそと電話機に向かう。
 受話器をとり、富士原家の電話番号をプッシュした。
 爽子を背に、昭路はかおるは告げた。
「かおる。…気をつけて」
「うん」
 そして、みちるに続ける。
「みちる。かおるを守ってやってくれ…それから。お前自身も気をつけて」
「――うん」
 昭路の言葉にみちるは深く頷く。

 ――そして昭路は…。
「行っておいで。…そして、必ず帰ってくるんだ」
 久しぶりに、二人を抱きしめる。

「気をつけて」

 

 そしてかおるとみちる…そして光の父、静児は。
 次の日には機上の人となったのである。

 

(やっと…会える)
 …やっと、あなたに。

 ――やっと…。

「団体のほうに訊いてみたよ。そしたら…ブルー君といったかな? 彼の方から、光のことについて連絡があったらしい」
 静児…かおる、みちるの父、昭路のイトコである…は笑った。
「飛行機は、まだ到着しない。…少し、眠ろう。疲れをとって万全にしないとね」
 静児の言葉に二人は頷き、シートを横にした。
(やっと。…やっと)
 会える。
 ――そんなことを考え、かおるは心中で苦笑した。
(眠れそうにないな…)

 長くて、長くて…短い時間。
 3人は、目的の空港に到着した。
 そして車に乗り換え、光のいる場所へむかった。

「「ありがとう」」
 静児は運転手に料金を手渡しつつ、礼を述べる。
(ここに…)
 光がいる!
 本当は走り出してしまいたい。――走り出して、光の名を呼んで。
(…光!)
 かおるは心中でその名を呼ぶ。
「えぇと…こっちかな」
 ブルーの報告からボランティア団体が光の居場所をつきとめ、それを静児に告げた。
 それをメモしてある紙を見ながら、静児は足を進める。
「ここ…かな?」

 ドクン、とかおるの鼓動は高鳴った。
 静児は通行人に声をかける。静児の言葉に通行人は大きく頷き、静児と握手を交わした。
「かおるちゃん…みちるくん」
 静児が息を飲み込んだのがわかった。
「光は、ここにいるよ」
 静児は一歩、足を進めた。
 かおるとみちるもそれに続く。

「「…捜索が大変遅くなりました。申し訳ありません」」

 建物案内する女性…どうやら、団体のお偉いさんらしい…は扉の前で足を止めた。
「「光さんはこちらにいらっしゃいます」」

(この、扉の向こうに…光が…)
「…ここに…」
 静児の言葉に、かおるははやる気持ちを落ち着かせようと努力する。
 静児が、扉をノックした。

 

「「はい、どうぞ」」
 …応じる声は、英語だった。
 でも、それは――まさしく、光のもの

 ドクン、ドクン、ドクン。
 かおるの鼓動が、早まる。――そんな気がする。
「光!」
 静児は扉を開いた。
 …そこには…。
「……」
 光が、いた。
「光…兄さん…?」
 みちるが思わず、名を呼ぶ。

 かおるは瞬きをした。――頭の中でうまく情報が処理できない。

「「? こんにちは」」
 光は微笑む。
「「だぁれ?」」
 …一人の少女と共に。

 ――微笑む青年は、まさしく光だった。
 3人が共に認める、光だった。

 …椅子に座ってくつろいでいる…恋人同士のような、二人だった。

 
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