…あれから、早1ヶ月。
進級し、高学部2年になったかおるとみちる。
今日から5月の連休。二人とも実家に帰るのだ。
…かおるは、髪を伸ばし始めた。
潮風に、髪が揺れる。
かおるは女っぽくなった…というよりも、自分が“男”だとまわりに見せようとしなくなったため、普通になっただけというか…。
「そろそろ行こう?」
「ああ…そうだな」
一方みちるは。
少し、身長が伸びた。
前は165cmだったのが、現在は167cmである。
とくに性別不明を意識しなくなったためか、服装も行動も普通…男っぽいものになっている。
「かおるさん、みちるさんっ」
港へ向かう二人への呼びかけに振り返った。
その呼びかけは、夏鈴から発せられたものだった。
「あ、夏鈴」
かおるは微笑む。
夏鈴はそんなかおるの様子を見て呟いた。
「かおるさん…」
「ん? 何?」
「この頃、女性らしくなりましたわね…」
「あー…そうか?」
特に意識しているつもりはないのだが。とかおるは呟く。
港についている船に乗り込んだ。
今日はこの間のように後半ではなかったので、楽に座ることができる。
「絶対に女性らしくなりましたわっ! 前は男性か、女性か。よくわかりませんでしたもの。けれど…今は」
どこからどうみても。
「女性ですわっ」
…と。なぜか悲しげに言った。
「夏鈴ちゃん、どうしてそんなに悲しそうなの?」
みちるの言葉に『よく言ってくれました!』という雰囲気をかもしつつ、夏鈴は言う。
「私だけの秘密が着々と減っていますわーっ!!!」
「…あはははは」
――かおる、かわいた笑いである。
夏鈴だけの秘密とは…自分たちの情報がつまっているというディスクの内容のことだろうか。
例えば、五条家の(誰にも告げた覚えのない)電話番号とか。
…まあ、今は真も知っているのだか。
「――あ」
と。かおるが真のことを思い出していると。
「高野っ!」
みちるが、真の姿を目撃し、呼び止めた。
呼びかけに反応し、こちらを見たのだが。
夏鈴を見るとピクリとした…ように、見えた。
「よっす」
真は手を上げ、早々に立ち去ろうとした。
「真さん」
…それを、夏鈴が呼び止める。そして手招きをした。
恐る恐る(という表現が一番あうだろう…)来た真に夏鈴は問いかける。
「そういえば、まだ…教えていただいてませんわよねぇ?」
そんな二人の様子を見て、みちるはかおるに小さく問いかけた。
「二人って、知り合いだったの?」
「どうやら、親戚関係という間柄らしいぞ」
「ふーん…」
みちるがそう、納得していたとき。
「かおるさん」
かおるは呼びかけられ、「へ?」と振り返った。
「真さんとの会話の内容…教えていただいてもかまいませんか?」
高野との会話の内容…?
かおるは首をかしげた。
「少し前…電話番号を真さんにお教えしたときの内容ですわ」
夏鈴の言葉にかおるは「ああ」と呟き、少しだけ、悲しげに顔をゆがめた。
あの時の会話はブルーのこと。…ブルーのことは、光に関連がある。
…かおるは完全に光のことが断ち切れていたわけではなかった。
「あ…その、お嫌ならいいんです!」
――かおるが時々元気がないことに夏鈴は気付いていた。
それと関係することなのだろうと瞬時に推測したのだ。
「あ…別に、構わないよ」
そう言って笑うかおるをキレイだな、と思うと同時に悲しくもなる。
――みちるも、夏鈴も。かおるが無理に笑っているように見えてしょうがない。
「あ…そういえば、五条」
「なんだ?」
真が何かを思い出したかのようにぽんと手を打ち、かおるに話しかけた。
「ブルーから手紙が来たんだ」
「あぁ…そうか。元気そうか?」
「うん」
二人の様子を見て夏鈴はうーん、と小さくうなる。そして、みちるに「かおるさんと真さんは仲がよろしいんですか?」と訊ねた。
その問いかけに「うぅん…」と曖昧に答えるみちる。
「それで、ブルーから伝言」
「え?」
真は手招きした。顔を寄せたかおるの耳元で小さく囁く。
「一目惚れです、だって」
……。
「えっ?!」
かおるは微妙な間を置いてから驚く。そんなかおるの様子に真は少し笑ってから続けた。
「なんか、光さん…だったっけ?」
「光」という言葉。かおるは表情を普段通りに保とうと努力した。
「その人の見せてくれた写真に、五条のがあって。それに、一目惚れしたらしいよ」
「あー…そうか…」
なんと言えばいいかわからず、かおるはとりあえず呟く。
「高野は座らないのか? 夏鈴の横、空いてるぞ」
「あ〜…僕は、いいや。またデッキにでてる」
かおるの提案に真は首を横に振った。…心なしか顔が青いように見えるのは気のせいだろうか。
「そうか。風邪をひくなよ」
「うん」
じゃ、と立ち去る真。
『あと一分ほどで出港いたします』
アナウンスが流れた。
船が出港した。
「お」
…と。後ろから声がする。
「五条! みちる〜」
その声を聞いたとき、みちるは「げ」という顔をした。
「あ、大杉先輩」
みちるラブ! な男で議長、かおるとみちるより一つ年上3年、大杉圭吾である。
ちなみにみちるは男なので、男に惚れられたところで嬉しいはずがなく、むしろ嫌がっている。
「よ。帰るのか?」
「えぇ。…いや、船に乗ってれば大抵帰るとは思いますが」
「ハハハ。ま、そりゃそうだな…と」
みちるを見つめ、ニッと圭吾は笑った。
「俺、細かいこと、気にしないことにしたからな」
「…え?」
じゃ、また休み明けにな〜、と去っていく圭吾。
「…細かいことを気にしない…って何の話だ?」
かおるのみちるは顔を横に振る。どこか『検討がつく』という光を瞳に宿して。
「かおる、みちる」
今度は誰だ? と見上げる。夏鈴はその人物を見て小さく「あ」と言った。
「会長。会長も帰るんですか」
「ああ」
生徒会長、佐野一紀。…彼もみちるは苦手である。
夏鈴は美少年チェックをするのだが…そのチェックリストに載る程度に見目麗しい男である。
「休み明けにはそろそろ、クリスマスパーティーの計画を立て始めるから、よろしくな」
「え? もう…」
佐野の言葉にみちるが小さく呟いた。
「準備は早め、早めでやったほうがいいからな」
「そうですね」
とかおるは頷く。
「それじゃ…またな。みちる、かおる」
その言葉にかおるは頭を下げ、みちるは「ハハハ」と笑った。
そして「なんでボクだけ…?」という呟きをもらす。
かおると夏鈴はみちるの呟きが聞こえたが意味がわからず、首を傾げた。
『足元にお気をつけください…』
そんなアナウンスを背に、かおる、みちる、夏鈴は港に降り立った。
「それでは、かおるさん、みちるさん。また、休み明けに」
夏鈴とかおる、みちるはここで別れる。
行き先が逆方向なのだ。
「うん。夏鈴、気をつけてな」
「はい」
夏鈴に手を振り、かおるはみちるに言った。
「じゃあ…私たちも帰るか」
「そう…だ…」
みちるが正面を見たとき、言葉が途切れた。
目の悪いみちるは目を細めて、じっと凝視している。
何を見ているのだ? とかおるはみちるの視線をたどった。
――そこには、一人の男。
「…え…?」
いないはずの、人。
小麦色の肌、少し色素の薄い髪…。
「…ボクの、目の錯覚じゃない?」
みちるはぼんやりと呟く。
「あれ…」
二人が、じっと見つめているのは。
――二人に気付き、二人のもとへと足を進める男は。
「光兄さん…?」
…一年前に行方不明となり、…3月末に見つかって。
でも…記憶を失っていた人。
「ヤ」
目前に来た男に、二人は言葉を失う。
…どこからどうみても、光だ。
――でも…なぜ…?
「な…なんで?」
みちるがそう言えば光はニッと笑った。
「久しぶり…というべきカナ。大体一ヶ月ぶりだ」
「いや…ま…そんなことはいいんだけど!」
みちるは半ば叫んでしまう。
「少し…話させてくれないか」
みちるに、光は言った。
「カオルと」
みちるは一度、瞬きをした。そして…頷く。
「一発殴らせてくれたら、いいよ」
「な…みちるっ」
みちるの発言にかおるは名を呼ぶが、みちるは応じない。
「…ン、わかった」
光はそう言って目を閉じた。
「みちる!」
…かおるの制止を聞かず。みちるは一発殴った。
――パンッ
…というよりは、叩いた。平手打ちである。
「本当は…グーで殴りたいけど。…ボクの手が痛くなりそうだから。これで」
ボク、向こうに行ってるから、と指さす。
…みちるは立ち去り、かおると光がその場に残った。
「大丈夫か?」
叩かれたほうの頬に、かおるは手を伸ばす。
…叩かれたのだから当然だが、頬は赤くはれていた。
「ン。…大丈夫」
海からの風が吹いた。…潮の香りが二人を包む。
しばしの沈黙があった。
その沈黙を破ったのは…かおる。
「光…?」
しかし、かおるに沈黙を破らせたのは光の行動だった。
かおるを、抱きしめたのだ。
「…ドウシテ、忘れたりしたんだろう…」
耳元に聞こえるのは、光の声。…少し、片言な…。
「――ドウシテ、思い出せないんだろう…」
その言葉に、かおるは数度瞬きをした。
かおるは…光の様子から。
記憶を取り戻したと思ったのだ。――そう、思っていたのだ。
しかし今の光の言い方だと…全ての記憶を取り戻した、というわけではないように思える。
「カオル」
名を呼び、強く…抱きしめる。
「ゴメン…。ゴメン、な…」
「え? 光…?」
かおるは光の名を呼んだ。
光はそれに微笑んで応じ、口を開いた。
「…カオルは、ボクが記憶を失ったコトを許してくれるだろうか?」
「…え?」
風が、二人の髪を乱した。
…風で乱れた髪の合間から、光の額が見えた。
かおるはぎょっとする。
――髪の間から見えた額に、傷跡が見えたから。
小麦色の肌よりも濃い色に変色した肌が、見えたから。
かおるは、驚いた。
「…許すも…許さないも。光…は、突然襲われたんでしょ?」
光と…それから、ブルーの血で染まった、二人が突然襲われたであろう部屋を思い出し、かおるはぎゅっと目を閉じた。
「私は…嬉しかった。…光が…私のことを――私たちのことを忘れてしまっていたことは、とても悲しかったけれど」
かおるは光の正面に座り込む。そして、続けた。
「光が生きていてくれて、嬉しかったよ」
信じてたけれど。――何度か、信じることをやめてしまいそうになっていた。
だから。
「光が私を忘れてしまったのは…私に対する罰かな、とも思った」
「カオル…」
光は、名を呼ぶ。
「許してくれるのならば…ボクは、君に…言ってもイイだろうか」
光はかおるの手を持ち、口付けた。
かおるは赤面する。
…以前の光は、こんなことをしなかった。
「――な、何を?」
大好きな人の手を振り払うことはできず…かといって、今はとても気恥ずかしく。
かおるは光の顔を直視することができなかった。
「…カオル…君が」
光はかおるの頬に手を触れ、自分のほうへ顔を向けさせた。
かおるはまっすぐに光を見つめることになる。
「ボクは、カオルが…好きだ」
かおるは瞬きをした。
「ボクは…ボクの記憶は、全て戻ってナイけれど」
あの瞬間。
「カオルが、ボクに“サヨナラ”と言った瞬間…悲しくなって…」
ボクは日本語がわからないはずなのに。
意味が、理解できなかったはずなのに。
「“ダイスキ”だって言ってくれたとき…それから、ボクに背を向けたとき」
カオルを追わなければと思った。
「カレンには悪いけれど…悪かったけれど。カオルを重ねてたのだと思う」
光は、かおるを見つめる。
その瞳は、優しいもの。
…以前かおるを見ていたときと、同じ瞳。
「好きだ」
光はもう一度、呟く。
呟きに、――かおるは、光に抱きついた。
「私も…私も、だよ。光」
できることなら、過去も思い出してほしいけれど。
でも、今は。――光が自分を好きだと言ってくれるだけで、十分だ。
「私も…好きだよ」
光はかおるの言葉に数度瞬きをし…そして、笑った。
嬉しい、と。笑った。
風が吹く。潮の香りが、二人を包む。
どちらからでもなく手をとり、二人は歩き出した。
砂倉居学園−そして−<完>
2002年12月 8日(日)【初版完成】
2007年12月29日(土)【訂正/改定完成】