「はい、みちるさん」
早速、夏鈴にグラスを手渡される。
「ありがと」
口に含む。
…グラスの中身は、先ほどと同様白ワインだった。
しかしもう、みちるは(ま、いっか)と気にしない。
何が楽しいのか、かおるはクスクスと笑っている。
(何が楽しいのかな?)
そう思いながらかおるを見つめたみちるは、一点で視線が固定された。
かおるの手元、液体の注がれたグラスである。
「…夏鈴ちゃん?」
隣に立つ少女の名を、みちるは呼んだ。
――返事がないので思わず横を向くと、先ほどまでいたはずの夏鈴がいつの間に光のもとへ移動し、みちるとかおるの手元にあるグラスと同じものを手渡している。
…光は22歳。
年齢的にアルコールは全く構わないのだが。
(――光兄さんって、アルコールに弱いんじゃなかったっけ…?)
みちるの考えは、あたった。
光はすぐに顔に出るタイプで、グラス半分で顔が真っ赤である。
まさか自分の婚約者の友人が、アルコールを手渡すとは思っていなかったのであろう。
光はそんな自分の体質を知っていたので、基本的にアルコールは避けていたようだった。
「あれ? 光、どうしたの???」
笑いながらも問いかけるかおるに光は「なんでもない」と返す。そして「風にあたってくる」と三人のもとを去った。
「…夏鈴ちゃん」
今度は隣にいることを確かめてから、少女の名を呼ぶ。
「はい?」
みちるの言いたいことはしっかりわかっているようだが、そんなことは全く出さず、夏鈴は微笑みで応じる。
「光兄さんはともかく、」
少し酷い言い様である。
「かおるにも飲ませたでしょ、ワイン」
「…ふふっ」
答えではなかったが、その様子で答えたようなものだった。
「――なんで?」
わずかにため息交じりのみちるである。
この少女に何を言っても駄目なような気がした。
――むしろ、無駄だろう。
「酔ったお二人が見たかったから♪ ですわ」
(…見たかったから、の後の楽しげな響きは一体…)
ちなみに夏鈴は全く飲んでいないようである。
「かおるさんは笑い上戸になるようですわね」
楽しげですわ、と夏鈴は笑みを浮かべる。
…また一つ、情報ファイルに情報が増えるのだろう。
「僕は?」
みちるは問う。夏鈴が教えてくれるかは謎だったが、自分の情報(こと)には興味があった。
ちなみにみちる自身はまだ、酔っているつもりはない。
「お気づきになりませんの?」
夏鈴は目をぱちくりとさせた。
意外、と顔にかいてある。
「んー? んー…」
みちるは少し考えるそぶりを見せたものの、実際には考えていない。
「お気づきでないならそれはそれでいいですけれど」
夏鈴の言葉は、みちるの疑問の答えになってない。
「なんにせよ、かおるさんの酔った姿が見れてよかったではありませんか」
「…よかったのかなぁ?」
「えぇ♡」
当然です、と言わんばかりの反応である。
式場内には椅子…ソファもある。
かおるはソファに座って上機嫌だ。
アルコールのせいなのか、絶え間なく笑っている。
非常に楽しそうだ。
「これ、後味が不思議だけど、美味しいな」
グラスを微かに上げてから、かおるは言う。
みちるはそんなかおるの言葉にどう応じればいいかわからない。
かおるは父親似の真面目な人間なので、成人する前にアルコールを飲むことをいいことだとは思ってないだろう。
…でも、まぁ。
美味しい、というのはみちるも同意見なので「そうだね」と答えた。
すると。
クスクスクス、という笑いが突如、切れた。
みちるはしばらく気付かなかったのだが気付いた時には慌てた。
急性アルコール中毒?! とよくない考えが脳裏をよぎる。
…だが、隣には。
「…――」
電池が切れたように眠ってしまった、かおる。
(ビックリした…)
でも、ほっとした。
別に、アルコール中毒というわけではないようだ。
みちるの肩にずるずるとかおるの頭…体が寄りかかる。
健やかで単調な吐息だ。
みちるは、突如眠ってしまったかおるの姿を見つめる。
(まつげ長いなぁ…)
夏鈴は飲み物を取りに立ち去っていた。
みちるはじっと、かおるを見つめる。
――見つめ続ける。
「…――」
みちるは瞳を閉じた。
肩の重さが…体温が心地いい。
「まぁ」
その声に、はっとした。
夏鈴の声だった。
「あ、起こしてしまいましたか?」
申し訳ありません、と言いながら夏鈴の手にはカメラ(デジカメ)がある。
「…あ、別に寝てなかったから…」
みちるはそう応じながら
(写真を撮られた?)
そう思った。しかし(まぁ、いいか)という考えに至っているみちるである。
「ん…」
耳元の声のせいか、かおるは目を開いた。
まだ、いくらかぼんやりとしている。
かおるが眠っていたのは5分ほど。
もしかしたら、もっと短いかもしれない。
「かおる?」
ぼんやりした少女を呼んだ。
「…」
まだ、寝惚けているのだろうか。
コテン、とかおるは今一度みちるに身に寄りかけた。
珍しく無防備なかおるの様子に夏鈴はメロメロだ。
マンガ的に表現すればハートマークを飛ばしまくっている。
「かおるさんは笑い上戸の上、突如眠ってしまいますのね」
「…みたいだね」
みちるは小さく笑ってから、かおるを見つめた。
その時卒業生…元クラスメートに呼ばれる。
少し話したい、と言われてみちるはかおるを起こさないよう、細心の注意を払いながら立ち上がった。
夏鈴に「かおる、見ててもらっていい?」と、同意を得て、クラスメートの元へ歩み寄った。
すると、アルコールの勢いでしたキスをせがまれた。
先ほど夏鈴にしていたものを見られていたらしい。
しかしみちるは特に気にする様子もなく「いいよ」と快諾すると、言葉とほぼ同時に、頬にキスをした。
黄色い声と共に「ありがとう」と言われ、みちるは小さく手を振って応じる。
…意外(?)なことに、みちるには同級生の――しかも積極的な――ファンがいたらしく、フラフラしていたら我も我もとキスをせがまれた。
みちるは全く動じず、せがまれた分だけ頬にキスをする。
かおると夏鈴の元に戻ろうとした時、二人は何か話をしていた。
驚かせようと、後ろからそっと近づく。
しかしみちるは…その言葉に、思わず足を止めた…否、足が、止まってしまった。
「かおるさんは、みちるさんをどう思ってますの?」
夏鈴の言葉である。
なんでそんなことを訊いているんだ? という思いがみちるの中を走り抜けていく。
聞こえなかったふりをして、近づいてしまえばいい。
…そう、どこかで思うのに、足がうまく動かない。
「? なんでそんなこと訊くんだ?」
かおるはみちるの思いをそのまま、言葉にした。
「一度訊いてみたいと、ずっと思っていましたの。お二人は仲がよろしいから」
私は兄弟がおりませんし、と夏鈴は続ける。
「どう思ってるって…」
どうやらいまだ眠いらしく、かおるは目を数回擦りながら言葉を紡ぐ。
「みちるは家族で、兄弟だ」
夏鈴はふと、こちらを見る。
――みちるの存在に気付いたようだった。
だが、言葉を続けた。…まるで、みちるに聞かせるためだというように。
「…大切ですか?」
かおるはわずかに首を傾げる。
きっと、「何を言うんだ?」みたいな表情をしていることだろう。
「家族は、大切なものだ」
夏鈴は大きな瞳を閉じた。開くと、もう一度みちるを見つめた。
唇が、言葉を紡ぎだす。
「…好き、ですか?」
みちるはその答えを聞きたいと思った。
…聞きたくないと、思った。
固まってしまった足が動く。
みちるは二人へ、更に近づいた。
「当然だ」
「かーおる♡」
かおるの言葉と同時に、みちるはかおるの座るソファに腕を置いた。
…みちるは、全てを聞いていた。だが、問いかける。
「何? 何の話してたの?」
――夏鈴はきっと、みちるが話を聞いていたことに気付いていた。
だが、何も言わない。
かおるはただ、みちるの問いかけに応じた。
「“私がお前をどう思っているか”」
「アハハ。そうなんだ。それはぜひ、聞きたいな」
その答えは、聞こえた。…聞こえて、いた。
「好きか嫌いか、なら好きだ」
…それは当然、“家族として”。
「なんか、消極的な“好き”だね」
「じゃあ、嫌い?」
「ヒドイや、かおる」
シクシク、と嘘泣きをしたみちるにかおるは「冗談だ」と笑う。
一時泣きまねをした後。みちるは腕を、かおるに絡めた。
夏鈴はかおるの正面に立っていたが、かおるの横…ソファに腰掛ける。
二人の会話を聞いている
「じゃあ…」
みちるは、言った。
「僕のこと、好き?」
酒の勢いがあった。だから、訊けた。
「あぁ、そうだな。すきだよ」
かおるの言葉に笑みを浮かべ、思った。
(…それは当然、“家族として”だよね)
そして口の中だけで、小さく呟く。
「僕の“好き”が、かおるの“すき”と同じだったら…よかったのにね」
「んー?」
ぼそぼそとした呟きにかおるは首を傾げる。
「なんでもないよ」とみちるは返し、体を前のめりにして、かおるの頬にキスをした。
――口付けをした。
かおるの頬にする口付けは、初めてだった。
…言葉にしない想いを、込めたる。
(――好きだよ)
他の誰よりも。
…君が、幸せであるように
「あ、光兄さん」
風にあたっていた光が戻ってきた。
まだ顔は赤いが、アルコールは抜けたのか、フラフラしていた足取りがしっかりとしたいつもの歩き方に戻っている。
みちるの行動が見えていたのだろう。
目をゆっくりと瞬きさせた。
「かおる、光兄さんだよ」
「あぁ、そうだな」
かおるは言葉と共に、立ち上がる。
…スルリとみちるの腕から逃れた。