「下がれって…オーフォ!」
ロンダルがグ、とオーフォの腕を掴む。
「……っ!」
だが次の瞬間には、掴んでいた腕を放した。掌が、熱いのだ。まるで火傷をしたように…!
「……お前は火の加護に適さないのだな」
ユーダは、オーフォを見つめた。
「……あ、あああ……」
ユーダは、見た。そして、ロンダルも、見た。 髪が、瞳が。ゆっくりと…だが、確実に。炎に拭われるようにして赤く染まってゆく様を。
「フォ イェンチャ オ ライ」
杖から赤い光が溢れ、こぼれ落ちる。
その光を見るとオーフォは微笑み、見据えた。――黒い毛皮の、獣を。
「ダイショ クショ ウ ジン」
毛皮の焼ける匂いが食堂中に広がる。
血の香りと、獣の匂いと、毛皮の焼ける匂いと。
動くものは全て仕留めたかと思われた。が、狼は動くものを見つけた。
オーフォ達のもとへ走り寄る!
ドッ
狼が、次々と倒れた。
「?!」
何がなんだか分からないロンダル、ユーダ。
狼は痙攣し、目尻が引き裂けてしまいそうなほどに、目を見開いている。
口は大きく開かれ、ダラダラと唾液が溢れ出る。
「な、なんなんだ…?」
ロンダルは呟いた。
オーフォは振り返る。ユーダを見ると、に、と笑った。
「……っ」
ゾッとした。この人はオーフォさんではない、と。
赤い色なのに、どうしてこんなにも冷たく感じるのか。奥歯が小さく、カチカチと鳴った。
「喚言を知る者よ…名は?」
自分を真っ直ぐに見据える…赤い髪と、赤い瞳のオーフォ。
「…ユーダ…と。…ユーダ・グラース…と、申します…」
『少年にして華をもち、少女にして力を得ず』
「あなた…は?」
ユーダは震える声で言った。
無礼は、承知であった。だが、自分の探索心を消すことはできなかったのだ。
「…緋の神…ですか…?」
オーフォはその言葉に目を細める。
――静かな怒りのようにも、よく気づいたとユーダを認めるようにも見える。
「……かつてはそう呼ぶ者も、あったようだな」
私ではないが。
そう小さく付け加えた。
「喚言を何処で知ったかは知らぬが…。一部違うな。アレは」
わざとか…? と1人でオーフォは続ける。
ふと、ユーダを見た。
「正しきを知れば、お前に火の加護を授けてやろう」
尊大な態度。オーフォでは、ない。
少なくともロンダルは、こんなオーフォを知らない。
掌が、熱い。
「……オー…フォ?」
ロンダルはオーフォに向かって小さく問いかけた。
ゆっくりとオーフォは振り返る。そして、冷たい微笑をロンダルに向けた。
宿屋で生き残った人間は、3人のみだった。
そう思ってからユーダは、オーフォを見つめる。
「……人間……?」
オーフォは見つめられているとは露ほどにも知らず、周りの状況にあ然とした。
「ロンダル、この掌はどうしたんだ? まっ赤じゃないか! 火傷か?」
「お前がやったんだろうがっ!!」
ロンダルは思わず怒鳴る。
「……? わたしがいつ、お前の掌に火を当てた?」
本当に分からない、というような顔をして、ロンダルを見つめる。
…と。
突然ロンダルはオーフォの腕を掴んだ。
「………なんだよ」
オーフォはさらにワケ分からん、みたいな表情を見せた。
「…熱くない」
「わたしの体温は高くはないと思うが?」
そう言ってから今度は、ユーダの掌を見る。…こっちは、切れている。
「ところで『祈り』みたいのはつうじたのか?」
「……え?」
オーフォは自分のカバンの中から布を差しだす。――巻いてやる、なんてことはしない。
どうも、とユーダは言ってその布を自分の掌に巻き始める。
ロンダルはこそこそとユーダの側により、そっと耳打ちをした。
「……覚えてないのだろうか?」
「この感じですと、記憶はなさそうですね」
そんな2人の様子を見て、暫く瞬いた後オーフォはニッと笑う。
「なんだ2人とも、わたしの知らぬ間に仲良しになったのか」
そこで言う『仲良し』にふくみを感じて、ロンダルの何かが『プツッ』と切れた。
「ハハハハハハハハハハ。お前のおかげでなっ!!」
そしてオーフォの頭をバフンッと小突く。
「痛いなぁっ!!」
そしてオーフォは頬を膨らませる。
「ところで…どうする? こんなんで生き残ってても、逆に疑われるよな…」
ロンダルは小さくつぶやく。
「ですか、ね…」
狼を倒した存在は既にここにはいないのだから。
「説明のしようがない…」
ロンダルはこめかみを押さえた。気のせいでなければ頭痛がする。
「? 2人でどうにかしたんじゃないのか?」
だからあ然としていたのだ。これだけ悲惨な状況の中、自分たちだけ(正確にはオーフォだけ?)無傷だったので。
「あのなぁ…」
お前がなんか言って、やったんだろ?
そう続けようともしたが、やめた。
(記憶がない奴にどうこう言ってもな…)
「とりあえず、明け方までは宿屋を借りよう。んで、後のことは後で考える!」
――出入り口という出入り口に火が焚いてあったのは、獣避けだったのだ。
ロンダルの頭から、あの時のオーフォの言葉が離れない。
冷たい微笑と、言葉。
『お前は私の楔になる、な』
それは一体どういう意味だ、と問うことはできなかった。
オーフォがゆっくりと目を閉じると、瞬間的に髪の色が変わっていったから。
『…オーフォ?』
もう一度、呼び掛ける。琥珀色の瞳が開かれる。
オーフォは2、3度瞬きをした。そして、今度は目を見開く。
『ロンダル、この掌はどうしたんだ? まっ赤じゃないか! 火傷か?』
怒鳴って悪かったかな、と今更ながらロンダルは考えた。が、すぐに頭を切り換えた。
(これから…どうするか、だよな)
夜は更ける。朝にむかって。
万力の杖。それを持つ者は――精霊を従わせることができるという。
そして精霊を従わせることができるのはつぎの者のみ。
精霊が選んだ者。
そして……『神』と、呼ばれる者。
『神』の称号がつく者。
万力の杖−Ⅱ−<完>
2001年 3月22日(木)【初版完成】
2008年 2月 3日(日)【訂正/改定完成】