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それは、偶然だったのだろう――きっと。
でも、あたしにとっては…。

 ゆっくりと、歩く。
 目的の場所など無いけれど。
 …でも、自然と向かってしまうところは、ある。
 下町だ。
 少しの小遣いがあれば、何かできる。
 いつもは夕市をやる方に向かうのだが、今日は朝市をやる方に向かった。
 野菜、果物、穀物、木の実、魚、布、糸、焼き物…。
 あげきれないほどの品物と、数え切れないほどの人。

 ドッ!!
 不意に、ぶつかられた。
 勢いに負けて、しりもちをついてしまう。
 当たってきた少年はチラリとこちらを一度見て、笑った。
 ムカ
 瞬時に頭に血が上る。
 だが。
 そんな感情が我知らずに顔に出ていたらしい。少年はササッと人混みにまみれた。
 ――と。
「いぃぃてぇぇぇぇっっっ!!!!!」
 少年の高い声があがる。
 何事か、と何人もの人間が、声の方を向く。
 そんな風に周りの人間がしている間に、あたしはどうにか立ち上がる。
 パッパッと服に付いた埃を落とした。
 あたしも、視線を声の方へと向ける。
 人と人の間から、男が見えた。
「これ、あんたの?」
 女にしては背の大きめのあたしは、その様子が見える。
 小さな袋を持った男。
(あれ?)
 あの袋…は…。
(似てる…)
 それはあたしの持ってきた物と、よく似ていた。
 懐を探る。
 ――無い。
 あたしの持ってきた袋が、無い。
「それ…っ」
 あたしの…その言葉が言い終わる前に、男はふと、こちらを見た。
「え?」
 あたしの声が聞こえていたらしい。
 目が、合う。

 ――ドクン

 その瞳は…その、姿は。
 誰かに似ているように、見えた。

「あれ? あんたんの?」
 そう、男があたしに言った途端。
 また袋が…奪われた!

「あ」
 思わず、声を漏らす。
 先程の少年ではない。先程の少年ではないが…少年が、袋を奪った。
 ――のが、見えた。

「いぃぃってぇぇぇぇぇぇぇっっっ!!!」
 先程聞いたような声が、また響いた。
 男が視界から一度消える…と、また見えた。
 こっちに向かって歩いてくる。
「え?」
 あの、あたしの袋を持って。
「ハイ」
 男はあたしの手首を掴んで、引き寄せた。
「…大丈夫?」
 男は心配そうに――少なくともあたしにはそう、見えた――あたしの顔を覗き込む。
 あたしの顔は呆けたものになってしまった。
 そして、少し経ってから気付いた。
 あたしに向かって心配する顔は、生まれて初めて見たのではないか、と。

 
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