それは、生まれて初めてされたこと。
少なくともあたしはそう、感じていた。
なんだかんだと話しているうちに…いつもだったら絶対についていったりしないのだけれど…喫茶店でお茶をしている自分。
――何だか、変な感じ…不思議な感じだ。
「あんた、お嬢だろ?」
突然、そいつは言った。
お嬢…つまりは、金持ちの娘…ということだろうか?
「――なぜ?」
なぜ、そう思ったのだろうか?
そいつはニッと、笑った。
「上の服、いい生地っぽいし。それから物腰ってか――見た目ってか」
「そう…でしょうか?」
いい生地だというのが、一目見て解るものだろうか?
「それから、言葉づかいもな」
下町にはそんな丁寧な言葉づかいをするようなヤツは少ない…いないに等しい。
そう、男は続けた。
「そうですか」
そう言った後、ふと疑問に思う。
自分の中では敬語など使わないのに、どうして口に出すと敬語になっているのだろうか、と。
「あ、でさ、服、どうせなら両方下町のにしちゃえば?」
「へ?」
「服。何か、ズボンは下町のだろ? ちょっとちぐはぐな感じがしてさ」
「ちぐはぐ…?」
自分は鏡を見ないから、他の人から見た自分がどんな感じか、なんて全く分からない。
「そ。あんた結構美人さんだから」
余計にちぐはぐなのがめだつんだよねぇ、と男は言った。
「…美人…?」
そんなこと言われたのは、生まれて初めてだ。きっと。
本日、“初めて”だらけである。
「んでー。服、買うならウチでどう?」
「へ?」
またもや聞き返してしまった。
「だーかーらー。一式揃えるなら、ウチで揃えない? 俺ん家、仕立屋なんだ」
「へぇ…」
何かちょっと、意外だ。――ああ、そうか。家で仕立屋をしているというだけで、別に彼自身が仕立てをしているわけではないのだな。うん。
そう、納得して。
「では、お願いしましょうか」
そう、声に出した。
その言葉に男は目を丸くした。何度か瞬きをすると、口を開く。
「――ぼったくりかもよ?」
そしてニッと、笑った。
本当に無駄に金を取る気ならば、そんなことをわざわざ言わないだろう。
しかし…。もし、もしも、だ。無駄に金が取られたのでとしても、自分の持ってきた金は父の稼いだ金だったし、彼のその笑顔と今までの行動から、あたしは完全に彼のことを気に入っていた。だから別にいいと思った。
「――そうかもしれませんね」
あたしはそう言いながら、自分の口元がほころんだのが分かった。
――ああ、また、初めてだ。自ら微笑むなどということは。
「アハハ。イイカンジだね。お嬢さん」
愉快そうに、男は笑う。先程の『ニ』とか、少し嫌味っぽい微笑みではなく。本当に楽しそうに、笑った。
「お嬢さんさぁ、首筋キレイだから、そういう感じの服、作ってみるわ」
その言葉を聞いて、口に出さなかったものの。
「…今、『この男が服を仕立てられるのか?』とか思ったろ?」
…ご名答。あたしはそう、思った。
「母親が今、生地取り寄せに行ってていないから、俺がやるしかないんだよ。俺、結構器用だぜ?」
「そう…ですか。楽しみにしてますよ」
『楽しみしている』の前に『期待しないで』と入れようか入れまいか迷ったが、結局入れなかった。
「ふ。出来前の良さに感動するぜ! お嬢さんッ!!」
あー、ハイハイ。
見た目によらず(?)なかなか熱い男のようだ。
「それでは、また」
「おう! また、今度なぁ」
ヒラヒラと腕を振る男。
その男にあたしは背を向けた。一度振り返ってみたが…男の姿は、すでになかった。