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彼がいなければ、あたしは。
ずっとずっと、のされるがままだったろう。

 もう、両手では足りないほど会っていた。
 そんな、ある日のこと。

「どした?」
「へ?」
 あたしは聞き返す。最近テンと会うことが多いせいか。
「何が?」
 敬語を使うことが少なくなった。
 ヒステリーババア(のことである)は更にヒステリックになっているが、そんなこと、知らない。そしては、何も言ってこない。(いつものことだが)
 …ちなみにテンとは、男のことだ。本当の名ではなく、呼び名である。
 ヒントその1は最初が“テ”であるということ。最近だされたヒントその2は名前のどこかに“ン”があるということ。(名前の共通点が2つもあって驚いた)それらのヒントから『テン』と呼んでいるのだ。
「頬が腫れてる」
 そんな言葉に、ふと、現実に引き戻された。
 ――頬が腫れている。
 それは、のせいだ。

 この頃、テンのことが頭から離れないのだ。
 そのせいだから、なのか――との行為がイヤで、イヤで…たまらない。
 昨日も、そうだった。
『やめ…ろ…っ』
 離せ、と何度も、何度もその言葉を呟く。
『――たまの抵抗はいいけどな』
 バシッ
 頬が一度、熱く感じた。
 しばらくすると、ヒリヒリと痛みを感じる。――叩かれたのだ。
『いつもいつも抵抗するのは、うざいんだよ!!』
 バシッ バシッ バシッ
 立て続けに、頬に痛みを感じる。
『何だ、その目は?』
 それから、口付け。――血の味のする、口付け。
『前みたいに大人しくしてろよ!』
 バシッ

「…お嬢さん」
 ハッとする。気付けばテンがそっと腕をのばしていた。
 ビク、と肩が震えた。体が、後退する。

 ザァ――…

 風が、吹いた。テンの母が帰ってきたせいか、最近会うのはもっぱら(テンの家の)近所の草原である。
「――前から口にしてイイか、迷ってたんだけど…」
「――何?」
 あたしを見つめる瞳が、まっすぐで。真剣で。…そらしたくなってしまう。自分のイヤなところが見抜かれそうで。
「……」
 ゆっくりと、もう一度、腕がのばされた。
 ビクリとしてしまう。

「――俺が、コワイ?」

 ザァッ
 風が吹く。テンの不思議な色の髪が…白、ではない。灰色とも、言い難い。そんな不思議な色だ…、それに合わせて靡く。
 怖くなど、ない。
 そう、思うのに。
 のばされた腕。触れようとする、手。それらから、体が逃れようとする。
「俺が、コワイ?」
 もう一度、告げられた言葉。たまらなくて…目を、そらした。
 体が震える。カタカタとこの身が震えるのを、感じる。

「ごめんっ」

 え?
 テンの、声。
「無理言って、ごめん」
 顔を上げる。テンが辛そうな表情をしているのを、見た。
「――ごめん」
 そして、背を向ける。ゆっくりと、歩き出す。
 ――行って、しまう。
 触れられるのは、コワイ。――はっきり言って。
 でも。――でも…っ

「行かないで」

 体が、動いた。

 その時初めて、他人に触れたいと思った。
 産まれて初めて、触れたいと思った。
「――え?」
 半ばあたしの口癖状態になっている言葉を、テンは呟いた。
「…ごめんっ! 触らないでっ!!」
 テンの肩がピクリとした。――テンの鼓動が、聞こえる…。

 ああ、自分はなんて無茶苦茶なことを言ってるんだろう。
 自らテンの背中を抱きしめておいて、『触るな』なんて。
 肩が震えた。指も震えた。――でも。離すことは…しなかった。

「あたし、男がコワイ。でも」
 声も、震えていた。唇も、震えた。
「テンには、触れたい」

 ――沈黙。

 一体どれくらい、そうやって過ごしていたのか。
「ありがとう」
 え?
 先に口を開いたのは、テンだった。
 テンはあたしに触れることなく、言葉を続ける。
「男がコワイっつーのに。俺に触れてくれて、ありがとう」
 言葉はちょっと変な気もしたが、この際気にしないでおこう。
「ん……」

「男がコワイならさ、お嬢さんが自分自身を守れる程度に強くなればいいんじゃないの?」
 テンの言葉に、目から鱗が落ちたような気分になった。
 ――そうか。
「自ら強くなればいいのか」
 何でこんな簡単なことに気付かなかったんだろう。
「急所だけ知っとけば、大丈夫。あとはそこを思いきり殴るか何かすればよし」
 そして、ニッと笑う。
「やりようによっては骨が折れるかもしれないけど。いいよ。その位当然、と思えば」
ニヤリと、テンは笑った。

――その日の夜。
 ドカッ
「…っ!!」
 赤い血が流れているのが見えた。――別に、構うものか。そう、思った。
 ハァ、ハァ、ハァ。息が乱れる。あたしは、に言った。
「いつもやられてばかりだと思うなっ!!」

 
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