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『父さん』
生きているうちに、自分の父を呼んだのはただ一度だけ。

『お嬢さん、また、な』
 カアサンが興奮状態に陥っているので、今日は別れようとテンは言った。
 “今日は”。
 …つまりテンは、まだ会う気でいるのだ。
 ――あたしと同じように。

 家に戻ってからふと、今日のことを考えた。
『あたしがテンを好きなのは、変えようのないこと事実』
 そう思った。――いや、今だってそう思っている。

 ――だけど、テンは?

 例え片親であれ、キョウダイで結ばれることはできない。
 そんなこと、誰だって知っていることだ。
 ――あたしだってもちろん、知っていることだ。
 だからといってあたしは、テンへの想いを変えることはできない。――今でも。
『でも、テンは?』
 考え出すと、止まらない。

 テンは? テンは? テンは?

 ――そう、思うばかりで。
『今日は別れよう』
 テンは、そう言った。
 星が瞬き、暗闇が世界を支配した。
 まだ“今日”だった。でも…。

『会いたい』
 あたしは、家にある金をつかむ。
 ――なぜ、そうしたのか。
 丈夫なカバンに、テンがくれた服を詰め込んだ。
 ――どこかで、決心していたのかもしれない。

 行こう。テンのところへ。

 行って、訊こう。会って、訊こう。
『あたしへの想いは、変わってない?』
 ――訊こう。

「…お嬢さま?」
 声に、ギクリとする。
 そっと出たつもりだったのに…!
 ――何で起きているのだ?
 寝静まった屋敷の中。一人の女中が起きていたらしい。

「どうした?」

 …!
 声の主は、部屋の中からあたしを覗き込んだ。
 ――だった。
「旦那様、お嬢さまが…」
「…テワンマ」
 ――帰ってきていたのか。
「ゼスリィ、中で待っておいで」
「…はい、旦那様」

 パタン

 扉は閉められ、微かに漏れていた光はなくなった。――暗闇になった。
「テワンマ、どうした? こんな時間に」
 があたしの方に腕をのばす。
「あたしはっ」
 声をあまり大きくしないように。そうは思ったが、叫んでしまっていた。
「散歩です。夜の…。風が、気持ちよさそうなので…っ」
「こんなカバンを持って…?」
 は言った。

「こ、これは…」
「家を出るのか?」
 俯いていた顔を、上げた。
 の顔が見えた。
 ――やはり、というのはおかしいかもしれないが…。あたしは思った。テンと似ている、と。

「――ええ」
「そうか」
 かなり決心して発した言葉を、はあっさり受け流した。
「へ?」
「若いってのはいい。情熱があるからな。行くなら行きなさい。金は持ったか?」
 あたしがゆっくりと瞬きをすると、は部屋のドアを開けた。
 光が…とは言っても、かなりぼんやりしたものだが…漏れた。
「何をそんなに驚いた顔をしている? …ああ。だが、一度出ていったらこの屋敷に入れないぞ。それだけは承知をして行け」
「…質問が」
 このはこういう人間だったのか?
「好きな女が…愛する女が、いますか?」
「またまた突然に」
 はおどけた顔をした。――テンに似ている。また、思った。
「愛する時は、その人のみだが」
 は一度あくびをした。
「愛した人の数ならば、数え切れない程いるよ」
 …いいかげんな男だな。
 しかもコイツの言う『愛した』とか『愛する』ってなんだ?
「そうですか」
 ――そう言えば、『愛』って何なんだろう? あたしは意味が分からないのに使っていた。
「んー。ちなみに今愛してるのはゼスリィね」
「――今?」
 …つまりは妻だというのに愛されてないのか。 ――別に、どうでもいいことだが。
「では」
 クルリとに背を向けた。
「ああ、テワンマ」
 何なんだ。
「お前は私を一度も『父』と呼んだことがなかったね」
 キライだし、…そんな風に思えないからだ。
「最後の手向けに金をやったろう? 私に一度、『父上』と呼んでごらん」
 御父様でもいいぞ、と男は言った。
「………トウサン」
 呼んでみた。
 ――コイツと血のつながりがあることなど、実感できなかった。
「最後くらい言うことを聞いたっていいだろう…全く」
 は笑う。
「ま、ガンバって生きろ」
 が背を向け、部屋に入っていった。

 

 ――あたしは知らない。
 が、言っていたことなど。

『私の血を引く者の中でよく私に似たのが二人いるんだ』

 …その会話を、あたしは知らない。

『同じ頃に産まれて、面倒だったから、二人とも同じ名にした』
『まぁ、何としたのですか?』
『テワンマ。…古代ジェラスの言葉で“同じ”ってな』
 まさか二人が二人とも私に似るとは思わなかったが。
『では、似た顔に同じ名前ですのね』
『そうだな』
 そう、話していたことなど。

 
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