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三−ⅱ

「…実は、僕も白桜大学に居たんだ」
 僕の報告にひみちゃんが「え゛」と声を上げる。
 さすがのひみちゃんも驚いたようだ。
「い、居たの?」
「うん。あ、話に割り込んじゃってごめんね。『気の後をつけて…』それから?」
「あ、あぁ…。なんだか、気がぷっつりと切れちゃったのよねぇ。これって、深く考えた方がいいと思う?」
 ひみちゃんは長い髪をもてあそびながら僕に視線を合わす。
「考えた方がいいんじゃないかな?」
 なぜなら悪霊は体を一度支配したら、封魔具で封印するか、ある力で散魔させるかしか消す方法…人間から離す方法がないと聞いたことがあるからだ。
「もしかして、気配を消した…とか…」
「そんな事出来るのかしら?」
 悪霊がもっとも力を使えるのは闇夜…。今日は新月と来た!
「……ちょっと待て……」
 ひみちゃんにそう言って、僕は今更ながら、思う。
 秋山さんから悪霊の気配は感じられなかった。
 ――だけど。
(消えた、ワケじゃなくて……)
 仕事が終わったワケじゃなくて……。
 僕は口元を覆った。

「ひみちゃん」

 ――そう、顔をあげてひみちゃんを呼んだ。
 だが、ひみちゃんの目が遠い。
 その目は誰かの目に似ていると思った。
(……あぁ、そうだ)
 父さんが禊ぎを終わらせたときの目に、似ているんだ。
 父さんが、人形巫女となったときもこんな目をしている。
 …僕も、こんな目をしているのだろうか?
 僕は声をかけてみた。ひみちゃんはこちらを見ない。もう一度声をかける。
「ひみちゃん?」

「…悪霊が近づいてきている」

 ひみちゃんが厳かに口を開いた。

「闇夜を血で汚してはならない。巫女よ、魔を滅ぼせ」

 ひみちゃんと目があった。――目が、いつものひみちゃんじゃない!
「氷見、……氷見!」
 僕は思わず人形を…僕の人形の名を呼んだ。氷見はすぐに来る。
「いかがなされた?!」
 僕があまりにも必死に呼んだせいだろうか? 氷見は慌てている。
 ひみちゃんが一度ゆっくりと瞬きをした。
「――あれ…?」
 ――目が、ひみちゃんに戻った。首を左右に振っている。
 僕はひとつ息を吐き出した。……いつものひみちゃんの、目。
「私、何してた?」
 そしてぼくの後ろの存在に気づく。
「…あの時の…人…?」
 人ではないのだが…と僕は思ったがとりあえず黙っておいた。
(――あれ? あの時?)
 いつのことだろう?
 少しの沈黙が、ある「気」によって破れる。
「…ひみちゃん!」
 僕はひみちゃんのほうを見つめた。ひみちゃんも考えている事は一緒なのか、こくりとうなずく。
「行こう、なんだかすごい「気」だわ」

 さっきまでなかった気がまとめて出てきたというか…。とにかくすごい気なのだ。
「私、着替えてくる。水樹くん、先に行くなら、行っちゃっていいから!」
 居間にいる父さんに今から出かける事を言う。
「じゃ…。氷見、行くよ!」

「待て! これを持って行け」
 父さんの手には…。僕は結構、脱力した。この非常時に!
「お前が丹精こめて作ったミニ人形だ。これにでも封印してこい」
 父さんとミニ人形の組合せって、ちょっと…いや、かなり変だ。笑える。
「はいはい、明さん、秘の聖水も一応持たせた方がいいかしら」
「持ってけ」
「では、行って参ります」
 氷見が2人にむかって言った。
「うむ。しばらくしたら行く」
 父さんの言葉に僕は頷いた。

「水樹殿、お早く!」

 僕は氷見の言葉を聞いて、走り出す。
 ――今宵は新月、そして闇夜。悪霊がもっとも力を使えるとき!

 ざわざわと風がうるさい。なんだか僕に巻きついてくるというイメージがある。
「氷見、先に行くだけ行って、止められるなら止めて!」
「しかし水樹殿、それではわたしの守護の意味が…」
「大丈夫だから! 何か来たら、この人形に封印するし」
「ですが、わたしは……」
 氷見は、僕を守る『人形』。僕を守ることが、氷見の仕事。
 ……僕は上下関係が嫌いだ。でも主張ばかりしていても何も始まらない。何かよくないことが起きるかもしれないのに何もできないのは悔しい。

「――僕の命令だ!」

 氷見は黙り込んだ。僕をじっと見つめる瞳が悲しそうに揺れていた。
「分かりました。水樹殿、くれぐれも気をつけて…」
 ゆらりと視界が揺れた、そんな気がした。
 だが氷見がゆらりと周りにとけ込んだのである。
 悲しそうな氷見の瞳を思い出して、胸が少し、苦しくなった。
(……ごめん、氷見)
 息をひとつ吐き出し、気を取り直す。
 駅に着いた。電車、あるかな?
 時刻表を見る。後1時間しないと来ない…。どうしよう……。
 こんな時、『自分が無力だ』と思わずにいられない。もしかしたら悪いことが…人が、死んでしまうかもしれないのに…!
「水樹くん、いた! 乗って!」
 ひみちゃんがこっちにむかって叫んだ。
「水樹、早くしろ」
 ひみちゃんの兄、克己さんが車の窓から顔を出した(うちの兄ちゃんと同じ19歳)。
「すいません、お願いします!」
 ボクは後部座席に飛び乗った。

「お兄ちゃん、大学の場所分かってる?」
「おう、分かってる。…2人とも、シートベルトはしめたか?」
「? はい」
「ほんじゃぁ……とばすぞ」
 がくん、車が揺れた。少し圧迫された感じになる。

「?!」

 周りの景色が変わるのが、いつも以上に早い。
「お兄ちゃーんっっ、じ、事故らないでよぉっ!!」
「…努力するっ」
 僕はその時に見た。スピードメーターがぐんぐんあがって…ふと見たとき、時速80kmになっていたことを。

「おうっ、ついだぞ!」
 克己さんの努力(?)あってか、電車でさえ1時間半かかるところを1時間で到着した。
(途中に息が何度止まったか分からないけど…)
「大学?」
「ここ…気が禍々しいわ」
 ひみちゃんはぴしゃりと言った。僕はごくりと息をのむ。
 気が禍々しい。まるで大学からにじみでているような…そんな感じがする。
「…行こう!」
 僕は人形を握りしめた。氷見、どこにいるのだろう? 氷見に心で呼びかける。

氷見着イタヨ、ココニ来テ

 ざわざわと空気が揺れる。生温かい風が頬に触れる。
 胸がドキドキする、そんな気がする。息が圧迫されて苦しいのか、呼吸が止まってしまうような感覚にとらわれる。自分でもよくわからない。
「こんな時間にどうかしたのか?」
 この学校の人らしき男の人が僕にそう問いかける。この闇夜にどうしたのだろうか?
「え、あ、あぁ」
 僕はどう答えればいいかわからない。

 ……息 ガ 苦 シ イ

「そろそろ帰ったほうがいいぞ」
 生温かい風に、その人の髪がなびいた。その人は月も、星もない夜空を見上げる。にこっと笑った。
「じゃぁ」
 風が強くなる。その人は大学に向かってゆっくりと歩き出した。

「水樹くん、早く!」
「あ、今行く」
 暗い学校の中を歩く。もちろん、克己さんも一緒だ。
 ドクン ドクン
「ぎゃぁぁっ」
「!」
 僕等は目と目をあわせて軽くうなずく。
 この廊下の奧から声が響いた。

「ふふふ。あんたがいけないのよ」
 今はもう、物となった体に女は呟く。
「ひびきは、あたしのモノ…」
 髪が、床にハラハラと落ちている。赤いモノは、ない。
「覚悟しなさい! この、悪霊!」
 ひみちゃんの声がリンと響いた。

 
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