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新月。
悪霊の力がもっとも使えるとき。
わたしは力をとぎすませた。


 毎日毎日、演劇部室の前を通ると、荒井さんの熱の入った練習が見られる。

 そして学園祭、1日目。演劇発表が行われた。
 部員の多くない演劇部。
 ――宮崎先輩も、演劇部。
 「手伝わしてほしい」と無理を言って、僕も演劇発表に参加させてもらった。
 ひみちゃんも。
 このほうが新井さんの傍にいられるし…守りやすいと思ったからだ。
『氷見、先輩は今、どこにいる?』
『水樹殿、右のほうをご覧ください。そこにいます!』
 氷見の言葉に、僕は慌てて右側を向く。――いた!
 先輩も僕等と同じように衣装に身を包んでいる。
 先輩と目が合って、軽く会釈をした。
(…人形と聖水を持ってきて正解)
 悪霊が荒井さんを傷つける前に――封印してやる!

 かぐや姫は荒井さん。
 『現代版かぐや姫』ってカンジで、オリジナルになっている。
 長い間子供の生まれなかった夫婦は、竹林で女の子と出会う。
 竹林にいた女の子は『かぐや』と名前をつけられ、すくすく育つ。
 …いろんなお金持ちにプロポーズされて…でも、かぐやは誰のプロポーズも受けない。

 でも月に帰る前に一度だけ、『帝』という名字の人には会いに行く。――今夜が最後、と。
 ひみちゃん――そして先輩は、月からの使者役。
 月からの使者は、荒井さんに近づくこともある。
 ――クライマックス。月からの使者がきて、かぐや姫を連れて行って…月に帰ってしまう。
 僕は、帝に雇われた護衛の一人。

「かぐや!」
「帝さん…これを…これを――!!」

「かぐやーっ!!」

 ――すっと。
 使者が…先輩が、かぐや…荒井さんに近づく。
「――…?」

 舞台の上で見ているから、荒井さんが戸惑っているのがわかった。
 ――こんな動きはなかった、みたいな――…。

「かぐやは、俺がいただく」
 先輩はよく通る声で言った。
(…あ!!)
 リハーサルで宮崎先輩は台詞なんかなかったはずじゃないか!!

『氷見!!』
 僕は氷見に呼びかけた。
「――俺の命を奪ったかぐや。…その命、俺がいただく」
『はっ!』
 …氷見の返事と
 ――ざっ
 赤い血が舞台にまき散らされたのは
 ――同時だった。

「…っ、きゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
 先輩の姿が消える。
 荒井さんは、先輩の腕から滑り落ちた。
「――っ」
 うろたえるなっ。
 …うろたえちゃ、いけない…っ!!!

『氷見、先輩の後を追って!!』
『はいっ!』
 荒井さんは、うまい具合に雲代わりの沢山の布の上に落ちた。
 左肩から右横腹まで切られてしまっている。

「――ぁ…っ、…ぁ」
「!!」
 荒井さんの浅い呼吸が聞こえた。僕は辺りを見渡し、先生に叫んだ。
「病院!!」
 僕は走りだした。
 保健室の先生が、他の先生に呼ばれて舞台の上にのる。

『氷見、先輩はどこ?!』
『屋上です! ――悪霊が、私の存在に気がつきました!!』
『えっ?!』
『出来る限り抑えます! 水樹殿、――お早く!!』
 全力疾走。――僕は階段をかけ上がる!

 …バンッ!!

「氷見!」
 その音に――僕の声に反応して先輩が、こちらを見た。

「…弥鏡…――人形師、なんだって…?」
 冷たく、響く声。
 ――これは…この声は、先輩の声じゃない。――悪霊だ!
 僕は身構える。

「何で殺したか…。聞きたそうだな。――教えてやるよ」
 声と同じくらい冷たい目と、笑顔。
 ――その顔に、表情がなくなった。

 タン タン タン

 氷見は先輩の傍に立って、その場で足踏みをした。
 ――僕にその様子は見えない、けれど。
 そうしていると、知っている

「あいつら…主役をやりがいからって、みなみをいじめたんだ」
 僕は内ポケットに入れておいた聖水を取り出す。
 フタをあけて、先輩に聖水を投げて、かけた。
 先輩が顔をしかめたのは、一瞬。次の瞬間には、バカにしたような笑みを浮かべる。

「――水が、どうした?」
(…氷見…っ)
 僕は声にしないで氷見を読んだ。

 タン タン タン

 先輩からポタポタと、水がしたたり落ちる。

「…それを知ったのはみなみが自殺してから、だったけどな…」
 宮崎先輩と目があう。――背筋がゾクリとした。
 ――その、暗い瞳に。
「なんで…なんで自殺したのか、知らなかったんだよ、俺は」
 ――言って、先輩はぐっと唇を噛んだ。

「だけど、俺は見た。あいつ等が話していたところを…。――奴等は、人ひとり死んだというのに平気な顔をして『主役をやりたい』と――言ったんだ。人ひとり死んだというのに…『チャンスだ』ってな!!」
 先輩の怒りの声に、思わず後ろに下がりそうになる。
 ――だけど僕は、動かなかった。

「――だから…、殺してやった。俺の、この手で」
 先輩が一歩近づく。
 氷見が悪霊を封印するために踏み、結んだ印の中央へと立った。
 準備は整った。…封印を、してしまいたい。
 けれど、悪霊は人の体から離れていなければ、人形に封印できない…!

 バンッ

「覚悟なさい! 散魔してやるわ!!」
 凛と、ひみちゃんの声が響いた。
「……!」
 僕には分からない呪文を唱える。
「――ぁ…が――ッ!!!」
 先輩は胸元をかきむしった。
「この…小娘!!」
 ――悪霊が出た! 僕と氷見は封印するための呪文を言う。

「「ア シ キ モ ノ ヲ フ ウ ジ ン ト ホ ッ ス ! !」」

 氷見の声のない言葉と、僕の声が重なった。
 そして、悪霊がひみちゃんに力を投げつけようとした瞬間。
「…!!」
 ――悪霊は、人形に封印された。
「!!!」
 一つ息を吐き出す間もなく、先輩がゆっくりと倒れる。

「先輩!!」
「わたし、先生呼んでくる!」
 ひみちゃんはそう言って走り出した。
「先輩、先輩!」
 こういうときはどうすればいいんだ…。どうすれば…!
 ふと、先輩の目が開く。
「…弥鏡…?」
「先輩!」
 ホッとしたのもつかの間、ビクッと先輩がけいれんをした。
「先輩?!」
「――はは、とうとう、きた、かな…?」
 顔が、真っ青だ。先輩は右手を心臓の上あたりにのせる。
「俺、これでも心臓弱いんだ…」
「?!」
 そんなこと、知らなかった。応急手当…ッ!!
「先輩、どうすれば…、僕は、どうすれば…!」
 先輩がちょっとだけ笑った。呼吸が乱れる。
「どうしようも…ない。これ、あと少ししかもたないって医者に言われてたようだし」
 心臓を指してそう言う。

「――みなみの敵、とれたんだ。思い残すことなんて、ないよ…」

「みなみちゃんの敵?! なに馬鹿なこと言ってんの?!」
 突然の声に僕は振り返った。
「…石川…?」
 ――いつの間にか、演劇部の部長さんが姿を現した。
「みなみちゃん、苦しがってた。でも、最後まで演劇やりたいって。そう言ってたのよ?!」
 部長――石川先輩の言葉に、宮崎先輩が声を張り上げた。

「――なぜ、助けてくれなかった?! みなみ苦しがってんの知ったんだろ! なぜ?!」
 しばらくの、間があった。
 宮崎先輩が、僕の服を掴んでいる。ぎりぎりと、強く。
「…みなみちゃんが、そう望んだから」
 石川先輩はようやく、そう答える。
「――みなみ…が…?」
 石川先輩が頷いて。
「このことは自分でどうにかすますって。だから…宮崎君にも言うなって…」
 ――その瞳から、涙が流れた。

「自殺するなんて…ッ」
 苦しそうな声。
 ――宮崎先輩は声を失っていた。
「…次の日に手紙が来たの。『みんなを怨みそうになってしまうから』って。『鬼になってしまいそうだから』って。――『そんな姿を宮崎君に見せたくないから』って…。あの子、心がきれいなまま、天に召されたかったのよ…」
 言いながら、石川先輩の瞳からは涙が溢れ続ける。

「――もっと前に言ってほしかった。――言ってほしかった」
 わたしが止められたなら、と石川先輩が俯いた。
「――…」
「死んでほしくなんかなかった。…一緒に、劇をやりたかった」
 ぐ、と石川先輩が唇をかんだ。顔をあげる。
「みなみちゃんは、宮崎君に復讐してほしいなんて――望んでなかったはずよ!!」
「……」
 僕の服を掴んだ手が…宮崎先輩の手が、震えた。
 ――それがわかった。

「…どうして…」
 小さな声。
「…どうして、俺に言ってくれなかったんだ…みなみ…」
 先輩の目からも涙があふれる。そして先輩はけいれんをした。

「先輩!」
 苦しげな顔。
 ――心臓が悪いと言った、宮崎先輩。――発作?!
「…先輩!!」
「宮崎君!!」
 宮崎先輩は石川先輩と僕の顔をふと、見上げた。
 痛みに耐えるように、一度大きく息を吐き出す。

 吐き出して――小さく、名を呼んだ。
「――みなみ…」
(僕は、どうすれば…っ)
 わからなくて、どうすればいいのかわからなくて――先輩の手を握る力を、強くする。

「…ごめん…」
 それは、誰に対する言葉かわからなかった。

「――ありがとう…」

「――…」
 僕の服を掴んでいた先輩の手の力が抜けて、パタリと落ちた。
「――せんぱ…い…?」
 返事が、ない。
「先生、ここ!!」
 ひみちゃんの声が聞こえる。ひみちゃんと目があった瞬間、涙があふれた。
「――…ッ!!!」

 魂が抜けたのが分かった。
 分かりたくないのに、分かってしまった。

「…水樹くん?」
「宮崎? 宮崎!」
 ――先生の呼びかけが、遠くに聞こえた。

 
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