雨が降る。
…しとしとと、しとしとと。
――雨が降る。
足を進めるたびに、雨脚が早まってように思えた。
「到着!!」
ザー ザー ザー
「…なんか、本降りになっちゃったねぇ…」
僕は思わず言った。
バケツをひっくり返した…というのは言い過ぎかもしれないけど、もうちょっとでそのくらいの勢いになりそうだ。
「なんだ、開いてるじゃない」
睦月ちゃんはそう言って、ヒョイッと学校に入る。
未来も続いた。
「…開いてるんだねぇ」
僕はひみちゃんに言った。…返事がない。
「――ひみちゃん?」
「あ、あぁ…ごめんね」
そう言ってから「そうだね」と続けた。
「どうしたの?」
ひみちゃんの様子が少し、違うような…?
「――大丈夫?」
この雨で体が冷えちゃったのかな。
今は9月中旬。
雨が降れば気温も結構下がる。
「え?」
「あ、体が冷えたかな…とか思って」
ひみちゃんは瞬きをしてから首を横に振った。
「ううん。…大丈夫だよ」
水樹くんは心配性だね、と笑う。
「なぁ、今日って学校休みだよなぁ?」
…と、未来の声が届いた。
「え?」
「だから“今日は休みだよな”って言ったんだよ」
「いや、未来の言ったことは聞こえたけど。なんで?」
これで今日学校が休みじゃなかったら、サボりになっちゃうよ。
…ついでに今日は日曜日のはず。
日曜日に学校があることは、そんなにないと思うけど…。
「昇降口が開いてるからさぁ」
「えぇ?」
休みなのに?
僕の声が「何言ってんの?」みたいに聞こえたのか…というか、思っちゃったんだけど…未来が「見てみろよ」と言葉を強めて、言った。
…確かに、どう見ても、昇降口は開いていた。
「――開いてるねぇ」
「な?」
「中に入ってもいいかな」
睦月ちゃんはそう言いながらさっさと昇降口に向かう。
休みの日ってあんまり入らないほうがいいんじゃ…とか思ったけど、睦月ちゃんの後には未来が続いていて。止めるのは難しそうだから、僕も続く。
僕達はそれぞれ傘を閉じて、傘立てにさした。
ひみちゃんがピクリ、と何かに反応する。
「…どうした」
の、と。そう言おうと思った。
――ひみちゃんがじっと、一点を見つめている。
ひみちゃんの視線を追うと、一人の男がいた。
男、とは言っても僕達と同じ年くらい。多分、生徒だろう。
僕のクラスの靴箱辺りから真っ直ぐ、廊下が続いている。
その廊下の終わり…突き当りに、ソイツは立っている。
ソイツとの距離はそれなりにある。
…だけど、わかった。
ソイツが口を歪めて、笑った。
「…――?」
僕は睦月ちゃんと未来と、顔を見合わせる。
ひみちゃんはじっと、ソイツを見つめ続けている。
「あの人…」
ひみちゃんが小さく言った。…すると、ソイツは姿を消した。
「「?!」」
未来と睦月ちゃんが息を呑んだのがわかった。
…けど…。
「教室か、階段上って行ったんじゃないかな」
と僕は言った。二人は「あ、そうか」と小さく息を吐き出す。
部活か何かをやりに来てるのかな。
僕はそんなことを思いながら、上履きに履き替えた。
…ひみちゃんは何かを追い払うように頭を振って、やっぱり上履きに履き替える。
「あー…おれ等、上履きないな」
「そういえば、そうね」
睦月ちゃんも頷いた。
「スリッパ借りてこようか? …って、置いてあるかな…」
僕は提案したものの、スリッパがどこに置いてあるかどうかわからない。
(職員玄関とかにあるかな)
――と…。
「…?」
僕の思考が、停止する。
ゾクリとした。
背筋を何かが這い上がっていくような…嫌な、感覚。
その感覚…雰囲気。…ううん、気配は…。
ひみちゃんと僕は同時に、同じ方向に視線を移す。
…きっちりと分けられた髪。だけど、ラフな格好。
会社勤めのお父さん、っていう感じの人。
先生ではない、知らない人がそこに立っている。
「…な…」
気配。
この嫌な感覚。
僕達は一斉に息を呑んだ。
…同時に、わかった。
この気配は…ヒトのものじゃない、と。
(この気配は――!!)
その人は、うつろな瞳でこちらを見つめる。
立っていたのは一人ではなかった。
「!!」
5人…いや6人、知らない人達がいる。
(囲まれた…!)
しかも…全員、憑かれているようだった。
「な…んだぁ? コイツ等!!」
未来がそう言うと、その言葉が合図であったようにその人達は一斉に僕達に襲いかかってきた!
全員、僕達より年上…大人だ。
思い切り殴られたら、こちらが危ない!!
「う、わぁっ!!!」
「とりあえず、逃げろ!」
未来はそう言って、廊下側に立つ男の人(会社勤めのお父さん、って感じの人)に肘鉄をくらわせると、睦月ちゃんの手を引く。
「ひみちゃん!!」
僕はひみちゃんの手をつかんで、未来の後に続いた。
――あ!
「未来、靴!!」
未来(と睦月ちゃん)は靴を履き替えていなかった。
雨の中歩いてきたのだから当たり前だけど、未来の走った後には点々と足跡が残る。
「今はそんなこと気にしてる時じゃないだろ?!」
僕達は廊下を真っ直ぐに走る。
…そう、さっき男子生徒が立っていた方向へ!
後ろからは変な大声を出しながら、さっきの人達が追ってくる。
「なんなんだよっ」
未来は舌打ちをした。
「とりあえず、校内からは出たほうが利口だな!!」
僕に言うためか、大声で未来は言った。
「じゃ、教室に入ろう!」
教室の窓から、中庭に出られる。
提案すると、未来はすぐ傍の教室に入った。
未来は窓の鍵を乱暴に開けると、中庭に出た。僕とひみちゃんも二人に続く。
「「「「!!」」」」
僕は…一度、呼吸を止めてしまった。
僕達のいた校舎ではない校舎から、たくさんの人達がいた。
ざっと…50人…いや、もっといるかもしれない。
見たことのない人や見たことのある人――先生や、生徒――がうつろな瞳で、人によっては変な声を張り上げて、教室からでてきた。
「とりあえず、校庭に逃げろ!」
未来の声に頷いて僕達はとにかく、走る!
雨は止む気配を見せず、相変わらず本降りだ。
変な大声を出しながら人々は追ってくる。
昇降口の脇には、渡り廊下がある。
そこから校庭にでる…でようとする。
「――っ!!!」
なんてことだ!
渡り廊下では僕達が進むのを邪魔するように、6人の人がいた。
一人は先生だ!
後ろからも、憑かれた人達が追いかけてくる。
僕達の邪魔をする人以外も、第一校舎のほうから出てきた…!
「なんで…っ!!」
ここに、こんなにも!
僕の叫びと同時に、未来は言った。
「睦月、粉は持ってるか?!」
「いつでも持ってるわよ」
未来の言葉に睦月ちゃんは答えた。
「雨が降ってなきゃよかったのに…」なんていう未来の呟きが聞こえる。
…僕達を追ってきた人達は、着々と僕達に近づいてくる。
一人が、ひみちゃんに腕をのばしたのが視界の隅で見えた。
(――っ!!!)
僕はひみちゃんと、腕をのばしてきた悪霊――に憑かれた先生――の間に、割り込む。
「水樹くん!」
その腕が、僕の服をつかむ!
先生の瞳はうつろで、目の見えない人はこんな風なのかもしれない、なんて思った。
僕は服をつかんだ先生の腕を引き剥がそうと、ひっぱった。
…でも、力が足りない。
ギリギリと、その手が服をひっぱってもう一方の手が、振り上げられた。
殴られる、と思った。
同時に、僕は心の中で、呼んだ。
(――氷見…ッ)
僕の相棒の名を。…僕の人形の名を。
――その時…。
「 !」
ひみちゃんは何か呪文を唱え終える。
澄んだ瞳、そして声。
僕の服をつかんだ人が…悪霊に憑かれた先生の腕が、緩む。
苦しいのか、頭が痛いのか…体を震わせて、座り込んだ。
…先生だけじゃない。
僕達を取り囲んだ、悪霊に憑かれた人達はみんな苦しそうにしている。
――僕達を取り囲んだ人達がみんな、座り込んだ!!
雨は降り続ける。
…今頃、雨水を『冷たい』と。
『寒い』と感じるようになってきた。
「――おっしゃっ」
未来はそう言って、笑みを浮かべた。
「 …」
未来は手で印を結び、言葉を紡ぎ始める。
「… ッ!!!」
風がふいた。
まるで、未来の言葉に答えるように。
「えいっ!!」
睦月ちゃんは懐から出した黄色の粉を、未来の呼んだ風に向かって、投げる。
風が、僕達を囲む人達に絡むように、巡った。
低く…ある人は気が狂ったように高く、唸るような…叫ぶような声をあげて、倒れていく。
雨は降り続ける。
「…大丈夫…か…?」
未来は小さく呟いた。
ゆっくりと倒れこんだ人に近づき、軽く蹴る。
「…未来…」
蹴るのはどうだろう…と、僕は思わず名前を呼んだ。
「ん、気を失ってるみたいだな」
僕の非難の混ざった声に気付いているのか、いないのか。…まぁ、気付いていても未来の場合普通に無視しそうだけど…。
「とりあえず…抜けたみたいだね」
ひみちゃんはほっと息を吐き出した。
「どうする? このままじゃ、風邪引いちゃうよ」
あたし達も危なそうだけど、と睦月ちゃんは体を一度震わせた。
確かに、このままじゃ風邪をひいてしまいそうだ。
「あ、未来。もう一度、『風』を呼んでくれる?」
「? なんでだ?」
どーすっかなぁ…とか呟いていた未来が、睦月ちゃんの声に振り返った。
「『暗示』を使って、それぞれ帰ってもらおう」
「あぁ、なるほど」
睦月ちゃんの提案に未来は頷くと再び風を呼んだ。
今度は紫色の粉を、風に向かって投げる。
…風が、巡った。
それを見届けると睦月ちゃんはゆっくりと言う。
「“起きなさい”」
ピクリ、とそれぞれが反応した。体は重そうだ。…だけど、起きあがる。体を起こす。
人々の目はうつろだけど、さっきまでの…悪霊に憑かれていたときとは違う。
どちらかといえば眠そう、という感じのうつろさだ。
「“帰りなさい、貴方達の家へ”」
ゆっくりと…だけど確実に、僕達を取り囲んでいた人達は立ち上がる。
睦月ちゃんはもう一度「“帰りなさい”」と告げた。
すると、歩き出す。
ゆっくりと…ゆっくりと。
僕達はしばらくそんな人々の様子をみていたけれど、睦月ちゃんは思い出したように「あ」と声をあげ、慌てて言った。
「“今日のことは、忘れなさい”」
その言葉に、歩き出した人々は一度動きを止める。
だけど睦月ちゃんが「“帰りなさい”」と言うと、再び歩き出した。