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四−ⅰ

鳥肌が立った。
――悪霊は、すべて消えたはずなのに。
けれど、この気配は…悪霊の、モノ。


 声を聞いてから、一気に鳥肌が立った。
 体が冷えた、寒さのせいじゃない。
(なんだ…?!)
 さっきまで憑かれていた人達の悪霊とは違う。――もっと、強力な…もっと、力のある気配。

 声のしたほうに振り返った。
 ――立っていたのは、生徒。
 校内で最初に見た人だ…!

 目が、あった。
 最初に見たときのようにソイツは、ニヤリと笑う。

 そしてもう一度、言った。
『楽シソウダナ』
 声はくぐもったモノ。
 その声を聞くだけで、背筋がゾクゾクする。
 ソイツは笑ったまま一歩、また一歩と足を進めてこっちに近づいてきた。

「まだ居やがったのか!」
 未来は舌打ちと一緒に言葉を唱え始める。
 …『風』を呼ぶ言葉だ!
「     ――」
 ひみちゃんも呪文を唱える。
「…     ッ!!」
 ひみちゃんが言い終わらないうちに、未来は言葉を言い終えた。
 風がくる!!
「えいっ!」
 睦月ちゃんはさっきと同じように、黄色の粉をその風に向かって投げる。
 ――風は、ソイツに向かった!!

 黄色の粉が、ソイツに絡まる。
 ゆっくりと膝をおる…だけど!!
『…クッ』
 ソイツの表情が歪んだけど、倒れることはなかった。
 ソイツは両手をじっくりと見て、また…笑う。
『…ハハハッ…』
 そして――立ち上がった!!
『…離レナイ……離レナイゾ…』
 言葉と一緒に浮かぶのは、暗い笑み。
 瞳は、月のない夜のように暗く…よどんだ印象もの
「…っ!!!」
 未来と睦月ちゃんが息を呑むのがわかった。
 その、次の瞬間に…
「――     !」
 ひみちゃんが、言い放つ!
「離れなさい…消えなさい! 悪霊!!」
『!!』

 何かエネルギー…光のようなものがソイツにぶつかって、弾けたように見えた。

『――ッ…!!!』
 ソイツはガタガタと、震える。…震え始める。
 一度立ち上がったけど、また、膝を折った。
 僕達まで、あと四、五歩というところだ。
『…コレデ…祓ッタ――ノカ…』
 その言葉に、僕達は顔を見合わせた。
 …こいつが、あんなにもたくさんの人達に悪霊を憑かせたということなんだろうか?

 次第に肩で息をし始める。そして、苦しげに叫んだ。
『あ…ぁ…あ…!!!!』
 そして喉を、顔を、髪を、掻きむしる。
『ぐ…ぁ…が…っ!!!!』
 ――こっちまで苦しくなってしまうような声をあげて、ただ叫ぶ。
『うあぁぁあぁあ…っ!!!!』

 浅くて、早い吐息。
『…な…んで…』
 僕はソイツの声を聞いた。小さな…微かな声。
(――…あれ…?)
 震えと一緒の呟きは、さっきまでとは違う声に思えた。
『…俺、は……あ…ぁぐ――ああああぁぁ!!!』

「          !!」
 ひみちゃんはまた、呪文を唱える。
 …さっきとは少し違う呪文みたいだ。
『ぅがぁああぁあああっっっ!!!!』

 獣の咆える声よりもっと激しくて、強い声をあげた。
 そして、僕達を…いや、ひみちゃんを見据える!!
「!!」
 僕は思わず、間に割り込んだ。
 睨むのと同時に腕を、ソイツは伸ばす。
 ――ひみちゃんに襲い掛かるように。
「…!!!」
 その視線だけで、心臓にトゲが…ううん、刀が突き刺さされるような感じだ。
 僕の心臓が、やけに早く動く。
 …どく、どくと心臓が動いているのを感じる。
「――大人しくしてろっ」
 未来の声が聞こえた。鋭く。
 ――風が起こる。
 その風に向かって睦月ちゃんが紫色の粉を投げ、強く言った。
「“大人しくしなさい”!!」

 伸ばされた腕が、叩きつけるように地面に落ちた。
 その腕がひみちゃんにとどくことはなかった。

「やった…か…?」
 未来が吐息と一緒に、言った。
「…」
 僕はじっと、倒れたソイツを見つめる。
 ひみちゃんは一歩、近づいた。
「! ひみちゃ…」
 まだ、近づかないほうが…そう、言おうと思った。
 だって、まだ…気配を感じる。
 ――そんな僕の心配をよそに。
「…気絶しているね…」
 ひみちゃんは、触れる。
 うつ伏せだった体を、仰向けにした。
 僕は思わず大きく息を吐き出す。
 …何も起こらなかった。
(とりあえず、体からは抜けたのかな…)
 僕はそう思いながら憑かれていた人の顔を覗き見る。
 この顔は確か…あぁ、そうだ。
 隣のクラスの塚田…とかいう人だ。
「――…塚田?」
「は? 塚田?」
 未来は僕の隣に立って、言う。
「この人?」
 睦月ちゃんも言った。
 …僕は気づかないうちに、声に出していたらしい。
「うん、そう…なんだけど…」
 僕は塚田のことは、よく知らない。
 …だけど、その名前に反応した。

 雨は止まない。
 ――昨日のお葬式の時と同じように。
 昨日も宮崎先輩の死を悲しむ涙のように、雨は降っていた。
 …その、宮崎先輩の幼馴染み。
 ――亡くなってしまった、塚田みなみさん。

 …そういえば昨日、この人もいた。
 そうだ。塚田望…って名前だったと思う。
(塚田さんの、兄弟…?)

「ねぇ」
 僕はその声に、はっとした。
 声は、ひみちゃんのもの。
「移動しない? このままじゃ…」

『…オ…ノ、レ…』

 ひみちゃんが全ていい終わらないうちに、声が…くぐもった声が、耳にとどいた。
 ――降りしきる雨の中でも、なお。

「「「……!!!」」」
(やっぱり…っ)
 気配はあった。
 どこにいる? …どこに…!
「…んだよっ」
 未来と僕はほぼ同時に立ち上がった。
 未来と睦月ちゃんは背中合わせに立っている。
 …その時。
「――水樹くんっ!」
 ひみちゃんが僕を呼んだ。
 視線を、ひみちゃんへ向ける。
 …僕の目に飛び込んできたのは、腕を伸ばした、ひみちゃんだった。
 そして…
「――ぅわっ!!」
 僕はひみちゃんに、肩を勢いよく押された。
 バランスを崩して、転ぶ。
 背中まで地面につく。

『…小童ガ…!!!』
 怒りを含ませた声が、とどいた。
 ひみちゃんは呪文を唱え始める。
『…オノレェェエエェッ!!!』
 仰向け状態の僕の上を“何か”が通っていったのが見えた。

「…っ」

 慌てて起き上がった僕が見たのは、痛みに歪めている…そんな、ひみちゃんの顔だった。

「…ひみちゃんっ!!」
 名前を、呼んだ。
「……――…」
 言葉にすることなく、ひみちゃんは何かを呟いた。
 そして…
「妃己っ!!」
 ひみちゃんは、その場に倒れこんだ。

「ひみちゃん!!!」
 僕はひみちゃんを抱き起こしながら、呼びかける。
「…ひみちゃん!!」
 荒い呼吸と、痛みに歪んでいる表情。
(何が…何が、起こったんだ?!)
 頭が混乱しそうだ。
 悪霊は?
 気配は?
「…――ずき…く…ん…」
 その呼びかけで、僕は、混乱しかけた頭を元の状態に戻すことができた。
「ひみちゃん…っ」
 ひみちゃんはうっすらと目を開いていた。
 ――その体は、冷たい。
 雨に、体温を奪われるせいなのか。
「――あくりょ…う、…たし…の……」
 呼吸と呼吸の間に。ひみちゃんは言う。
(あくりょう…わたしの、なか?)
 聞こえた声を、僕は心の中で繰り返した。
「ひみちゃんに憑いたの?!」
 僕は半ば叫んでしまう。
 ひみちゃんはうっすら開いていた瞳を閉じて、微かに頷く。
「そんな…」
「――…っ」
 ひみちゃんの顔がまた、痛みに歪む。

「睦月、やるぞっ」
「えぇ」
 ひみちゃんが未来の風と、睦月ちゃんの粉に包まれた。
「…しつこいわねっ」
 睦月ちゃんはいらいらしたようにして、言う。
「何回でもやるぞ…ってか、なんで妃己が憑かれたんだ…?」
 未来の一言に、僕はハッとした。

『水樹くん!』
 ひみちゃんは僕の後ろを見て、僕を呼んだ。
 それから…僕を、倒した。
(…ひみちゃんはどうして、僕を倒した?)
 ひみちゃんに押されて…僕は倒れて…背中が、地面についた。
(背中…。――っ!!)
 ――そうだ! 悪霊が…霊が、憑くときは背中から入り込むことが多いんじゃなかったっけ?
 ――それがもし、正しいなら…。
(ひみちゃんは、僕に憑かせないために…?)
 僕を…庇ってくれた…?

 未来が、手で印を結びながら言葉を発して、風を呼ぶ。
 睦月ちゃんはもう一度、黄色の粉を取り出している。

(僕は?)
 ひみちゃんは、言ってくれた。
 “僕はすごい”と。
 ひみちゃんは言ってくれた。
 “僕は、何もできないなんてことはない”…と。
 ……僕は?
 僕が、できることは…ないのか?

 悪霊に憑かれてしまったひみちゃん。
 …僕を庇ってくれた、ひみちゃん。

 氷見が…いれば。
 僕も、悪霊を封印できる。
 ――封印ができなくても、末来達の手助けができる。
 ひみちゃんのために、何かができる。
 氷見がいれば…
(氷見が、いれば…)

「…見…」
 氷見、と。
 名前を呼んだ。
 目を閉じて、姿を思い浮かべた。
 肩胛骨ぐらいまでのさらさとした黒髪。
 澄んでいて、吸い込まれそうな黒い瞳。
 男ではなく、女でもない。
 僕の相棒。

 ――悪霊を封じる、僕の人形。

 
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