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2,ちとせ

「ただいま帰りました」
「おかえりなさいませ」

 お手伝いの皆様方がわざわざお出迎えにいらしてくれました。
 我が家のお手伝いさん達の服装は女性が黒いワンピースにエプロン、髪は軽くまとめるようになっております。
 男性は黒い動きやすいスーツです。

「着替えたらお茶を飲もうと思いますの。テラスにテーブルを出しておいて下さいますか?」
「承知いたしました」

 お手伝いさんにお願いをして、私は足を進めます。
 玄関から入って右に曲がると階段があり、そこを上りきって右に回り、一番奥にある部屋を目指します。
 そこが私のお部屋です。
「ふう、今日も疲れましたわ」
 机の上に鞄を置いてから着替えを始めます。

 我が学園の制服の色は、光沢のない――よく見ると紺がかっている…黒のワンピース。
 首もとには赤い色のリボンがちょうちょ結びに揺れます。
 その上から羽織るか羽織らないかは自由のブレザー。ちなみに私は羽織っています。

(今日は誰もいらっしゃる予定はないですわね…)

 私はクローゼットからお気に入りの服を取りだしました。

*** *** ***

 階段を軽やかに下りてくる音がする。降りきると玄関からまっすぐ奥に向かって、途中で曲がった。
 彼女の服装は、今の時期ではまだ、少し「寒くないだろうか?」とも思える膝までのデニムのハーフパンツ、上は白い、大きいプリントの入ったTシャツの下に、ボーダー柄の長袖…というとても楽なスタイルだ。
 …この家にはあまり似つかわしくない気がするが。
 彼女のしばらないままの、腰までの髪が揺れる。

「あ、お嬢様、机、お出ししておきましたよ」

 1人のお手伝いさんがすれ違いざまにそう言う。
「さんきゅっ!」
 明るい声と笑顔。
 …彼女は『篠木知都世』、その人であった。

*** *** ***

「代々木ー、お茶!」
 あたしはティーポットをずいっと代々木の方に差し出す。代々木はティーカップを遠慮がちにあたしに差し出した。
「お、お願いします。…それからお菓子を少しお持ちしました」
「代々木、『あたし』の時にはそんな言葉遣いじゃなくていいのよ」
 『あたし』と言いながら、あたしは胸元に手を当てる。
「いや、あなたはお嬢様で…」
「いーの、いーの、関係なしっ!」
 代々木の言葉に手を振った。
 肘をついて紅茶を飲もうとする…と、代々木の瞳がきらりと光った。

「お嬢様っ! 肘などをついてはしたないっ!」

 肘をつかずにお飲み下さいっ!
 代々木はそう言って優雅に紅茶を飲み始める。
「ふぅ、仕事のあとのお茶はまた、絶品でございますな」
 代々木はなぜか遠い目でそう言う。
「それはあたしの入れ方が上手いからよ」
 あたしは肘をつくのをやめてから、そう言った。また代々木の瞳がきらりと光る。
 そして、得意そうにこう言った。
「お嬢様、あなたにお茶の入れ方を教えましたのはわたしの妻。…わたしの妻も、入れ方はなかなか上手いですよ」
 代々木の言うことは、正しかった。
 確かにあたしに紅茶の入れ方を教えてくれたのは、代々木の奥さんだ。
 ――奥さんなのだが。

「…ばかっぷる引きずってんじゃないわよ」

 思わず、あたしはそう漏らしてしまった。
「はっ、何を言います、お嬢様っ」
 代々木の様子に思わず笑ってしまう。…代々木ったら、顔が真っ赤なんだもん。
 あたしはくいーっとお茶を飲み干した。「ごちそうさま!」とカップを置く。
 ささっと立ち上がった。
「あたしちょっと出かけてくるわ」
 しゅたっと軽く手を上げる。
「お嬢様、今日はどこにも行かないんじゃないのですか?!」
 寄リ道しなくていいと今日の下校中に言っていたではありませんか。
 たまに早く帰って来られたのですから…とか、代々木が少し引き止めようと努力しているのが分かる。
 ――いつもいつもごくろーさま。
「あら、用事がないのは『篠木』知都世よ」
 あたしは言いながら自分で飲んだ分を片付ける。
「『ちとせあたし』には友達に会うっていう大事な用事があるの」
 『篠木』の肩書きのない『ちとせあたし』。
 …いつの間にか、そうやって区別するようになっていた。
 軽く二重人格?
 ――まぁ、あたしとしてはそんなに矛盾したモノのつもりはないんだけど…。

「歩いて行かれるんですか?」
「? そりゃそうよ」
 代々木の問いかけに突然何を言いだすの? と言葉なく尋ねた。代々木はテーブルを軽くとんっと叩く。
「お嬢様、篠木家からあなたが出てきたのがばれたらどうするんですか!」
 …この格好のあたしが家から出て行ったら、という意味かしらね?
 まぁ、あんまり似つかわしい格好ではないかもね。
 言葉にしないままそんなことを思っていると、代々木は続ける。
「後々面倒です! わたしが途中までお送りいたします!」

「大丈夫。家ってもとから変に思われてるみたいだから」
 こんな格好のヤツが出てきたって大丈夫大丈夫、と手をヒラヒラとしてみたけれど、代々木は首を横に振る。
「わたしがよくないんですー」
 ――代々木、涙ながらに訴えるって感じ?
「えー、だってメンドクサイよ」
 ホントのトコロをぶっちゃけてみた。
 ら。
「おーねーがーいーしーまーすー」
 …涙ながらに訴える、が振り(?)だけじゃなくてマジメに目が潤んできている。
 ――はぁ、しょうがない。

「途中までよ?」
 あたしの言葉に代々木は「お任せください!」と胸を叩いた。
 「失礼します」と、あたしが汲んだお茶をくいっと飲み干した。

 いつも、学校まで送迎で代々木が運転してくれる黒い車じゃなくて、代々木の私用車に乗せてもらうことにした。

「桜が見事ねぇ!」

 車が走り出してしばらく。
 桜の並木道を走りながらあたしは呟いてしまっていた。
 やっぱりあたしは桜が好きだなぁと思ってしまう。

「こちらでよろしいですか?」
 角を左に曲がる前に代々木が口を開いた。
「ん、おっけ」
 ありがとう、と代々木に言って車を降りようとすると…
「お早めにお帰りくださいよ」
 …そう、釘を刺された。
「大丈夫、分かってるって」
 代々木の言葉にヒラヒラと手を振る。
 本当に分かってます? と言ってから、代々木は車を出した。

「今の誰?」

莢華さやか、何だ、いたのか」
「何だとは何よぅ。で、今の誰?」
「ナニ、そんなに気になる?」
 あたしは思わず笑った。
 莢華…笹本莢華。
 黒い天然パーマの髪を短く切りそろえてある。今日は紫色がかったデニムの服に、赤いチェックのロングスカート。
 あたしの身長は165cmで…莢華は確か154cm。
 ちっちゃく感じる。
「気になる! お父さん?」
「違うよ。あ…知り合いの、人」

 あたしは、莢華に自分の家のことは言ってなかった。
 信用していない、とかいうわけじゃなくって…家柄、みたいなところで距離を置かれたくなかったから…。

「? お父さんのトモダチとか?」
「そうそう! そんなカンジ」

 莢華の予想にすかさず頷く。
「えー。名前! 名前なんて言うの?!」
 若干興奮気味な様子の莢華にちょっとばかし笑える。

「代々木…」
 修三郎、となかなかシブいフルネームを教えようとした。
 の、だが…

「あぁっ! 代々木さん、素敵

 …莢華のこの一言にうち消された。
 莢華はまだ「あのくらい渋いくらいが素敵なのよ」とか、「あぁ、お近づきになりたい」だのと…まだ言っている。止まらない。

「…今日はどこ行く?」
 まだうっとりとしている莢華に訊いてはみたが…とどいてるだろうか? いまいち不安。
「あ、莢華ねぇ、昨日可愛いファンシーショップ、見つけちゃった ティータイムも出来るようになってるの!!」
 …一応とどいていたようだ。
 代々木から思考を切り替えたらしい莢華。
 言いながら指を組んで、目がキラキラしてる。
 その変わりっぷりに思わず笑ってから、
「んじゃ、行きますか」
 そう、莢華の背中を軽く叩いた。
「あ、実世絵みよえちゃん…遠藤実世絵ちゃんっていう莢華の友達がね、ちとせに会いたいって」
「ほー。そう言ってきたか」
「? うん」
 あたしの発言に、首を傾げながらも肯定する莢華。

 …実世絵、という名前は莢華の口からよく聞いていた。
 以前に、莢華からこんなことを聞いたことがある。
『んーと。見た目はちとせと正反対って感じ? で、性格は…ちとせと結構似てると思う。莢華的に』

 ――そんなことを言われれば、『実世絵』ってヒトがどんなヒトなのか気になるってものでしょう。

「とにかくGo,Go!」
 莢華はあたしの腕をつかんで軽やかに走り出した。
 …莢華は陸上部所属、種目短距離。
 …早いっ、あたしは50m――も、しないうちに、かもしれない――くらいで息が乱れる。 

「莢華…は、早い…」

 息も絶え絶えの言葉は、莢華にとどいていなかったようだ。

 
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