「ご迷惑をかけて申しわけありませんでした。それでは、ごきげんよう、皆さま」
「これからもよろしくお願いいたしますわ」
美砂子さまが微笑みました。
やっぱり素敵です…美砂子さま…。
「知都世さん、ごきげんよう」
みよえさんが帰り際、そうおっしゃいます。
…わざわざ名前の指定つき。
これは挨拶をかえさないわけにはまいりません。
「ごきげんよう、またお会いできるといいですわね」
「…そうですわね」
こうして一見(?)美しい友情が芽生えたのです。
下校の時刻。今日は昨日と違って、代々木さんを待つという事はありませんでした。
「お嬢様、お乗りください」
車はすでに近くまで来ていて、ドアまで開いていたのです。
「今日は来るのが早いのですね」
気のせいか、スピードも昨日と違う気がいたします。今日の方が早めな感じです。
「会場に着くまでの時間が結構とりますので…」
「あら、そんなに遠いところなのですの?」
「ええ。なのでお嬢様もできるだけお早く準備をお願いいたします」
「分かりましたわ」
私は家に到着すると、藍色の着物を出してもらって、(母にも手伝ってもらいましたが)正確に手早く着付けをすませました。
お父さまは会場で先に行っているという事で私は車に乗りました。
ですが車は動きません。
…あら?
「代々木さん、行きませんの?」
代々木さんはぼーっと車の外を見つめています。
ですが、答えは来ました。
「遅くなってごめんなさい」
…お母さまを待っていたのですね。
代々木さんはお母さまと私を乗せて、ホテル『ティアーズ』につれてきてくださいました。
…のは、いいのですが。
「…これは一体どういうことでしょう…」
私は思わず呟きました。
十五階のレストラン。
窓の下には素晴らしい夜景。
山の側には明かりがないおかげで星達も少し見えます。
『家族3人で楽しくお食事♡』…だとしたらこのにこにこ魔人の2人組は何ですの?
「息子が遅くてすみませんねぇ」
にこにこ魔人1号、少しふっくらとした女性がそう言いました。
――息子?
「しかしおきれいなお嬢さんですねぇ」
にこにこ魔人2号、お髭が鼻の下にあるのが特徴の男性でございます。
この方々は、誰でしょう?
…『誰』かはわからなくても、『ナニ』かは分かっているような気がいたしますが、なんだか言葉にするのがかなり恐いのです。
まさか、お見合い、なんて事は…。
――あぁっ、さっき言葉にしないと誓った(?)ばかりですのに!
まさか、まさか…。
――なんて、考えていたときに。
「遅くなって申しわけありません」
…噂の息子さんが来てしまいました。
「はじめまして。槙村諭と申します」
「諭、こちら知都世さん」
…私この方に名前を紹介してもらうほど仲がよかったでしょうか?
とりあえず、会釈をしました。明るいベージュのスーツを着たさとるさんは、なんだか『新任』というイメージが沸きました。なぜでしょう?
「知都世、諭さんは今年度から新進高校の教師をやっているんだそうだ」
私は初めてこの『さとる』さんに興味を持ちました。
声が出てしまいましたから。
「新進高校の…?」
「お、知都世、興味をもったか?」
私は相手の方々を見ないでお父様に言いました。
「はい。友人のいる高校で」
「あら、お名前を訊いてよろしいかしら?」
にこにこ魔人はいまだににこにこ。筋肉がそれで固定されてしまっているのでしょうか?
「はい。鈴木槙徒さんといいますの」
にっこり。『微笑みを絶やさず』ただいまも実行中でございます。
あら? なんだかあちらの皆さまも私たちの家族も固まっていますわ。なぜでしょう? …なんて。
この方は本日いらした書記の方の名前、それをちょっとお借りしたのですが。しばらくしてやっと空気が流れ出しました。
「あ、あぁ、諭、その方を知ってる?」
「え、あ、役員会の人ですよ。確か」
「まぁ、知りませんでしたわ」
私は微笑みます。
――しばらく、こんな事はごめんですわ。
「あの方は学校のことをあまりおっしゃいませんので」
空気の流れが止まりました。私は右手で右のほっぺに触れました。少しワインを飲んだおかげで顔も上気しております。
「あら、申しわけありません。これから茶道の先生がいらっしゃる時間ですわ。失礼」
私が立ち上がってから(少なくとも私がドアに手をかけるぐらいまでは)5人の皆さまの時間が止まっていました。
ご苦労様です。
「…ふぅ」
私は廊下に出て、ひとつ、息を吐き出します。
…と。
そこに、見覚えのある方がいらっしゃいました。
その方は本日『美しい』友情を芽生えさせた方がいました。
…今日から会わないようにしよう、とおっしゃった方です。
私は少し迷いました。
…声をかけるべきかかけざるべきか。――ですが。
「…こんばんわ」
挨拶をしてくださいました。
これは返すのが礼儀かと…。
「こんばんわ。よく会いますわね」
私は笑いました。なんだか、おかしかったからです。
「ご家族でお食事ですか?」
私は訊かれる前に、問いかけました。
…けれど、それに対する答えはありませんでした。
「あんた、どうしてあたしの好きな人ばかり捕っていくの…?」
――怒りにも似たその眼差し。
私は笑うのをやめ、何も言いませんでした。
…言えなかった、とでも申しましょうか。
そんな空気が周りを支配していたのです。
「莢華ちゃん、あの子はあたしのこと一番わかってくれる、すっごくいいこなの。その子がこの頃ちとせ、ちとせって…。そればっかり」
ゆっくりとみよえさんは私の方にむかって歩いてきます。
淡いピンク色のスーツを着ています。
そして私の目の前に立ち止まると、私の目を見据えました。
「槙村先生だってそう。何であんたが槙村先生とお見合いしてるのよ」
――怒りがこみあがってきた。そんなように、見えました。
「なんであたしの大切な人を奪うの…っ!!」
みよえさんの右手が高く挙がりました。私は頬に当たる前に左腕で阻止します。
みよえさんの表情がなお、険しくなりました。
「なによ! 阻止するんじゃないわよ!」
更に苛立ちの色の濃くなった声音。
けれど…普通は阻止、しないでしょうか…? こういう場合。
一人でそう思いながらも私は何も言いませんでした。
その時。
チャ チャ チャン チャン チャン チャーン チャ チャ チャン チャン…
…なぜかアメリカの国歌が電子音で響き渡ったのでした。
みよえさんのいらいらした顔が一瞬、和むのを私は確かに見ました。
携帯電話を取り出すと、一度、ボタンを押します。
「もしもし…。はっ?」
? なんだか顔がどんどんといらいらした顔になっていきます。
「あのねー、イタズラならやめてくださる? 莢華ちゃん、だしてくださいな」
「………」
…何だろう…野性の勘?
なんだか、いやな予感が…。
あたしは背筋がすーっとしてきた。
「え? 今でられない? な…」
あたしはみよえのケータイを奪った。
――予感だけなら、いい。
だけど…!!
「もしもし、莢華が、どうかした?!」
次の言葉を聞いたとき、あたしは走り出していた。