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二−ⅱ

「はい、終わり」
 三尾は気持ちよかった、というような顔をして微笑む。途中から三尾へ音を合わせた四郎の表情も穏やかだ。

「…四郎君、三尾ちゃん。あ…」
「――歌澄様!」
 歌澄の言葉を遮って、舞翔が突然叫ぶ。
 舞翔の視線の先を見て歌澄ははっとしたような顔をした。

「…ちょっと、来てくれる? その…笛を持って」
 それぞれの手に持った物を見つめて歌澄は言った。
 舞翔は少し声を大きくする。
「…歌澄様!」
「――舞翔」

 じっと歌澄は舞翔を見つめる。
 歌澄の視線に「しかし…」と言葉を濁らせる。

「この子達も、『仲間』だわ」

 舞翔が何かを言おうとしてぐ、とこらえた。
 歌澄は四郎と三尾へと視線を移す。
「ごめんなさい。…一緒に来て」
 拒否は許さない、そんな目をして歌澄は言った。
 逆らえず…四郎も三尾も、それぞれの笛を持って立ち上がる。

 門から外へと出た。
 雨はまだ降っている。

「…鬼を、信じるかしら?」
 歩きながら歌澄は二人に言う。

「「…鬼?」」
 同時に三尾と四郎は問いかけた。
 先に、四郎が口を開いて続ける。
「あの…鬼というのは角の生えた、人間を喰らう…」
「まぁ、それも鬼だけれど…」
 歌澄の足の歩幅が小さくなった。ゆっくりと進む。

「鬼とは…哀れな魂。天に逝くことができず――自らを苦しめている、魂」

 歌澄は止まった。雨はいっこうに弱くならない。
 すーっと息を吸い込んだのが分かる。

 ――歌い出した。

 声ではないような…声。
 『言葉』として、三尾に…四郎にも、認識できない。
 なのに――何を言っているのかは分からないのに…なぜか。

「……」
「――…」

 我知らず、溢れるもの。
 頬を濡らすもの。

 …涙が、出てくる。

『懐かしい』
 …そんな思いにかられる。

 前の空間が雨の中、うっすらと光った気がした。
 涙が、止まらない。
 三尾は今になって自分が涙を流していたことを知る。
「………」
「三尾…」
 四郎はそう三尾へと呼びかけて――四郎自身も、涙を流していたことを、知る。
「――四郎…」
 四郎は自らの両手で、頬を拭った。

「『左に三ツ星を握るもの、鬼を退治せん』」

 静かな歌澄の声が、二人へと届く。
 歌澄は、手持ちの布を三尾へと差し出す。

「――退治とは、哀れな魂を…想いを天昇させるということ」

 …雨が弱まった。

「――あなた達は、その『三ツ星』を握っている」
 歌澄は、微笑む。

「…共に、哀れな達を助けていきませんか?」

 ――拒否など、する気になれなかった。
 明日、三尾が養子になることなど忘れていた。三尾は声に出す。
「あなたと共にいけるなら」
 ――どこまでも、いけるなら。

 三尾と四郎は実母よりも、歌澄に母を感じていた。
「…もちろん」

 先程までの雨がうそのようだ。――小降りになっている。

「あなたの側にいます…いさせて下さい」
 四郎は小さな声でそう、言う。

「……」
「もちろん」
 舞翔は何も言わず、歌澄は微笑んだ。

 

 ――三尾達に、迎えは来なかった。

 『愛してくれた』『慈しんでくれた』…そんな記憶がなかったから、ただ、歌澄の側にいられることが嬉しかった。
 それから、歌澄の元で…歌澄と共に過ごす、夢のような毎日。

 ――鬼はそれぞれの『癒し』によって昇天していく。

 歌澄は『歌』だ。『天召歌』…あの、声でないような声。母のような優しい声。魂が…『鬼』と呼ばれる魂が、『癒される』というのが分かる気がする。
 舞翔は『舞』。『天召舞』。天召歌と対に創られた舞だそうだ。

 そして…。
「魅笛? 獅笛? どこにいるの?」
 歌澄がそう、名を呼ぶ。

 ぱた ぱた ぱた
 軽快な足音が響いて…
「歌澄さま! お呼びですかぁ?」
 少女が顔を出す。
 …前までは「三尾」と呼ばれていた者がそう、答える。

「…おい、突き飛ばしてくことはないだろ…」
 三尾――魅笛の後に、少年が顔を出す。
「えー、だって。歌澄さまが呼んでるんだもーん」
「獅笛…大丈夫?」
 少年…前までは「四郎」と呼ばれていた者に歌澄は問いかける。
「え、…大丈夫です!」
 今では四郎――獅笛も歌澄を慕う崇拝者だ。

「で、何か用事ですか? お買い物ですか?」
「えぇ。お塩を買ってきてほしいの。場所、分かるわよね?」
「はい! どのくらいですか?」
「一つでいいわ。天然塩を、ね?」
「で、二人で行って来い…と?」
 そのとき会話に獅笛が入る。微妙に、眉間にシワが寄っている。

「もちろん。女の子一人じゃ大変でしょ?」
「え、あたし一人でも大丈夫ですよ!」
「そうそう。こいつなら二つや三つでも、一人で大丈夫です」
 魅笛が獅笛を殴る素振りをする。獅笛はひょいっと避けた。

「相変わらず仲がいいのね」
 クスクスと笑いつつ、歌澄は言った。
「…二人で、行って来て」
 ぴたりと二人の動きが止まった。…歌澄の優しい微笑みに見入っている。
「ね?」
「「はい! いってきます!!」」
 二人は同時にそう言って回れ右をする。半ば小走りにその場を立ち去った。

 二人は既に廊下を曲がっていてもう、見えない。
 足音さえも聞こえなくなったそのとき。
「…あ。お金渡してない…」
 歌澄は一人つぶやく。庭を見た。
「まぁ、それが目的ではないから…」
 ぬくぬくと日の光が暖かい。
「…」
 歌澄はそこに座り込んだ。…日の光が気持ちいい。
「笛、持っていったわよね。――いつも持っているようにって言ったしね」
 あくびがでた。

 …そう。二人は名の通り、『笛』を『癒し』の道具に使う。
 二人は今まで歌澄と舞翔と共に演奏していて…本当に『癒されて』いるのか分からなかったが、塩を買いに行く途中で鬼と…癒しを必要としているものに出会った。
 意味もなく、人を脅かしている。
 優しく、語りかけるように笛を吹く。
 苦しまなくていい…と。天に召されてもいい…と。
 鬼は姿を消した。二人の笛の音で『癒された』のだ。

「曲の名は『昇天曲』にしましょう」
 舞翔は提案する。
「何でもいいよ。…癒されるなら」
 魅笛は思っていることを口にした。
 イ ヤ サ レ ル ナ ラ

 ――癒されたのは自分も…自分たちも、同じだった。
 …歌澄。
 歌澄と過ごす時間に。
 歌澄は…歌澄と、舞翔は双子だからと、嫌がることはない。
 いつも同じように接してくれる。
 ――二人は歌澄に癒されたのだ。

 その、歌澄が…。

 …雨が降っていた。
 暗く、どこまでも続いていそうな闇の中…。

「ごめんね…共にいると…側にいると言ったのに…」
「何を言います!! 屋敷はすぐそこです。もう少し…もう少し待って下さい!!」
 歌澄の小さな言葉に舞翔は叫ぶ。
 魅笛と獅笛も走っていた。
 …歌澄を抱きながら走る舞翔に置いていかれないようにするのがやっとだ。

 歌澄に特に外傷は見られない。
 …しかし、顔は青ざめている。

「もうダメ…なの…逝かなく…ちゃ――」
「そんなことおっしゃらないで下さい!!」
 舞翔の言葉に歌澄は目を細めた。

「…獅笛…魅笛…ごめんね…」

 ただ、抱かれていただけの腕をのばす。…のばそうとした。

 ――腕がおちていく。
 ゆっくりと…おちた。

 舞翔が立ち止まる。雨の中、ゆっくりと座り込んだ。

「歌澄様…?」
 呼びかけた。
 舞翔の声は、震えた。
 …震えていた。

「目を…覚まして下さい…――お願いします…どうか…」

 雨が歌澄の頬を濡らす。
 魅笛と獅笛は声が出なかった。――突然すぎて。

 朝は普通に「おはよう」と言ってくれたし、「ちょっと出かけてくるから」と言って――出ていって…そして、今。

「――歌澄様!」
 舞翔が叫ぶ。

 ――ナゼ、サケブノ?

「歌澄…様…!」

 ナゼ、ナミダヲナガスノ?

 ――理由を知ってしまえば、認めたことになる。

「歌澄様…どうか…どうか…!!」
 舞翔は声が…言葉が、うまく出ない。
 『寒い』なんて思わなかった。――そんなコト、今はどうでもよかった。
「…!!」
 獅笛は声を詰まらせた。
 泣いて、いるのだろうか?
 魅笛は頬に手を触れた。
 …温かいモノが流れている。

 コレハ…ナニ?

「…っ、歌澄さま」

 コレハ、ナミダ?

 ――ナゼ…?

 
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