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 歌澄たちに二人の仲間も加わり、鬼を…哀れな魂を救いやすくなった。

 過ぎ行く日々。
 穏やかな時間。

 鬼は哀しい魂。
 ――全てが消えることがなく、日々は移ろう。

 ある日…。

(…? 歌声?)
 歌澄の耳に、声が聞こえた。
 悲しげな…声。そしてその後に鬼の気配がする。
「舞翔…魅笛、獅笛…ああ…」
 呼びながら、歌澄は思い出した。

 この日は皆、出かけていた。買い出しに行ったのだ。
 歌澄は、留守番をしていた。

 声に誘われるように、歌澄は外に出る。…また、雨が降っていた。

 鬼は歌澄を見つけ、喰らおうとする。
 ――哀しい魂。
 …哀しい、ココロ。

 歌澄は大きく一つ、息を吸った。

『天召歌』

 声でない声で歌う。
 鬼はきらきらと…空気にとけた。

「…何者だ」

 鬼を送り、空を見上げる歌澄に歌声と同じ声…悲しい、悲しい声が聞こえた。
「…鬼…?」
 歌澄は、呟く。
 歌声と同じ…悲しい声の持ち主の男の『気』は鬼だった。
 悲しげな…哀しげな『気』を放っている。

 しかしその姿は人だった。
 実体もある――美しい、男。

 歌澄はまさか、男の人を『美しい』なんて思うことがあるとは思わなかった。
 …だが、その悲しげな人は――月のように『美しい』と歌澄は思った。

 鬼は、哀れな魂。
 ――哀しいココロ。

 現世ここにあっても――救われることはない。
 いくべき先がある。
 ――いくべき場所が、ある。

 歌澄はもう一度歌い出した。
 …だが。

「効かぬ。俺には…効かぬ」

 男は言って、微かに笑う。
 その笑いは歌澄を嘲笑っているようにも――自嘲するようにも見えた。

 男は一歩、歌澄に近づいた。
 歌うことは、『力』を使うことであり…体力を使った。
 歌澄は体の力が抜け、足の力が抜けてしまっていた。
 ――動けない。

 そんな歌澄に、男はまた一歩近づく――。

「私を…喰らうの?」

 歌澄はそう言うと同時に、視界が霞み…倒れこんだ。

 『喰われる』という恐怖からではない。

 歌澄は病弱で…その上、『力』を使った。
 そして、この雨の中に長くいれば――体が冷える。
 そのため、体が耐え切れなかったのだ。

(獅笛…魅笛…)
 歌澄は、仲間を思った。
(…舞翔…)
 共に過ごす――家族を、思った。

 意識はそのまま、絶えた。

 

 歌澄は目が覚めると…屋敷にいた。
 天井でわかる、見覚えのある――自分の暮らす、屋敷。

(雨の中倒れたはずなのに…)
 歌澄は瞬き、そんなことを思った。

 その、時。

「…目が、覚めたか?」
 ――声がした。
 さっきの男の声。
 悲しげな…美しい男。

「なぜ…?」

 歌澄は小さく問う。
 雨の所為か、辺りは暗かった。
 …魅笛達の帰ってくる様子はない。

「――歌を、聴かせてくれ」
 男は言った。
 静かな声で。

「お前の声に癒される――」

   美しい男…鬼。
 ――悲しげな瞳。
 月のような…

「…蒼樹」

 歌澄は何故か、そう言った。
 言いながら男…蒼樹の頬に、触れる。
 その手に、蒼樹は手のひらを重ねた。

「それは…俺の名か?」
 問いかけに、歌澄は笑った。
「…それで良いのなら」

 歌澄は歌う。…小さな声で。
 蒼樹は目を細めた。

 どれだけ、そうしていたのだろうか。

「ただいまーっ!!」
 屋敷中に通るような魅笛の声が響いた。
 歌澄はそっと、蒼樹から手を離した。
「…また、歌を聴かせてくれるか?」
 蒼樹の姿が薄れる。
 歌澄が頷くと――消えた。

 歌澄は蒼樹のためだけに何度も歌った。
 ――しかし、蒼樹は昇天をしない。
 それほど悲しみが深かったのだろう。

 歌澄は…蒼樹に会う度に、離れがたくなっていった。
 この美しい鬼に…悲しい瞳に心が奪われたのだ。

 歌澄は決心をする。
 この、愛しい者蒼樹のためだけに歌おうと。

 

 リーン リーン…

 ――鈴の音が聞こえる。
 ふえとふみは目を覚ました。

『…これが全て。――使命を忘れてしまったのが、私』

「………」
 歌澄の心で…歌澄の視点で、理由を知った。

 倒れた理由。
 …突然逝ってしまった、理由。

 二人の瞳から涙があふれそうになる。
『――ごめんなさい…謝って済むことでは、ないけれど…』
 歌澄は最後まで――最期まで、ふえとふみ…獅笛と魅笛を気にかけていた。

「――幸せですか?」
 ふみは問う。
 …涙をこぼさないように、唇を噛んで。

 しばらくの間があった。
 蒼樹を見つめる。
 そして、答えた。
『…ええ』
 …微笑んで、歌澄は答えた。

 幸せならば、いい。
 ――歌澄さまが幸せならば。

 言葉以上に…笑顔が、『幸せ』だという答えだと思えた。
 ふみもまた、笑う。

 ――何故、急に逝ってしまったのか。
 その答えを得て、ふえは続けた。

「歌澄様…もう一つ、お訊ねしたいのです」
『はい』

 ふえは歌澄の返事聞くと、一度小さく頷いた。
「どうしてわたし達をここへ呼んだのですか?」

『獅笛は…』
 そこで歌澄は一旦、言葉を切った。
 頭を振り、言い直す。
『いいえ、今は――ふえ…ね』
 『昔から勘がよいのね』と歌澄は懐かしそうに言うと、目を閉じた。
 懐かしむように。

 ――そして、目を開くと同時に口も開く。

『舞翔を…止めて下さい』

 その言葉にふみは丸い目を、更に丸くした。
「…舞翔さんを、止める?」
 歌澄の言葉を繰り返すふみに、歌澄は頷く。

『…ええ』
 頷く歌澄に、今度はふえが声を上げた。
「止める…とは…?」

 問いかけに歌澄は目を伏せた。
 ――どこか、痛むように。

『…舞翔は今、哀れな魂達を救わず――ただ、滅ぼしているのです』
「――滅ぼす?」
 ふみは声に出した。

 歌澄の歌う――天召歌。
 その対だといった――天召舞。
 ふみが…魅笛だったふみが知っている舞翔の舞は、その舞だった。

 ――あの舞は…舞翔は、魂を『滅ぼす』ということはしなかったはず。
 そう、ふみは記憶している。

『お願いします。私はもう…三ツ星を握ってはいない。蒼樹のためにしか歌えないのです』
 歌澄は頭を下げた。

 頭を下げた歌澄に、考えていたふみは慌てた。
「や、やめて下さい! 頭を下げるなんてっ!」

 慌てるふみとは反対に、ふえは冷静なまま口を開いた。
「――歌澄さま、あなたがおっしゃるのなら、やりましょう」
 淡々としたまま言い切る。
『ふえ! ありがとう…』

 歌澄の礼に「ですが」とふえは言葉を紡いだ。
「どうやって救えばいいのですか? …わたしたちも、手にほくろなんてありません。よって、力もないのではないでしょうか? ――笛も、ないんですが…」

 ふえの考えに、歌澄は首を横に振る。
 「いいえ」と。
『あなた方なら救えます。…笛も…笛なら、ここにあります』

 そう言うと同時に、歌澄の手の上にはふわりと二本の笛が姿を現した。

 それぞれを、ふえとふみへと手渡す。

 ――前世むかし使った懐かしい物。不思議と、手にしっくり合う。

『昔を…獅笛や魅笛だったころを思い出して。そうすれば使えるはずです』

 歌澄の言葉に、ふみはさっそく笛に空気を吹きいれた。
 ピューと懐かしい音がする。

『私には…もう時間がなくなってきている――』

 歌澄の声が、僅かに遠ざかったように思えた。
『――我が儘ばかりでごめんなさい…』
 続いた言葉にふみはぎゅっと拳を握った。
 「謝らないでください!」と。そして、続ける。
「舞翔さんを、きっと止めます!」

 ふみの言葉と…頷くふえと。
 二人の様子に、歌澄は今にも泣きそうな表情になる。

『ごめんなさい…ごめんなさい…』

 それから、と声が遠ざかっていく――

 ア リ ガ ト ウ

 言い終えるか終えないかの時に、歌澄と蒼樹は――消える。
 「リーン」という鈴のような音も、聞こえなくなった。

 
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