「凄い音がしたぞっ! 大丈夫か?!」
(…あれ?)
彩花は松村の大きな声にピクリと反応を示す。
記憶を手繰り寄せた。
父が亡くなってからもう…一ヶ月と少しは経った。
そして、もうすぐ誕生日。――あと五日で十五歳になる。
――そうだ、今は体育の時間で、自分は思いっきり倒れ込んだんだ!!
ゆっくりと彩花は目を開ける。
ちょっとした日の光で、目が痛い。
松村の声に「大丈夫です」と彩花は答えようと唇を動かした。
…だが。
「おい、久井、大丈夫か?!」
(………へ?)
続いた声に彩花は思いっきり顔をしかめる。
――なぜ、久井(九十九パーセントの確率で姉の香子であろう)の心配をされて、自分には声がかけられないのだろうか?
「ああ、まあ…このくらいなら」
そう、彩花の下で声がする。
声に…その声の近さに、彩花はイヤなことを想像してしまった。
自分が香子のことを下敷きにしている、というなかなか耐え難い状況だ。
(まさか、ねぇ…)
でもそう考えてみると――いろいろな事実が五感から感じ取れる。
まず、彩花の下にある柔らかさ。
…これはとても体育館の床とは思えない。
それから匂い。
…何と言えばいいか…ともかく、いい匂いだ。
「おい、大丈夫か。彩花」
そして…自分の耳元で聞こえてくる声…。
――まぎれもない、久井香子のモノ…。
彩花は思わずガバリッ!! と、起き上がる。
「…っ」
予想した通りの現実が待っていた。
――下敷きにしてしまっている自分と、そんな自分の下敷きになっている紅…。
「だ、大丈夫! ありがとっ!!」
(いい匂いって、いい匂いって…! あたし、何考えてるのっ?!)
カーッと、彩花の顔の温度が一気に上昇する。
「彩花、大丈夫?」
衣緒と朱音が交互に問う。
「あ、うん。大丈夫」
ヒラヒラと手で顔を仰ぎ、彩花は二人に言葉を返した。
「…顔、赤いよ?」
衣緒が目敏く、それを発見する。
「気、気のせいよっ!!」
その言葉に彩花は思いっきり声をあげてしまった。
「…チッ」
あいつ…久井香子とか言ったか…。
なんて素早い動きをするんだ、とカサブランカは苦々しく思う。
(あれで頭をぶつければ大怪我…うまくいけば死亡…と、なっただろうに)
カサブランカは目を細めた。
ターゲットがこちらを見つめたことに気づく。目が合った。
「…大丈夫だった?」
元より低いアルトの声…さらに低い声で、問う。
「え、ええ。まあ」
ターゲット…彩花がその声にビクッと肩を震わせたのは見て取れたが、カサブランカはそんなことを無視する。
くるり、と振り返る。
そのカサブランカに…クラスメイトが声をかけた。
「逸見、ドンマイッ!」
その声に愛想笑いも返さない。
今は笑顔を絶やさぬお嬢さん『馬場逸見』ではなく、暗殺者『カサブランカ』だった。
まさか二度も三度も同じ手を使うわけにもいかず、この日(もっと言えばこの時間)は諦める。
(今夜…か)
早くせよ、とローズから連絡が再度入っているだろう。
あくまで予想、であるが。
しかし久井め…とカサブランカは香子…紅を脳裏に描いた。
――まさか、と思う。
まさか、自分達に依頼してきたように、誰かが他の何でも屋に依頼したのではないだろうか?
…例えば。
「風間彩花の守護」
思わず、声に出してしまう。とても、とても小声ではあったが。
…もし、そうだとしたら。
「面白い。受けてたとうじゃないか」
――それで、あまりにも邪魔であったなら…殺してしまえばいい。
思わず、笑みがこぼれる。
…ドゴッ!!
「ツァッ!!」
意味不明の効果音を発し(?)カサブランカ痛みの源、後頭部に手をやる。
「一人でボソボソ言ってて、気持ち悪いぞ」
ユラリ、カサブランカから殺気が芽生えた。
「あーつーしー」
ギリギリ、とジャージの首もとを締め上げようとする。それを軽く制しながら、珍しく反抗的なカサブランカの反応に少年…田村厚の方が驚く。
「…どうした? 珍しく反抗的だな」
その疑問を思わず声に出してしまった。
カサブランカはキッと厚の方を見つめる。
「せっかく決めてたのに!」
おれってば格好良かったのにっ!!
「……」
つづいた言葉に、しばらくの沈黙。
厚はおもむろに両手に拳をつくり、それぞれに息を吹きかけた。
グリグリグリッ
「うきゃーっ! いひゃいよーっ。あーつーしぃ」
カサブランカの反応に厚は笑みを浮かべた。
「…お前はそうでないとな」
そして、続ける。
「主人の言うことはちゃんと聞くんだぞ?」
「誰が主人なんだっ!!」
カサブランカは厚にくいかかろうとする。
厚はそんなカサブランカを口元に意地の悪い笑みを浮かべてからかった。――しかし、からかいとは全く違うモノを宿らせた瞳は…優しい笑みを思わせた。
「…紅、大丈夫?」
自分たちの部屋に戻ると藍は紅に問う。
藍は紅をイスに座らせ、飲み物の用意を始めた。
ヤカンに水を注ぎ、部屋に一つだけあるコンロに火を入れる。
…藍の問いかけに対する返事がない。
スタスタ
紅の座っている斜め前のイスに座り、質問をもう一度繰り返そうとした。
と、その時。
紅と藍の目がバッチリと合う。
藍はちょっとたじろいでしまった。…その視線が、あまりにも真っ直ぐだったので。
「暗殺者…」
「あ、暗殺者?」
「ああ。彩花を狙っているであろう奴」
そう言うと、紅の口元が微かに弧を描く。
「大体の予想がついたぞ」
「え? この前の、あの、変なつけメガネしてた奴?!」
「そう」
…と、いうか。
紅は頷いたが、「ちょっと待て」と視線を藍へと向けた。
「…この前といっても、昨日の話じゃなかったか?」
「そうとも言う、かもね」
エヘ♡
……間。しばらくすると紅ははっとしたような顔をして、立ち上がる。
「え、こ、紅!」
彩花の下敷きとなってあまり具合が良くないであろう相棒に藍は座るように勧める。
その藍の申し入れを紅は軽く払い、言葉を続ける。
「パソコンを取りにいくだけだ」
と、その言葉の通りパソコンを持ち、それを机に置いた。
「一応、報告する」
「え、ちなみに誰?」
「…そう言えば、名前はわからないな…」
「おいおいおいおいおいおい」
思わず一息で声をかけてしまう藍である。
「何と言ったか…。ああ、今日の体育の時、変な声をあげてた長い髪の人だよ」
「あぁ、あの女の人?」
「…いや、案外男かもしれない」
「ふーん……」
男カモシレナイ…
藍は脳内で言葉を繰り返し、ぐわっと顔をあげた。
「男?! あの、“お嬢さん”って感じの人が?!」
藍があまりにも切羽詰まった顔をしたのを紅は多少疑問に思いながらも続ける。
「? ああ。まぁ、私の勘だがな」
「え、え? えぇぇぇぇっ?!」
紅の言葉に混乱しまくる藍である。
(あの、細い(確かに胸は真っ平らだと思ったが)、髪の長い、素敵な笑顔のお人がっ?!)
「………っ」
頭を抱え…目に見えて残念がっている。
紅は藍の様子を見ながらそんなことを思う。
そして、パソコンに報告用の打ち込みを始めた。
『詳細報告 内容:暗殺者について』
暗殺者…自分で書いておいて、疑問に思う。書き替えようか? かといって他に何と言えばいいのか…。
「何? さっそく報告書?」
藍はやっと(?)復活。打ち込む紅のパソコンをのぞき込む。
「報告書までとはいかないが…今、予想できたことだけな」
「ねぇ、めちゃくちゃ突拍子もない予想、言ってもいい?」
「まぁ、言うだけなら」
「じゃぁ、言うね」
藍は一つ息を吐く。
「おれ等みたいに誰かが依頼したんじゃないの? …しかも」
その時藍は【彩】以外の『何でも屋』を思い出していた。
「『花連』なんじゃない?」
「?!」
紅は藍の予想に言葉を失った。
『花連』…。
【彩】同様、何でも屋だ。
ただし、一つ【彩】とは大きな違いがある。
――『殺し』をやるらしいのだ。
銃殺、刺殺、自殺…。暴力団関係で殺された、とかいう中に『花連』の手が加わっているモノがある、らしい。
「単なる…勘、だけど…」
藍の声が少しずつ小さくなる。
言ってはみたものの、自信を無くしてしまったのだ。
紅の沈黙が更に藍をそうさせる。
「――おもしろい予想だな」
ふと、声が聞こえた。
ドアからだ。
「っ?!」
聞かれた?!
(人の気配など感じなかったぞ!)
紅はバッ、とドアの方に体を向ける。
藍の顔つきも心なしか険しいモノとなった。
コンコン
…今更ながらのノックである。
「「――?」」
二人は同時に顔を合わせる。
藍はゆっくりとドアのそばに寄った。
ピアスをはずし、手の中でコロコロとする。そうすると、刺す方が(もとから多少長かったのだが)延びた。折り畳み傘と似たような考え方である。
藍は息を吸い、吐き出した。構えをつくる。
「…どうぞ」
紅がゆっくりと言った。
ガチャ
ゆっくりと持ち手が下がる。
「どうも、失礼します」
ゆっくりと顔を表したのは生徒…ではなく。
「先生?!」
藍は思わず、声をあげた。
そこに立っていたのは…紅と藍に最初に会った教師…木瀬増己、その人であった。
「入っていいですか?」
そして温和そうな顔にしたまま、続ける。
「風間彩花守護の担当者よ」
紅はザッと素早く構えを完成させる。
「続きを聞いて下さい、紅」
そして…
「藍」
藍はすぐにでも仕掛けられるような体制だったが、少しそれを緩める。
「私は『黄』グループ」
『黄』グループ?!
では…もしや…。
藍は1つ、息を飲み込んだ。
その表情を見て取ったか、木瀬は小さく頷く。
「ええ。僕は【彩】在籍の『山吹』です」