「試合開始ー」
間の抜けた声が、笛の音と共に響く。
第1試合。女子は1組Aチーム対2組Bチームだ。
「ええとー。ジャンケンしてー、ボールかー、陣地かー、選んで下さいー」
…いつもは気にならないクラスメイトの、のんびりとした声。
今日は腹がたつ。
…なぜか?
(久井が同じチームだからよーっ!!!)
キーッ!!
ナゼ、なぜ、何故ッ?!
まるで仕組まれたかの様に久井香子とは縁があるのだろう?
ってか、何で朱音と衣緒はこの双子を気に入っているんだ?!
彩花からしてみれば、この双子の印象は最悪だ。
自分を子供扱いしたし…今でもする。
(嫌い、嫌い、嫌いッ!!)
ナゼ?
そう、もう一つの自分が、自分に問う。
ナゼ?
…分かっているくせに、問う。
自分ヲ子供扱イスルトコロガ、アノ人ニ似テイルカラ…。
彩花は一つ息を吐き出した。彩花はコート側に近い、並んだ三人の真ん中に立っている。
ジャンケンは勝てた。このチームのリーダー的存在、美羽がチョキをだしたからだ。
(しかも…)
何で当然のように彩花の隣を陣取っているのだろう? この女は。
紅は、既に右手を左手で包み込み、構えている。
彩花の視線に気づいたのか、一度視線がかみあう。
「…」
笑うことはなく、声をかけることもなく。ただ見つめ合う。
「…意味深ね」
「うん」
二人のすぐ後ろで朱音と衣緒が声を掛け合ったことは言うまでもない。
彩花は紅から視線をそらせない。
「あやかっ! ボールッ!!」
美羽の言葉に、我に返った。
今の視線はどういう意味を持っていたのか?
そんなことを考える間もない。とにかく、手を出す!!
バンッ!
凄い音がして、ボールが跳ね上がる。
「チッ」
小さく、舌打ちした音が聞こえたのは、ボールが落ちるという予想が外れたためか。
先程、紅を驚かせて(?)くれたお嬢さんがアタックをしかけてきたのだ。
衣緒がうまい具合に紅の頭上にボールをあげる。
地を蹴る音がして、紅が跳ね上がった。
ダンッ
気持ちの良い音をたて、紅が1組Aチームのお嬢さんにアタックをしかける。
それをアンダーで取り、彩花がジャンプすれば返せる、とういう状態になった。彩花はもちろん跳ね上がる。
パンッ
ちと、痛い。
掌がじんじんとしびれる。
跳ね上がったら、地に戻る。自然の、当たり前の法則である。
彩花は足の裏をしっかりと…つけようとした。
「?!」
何かに、足が滑った。
カラ…という音をたてて、球状のモノを蹴ったのを感じた。
頭をぶつける!!
しりもちをつければまだいいが、本当に真っ直ぐと倒れていく。
「――ッ!!!」
駄目だ、と思った。
+++++
…か、彩花…
――遠くで、声がする。
大好きで、大好きで…大嫌いだった人の声が、する。
彩花の母は自分を産んで、早くに亡くなってしまった。
だが“寂しい”とは思わなかった。
――父がいたから。
せがめば母のことを話してくれる、父がいたから。
父は貿易商だ。海外に行ったり来たり。彩花もそれについて行っていた。
――小学校までは自分も共に連れていってくれたのに。
中学になると『砂倉居学園』に入れられた。
あんまり自分のようにふらふらしてはいけない、と。
彩花は付いて行きたいと言ったが、聞いてはくれなかった。
父は自分の言うことを聞きなさい、と言った。
そして自分は彩花を置いて世界中を飛びまわっていた。
さすがに彩花が里帰りするときは家に帰ってきてくれるが、それ以外は下手をすると連絡さえ取れないと言う状況になることもあった。
そして、春休み…。
…春休み、最後の日。
彩花は簡単な整理をすると自分のベッドにゴロンと転がった。
後二時間程でこの家を出て、砂倉居学園に向かわなければならない。
コンコン
自分の部屋をノックする音。
…父、だろうか?
『彩花、いいか?』
予想通り、父の声がした。
『いいよ、何?』
彩花の返事に、扉が開く。
父が、笑う。
――彩花の父は、とても子供好きしていそうな顔で、シワが多少あるというのに何だか若々しい印象を持たせる男だ。その、まっすぐな瞳のせいであろうか。
『また、明日から学校だな。彩花、良い子にしてるんだよ。いいね?』
『良い子ってねぇ…』
自分はすでに中学部三年生になるというのに、まだそんなことを言うのか。
その思いを見て取ったのか。父は笑いながら、返す。
『いつまでも親ってのは子供のことが心配なんだよ』
『…父さんの言う“良い子”って何?』
疑問を、唇に乗せた。
聞き分けの“良い子”だろうか? 大人の言うことをきちんと聞く“良い子”だろうか?
『…そうだなぁ、人の“気持ち”をきちんと考えるのが“良い子”かな』
彩花の父はそう言うとにっこりと笑った。
頭を軽く二、三度ポフポフとする。
『人の“心”は難しいが、きちんと考えるんだよ』
彩花は父の言うことを黙って聞いた。
――人の心。
一度心の中で反芻をすると頷く。
『――良い子だ』
笑いじわを深く刻み、ワシャワシャと彩花の頭をなでる。
それを彩花はやめてよ、といいながら軽く払った。
父はそんな彩花の表情をマジマジと見つめ、
『母さんに似てきたな』
そう言ってまた微笑む。
『おれはな、十五歳の母さんに惚れたんだ』
父の話題が唐突に変わって、彩花は「は?」という顔をしてしまう。その表情に気づいているのかいないのか(きっと気づいていないだろう)。父は話を続けた。
『そういえば、もうすぐお前も十五だったな』
『そうよ。去年みたいに、ハートのロケットペンダントとかじゃ許さないんだから』
冗談めかし、父親を脅す。
『ハハ。困ったな…とは言っても、もう、用意だけはしてあるんだけどな』
『え?!』
いくら何でも、早すぎる気がするが。五月生まれの自分。今日は三月の最終日。
『実はお前が生まれたときから着々と準備だけはしていたんだ』
一度驚きを顔中に広げてしまう。そして不敵そうに笑う。
『ふーん…ま、楽しみにしててあげる』
『あげるって何だ、あげるって!』
――幸せな時間。
形あるモノはいつかくずれ、命あるモノはいつか死する。
…そんな事、小指の爪ほどにも感じていなかった、時…
『風間彩花さん、風間彩花さん電話が入っております。事務室まで、おいでください』
呼ばれ、思わずスピーカーの方を振り返る。
先程砂倉居学園に到着したばかりだ。
一体、誰からの電話だというのか。
『ありがとうございます、風間です』
『あ、五番の電話をお取りください』
そう言うと少しぽっちゃりとした事務員は作業を続行する。
言われた通りに、五番の電話を耳にあてた。
『替わりました。彩花です』
『……』
彩花はしばらく待ったが、応答がなかった。
切れているのだろうか? まさか、と思いつつも口を開く。
『? あの…』
『貞子、だけど』
『…。伯母さま?』
貞子とは、彩花の父…栄多の、義理の姉で栄多の兄の妻だった。
――なんで伯母から電話があるのだろ? もしかして、初めてではないだろうか…?
彩花はそう思いながらも瞬きを繰り返す。
『ええ。電話したのは…。率直に言うわ』
その声はいつもと同じ、冷静な伯母の声だった。
『? はい』
何だろう、と思いながら続きを待つ。
『栄多さんがお亡くなりになったの』
沈黙が、支配する。一瞬、伯母の声が、事務室の声が、世界の音が無くなった――感覚に陥った。
答えの言葉を返したのは、本当に時間が経ってからだった。
『え?』
…一日前――昨日までは一緒に食事をした。朝は…話しをした。父が?
『学校が始まるというのに悪いけど……戻ってきてください』
淡々とした口調のまま、伯母は言った。
そして、プツンと電話が切れる。
彩花は茫然としていた。
受話器を耳にあたたまま――ツーツーという音をただ、聞く。
――聞こえてはいたが、とどいてはいなかった。
待って、と思う。
…待って、と…思う。
『栄多さんがお亡くなりになったの』
…冷静な伯母の声が、彩花の中で響いた。
伯母が――貞子が、そんな悪質な冗談を言う人間ではないと、彩花は知っている。
しかし現実だと言うのなら――さらに、タチが悪い。
子供扱いしかしてくれなかった、父。
自分を大人としてして認めてくれなかった、父。
待って、と思う。
――待って、と…声にはならないまま唇だけがかたどる。
父が、死んだ。
――今朝、話をした父が死んだ。
いなくなった。
――いなくなってしまった。
『――良い子だ』
笑って髪を撫でて――自分を、子供扱いばかりして。
(――ウソ…)
その父が――この世界にいない…?