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⑬激突

 ――ゾクリ。
 背筋に何かが走ったような感覚。
 紅はこの感覚を、知っていた。――いやという程に。

 人はそれを“殺気”と呼ぶ。

 窓…!
「嵐人!」
「ほえ?」
 呼びかけと同時に、どんっ! と紅が藍を突きとばした。

(なぜに嵐人?)
 先ほどまで『藍』と、普通に呼んでいたのに唐突に偽名を呼んだ紅に対してそんなことを思いつつ、ベッドから転がり落ちる藍。
 紅はジャンプし、ベッドとベッドの間に小さくなる。
 …何かが飛んでくるかと思ったが、飛んでこなかった。

「いたた…」
 痛い、と言うよりは驚きの方が大きかったのだが、思わず藍は声をあげる。
 そして、現状把握を試みた。
(えっと…おれはまず、紅に突きとばされて…)
 いや、その前に何かがあったから突きとばされたのだ。
 何が…

 ガシャンッ!

 その音に、藍は窓の方を見つめる。
「な…っ?!」

 その音と共に現れたのは――長い、髪を持つ者。
 窓から入り込む風に、それはなびく。
 月の光に、星の光に、最低限の電光に。夜の、ありとあらゆる『光』を背に。
 シルエットは、浮かび上がっていた。

 空気が、イヤにゆっくりと流れる。
 ――風の止んだせいか。
 それは、ある種の号令。ある種の合図。

 ダンッ!!

 カサブランカは窓枠を蹴り、部屋への侵入を果たした。

「まさか起きていたとは…な」
 勝者の笑みを浮かべ、カサブランカは悠然と、2人を見下ろす。
 ギシリ、とベッドの軋む音がした。

 ――ッ

 空気の揺れる音。
 ザッ …ダンッ
 カサブランカの髪が一房、切れ落ちる。
 小さな細身のナイフは、壁に刺さった。

「…んのぉぉぉぉぉっっっっっ!!!」

 ビクッ!!
 カサブランカの絶叫に藍はもちろんのこと、仕掛けた紅でさえ驚き、身を固める。

「髪、髪、髪ッ!!! かみぃぃぃぃっっっっ!!!!!」

 カサブランカは拳を震わせ、髪をはぎ取った。
「…え?」
 その現象に驚いたのは襲撃された約2名。
「ヅラ取るの忘れてたっ!!」
 少しキレ気味に、カサブランカはそれを投げ捨てる。
 ……コロン
 床の上を、ヅラが1度、転げた。
(こわっ!!)
 藍、思わず心情中でMンクの『叫び』状態である。
「…『やった』とは分からないように、消すんじゃなかったのか?」
 紅は静かに問いかけた。
 構えを取る。
 グッと拳をつくり、右腕を胸の前、左腕をその前に添えた。

「…いや?」
 肯定とも、否定ともとれる答え方をして、カサブランカは微笑んだ。
「死ぬような奴等には関係ないだろう? なあ? 【彩】さんよ」

 カサブランカが右足から蹴りを炸裂させる!

 紅はそれを…
「!!」
 止めた!

「…な…」

 藍はカサブランカがなんだかんだ言っているうちに自分のピアスを、武器に変化させた。
「よっ!」
 …あまり格好は付かなかったが。
 かけ声をかけつつ、ベッドの上を飛び跳ね、カサブランカの首をグッと押さえ込む。

「…手元が狂わないよう、祈ってな」
 藍の耳元で光っていたピアスは、カサブランカの急所ツボをつく、凶器武器だった。

「――っ!!」
 カサブランカは…当然ながら…抵抗した。
 頭、腕、足…ありとあらゆる部分を振り回す。
「…チッ」
 藍は『全身硬直のツボ』の場をうまく見取ることができず、舌打ちをした。
 どちらかといえば穏やかな雰囲気の藍だが…今は、鋭いものを帯びた眼光を放つ。

 ドスッ!!

 カサブランカの肘が、藍の横腹にキレイに入った!
「…ゴホッ!!」
 藍が大きくせき込み、腕の力が一度ゆるむ。 「!」
 それを見逃すような暗殺者ではなかった。
 掴まれた首もとを振りきり、掴み直そうとされた足を大きくふった!
 紅は、その足を避けきれなかった。
 頬に激痛が走り、目も、痛くなる。
「何事ですか?!」
「!!」
 ガラスの割れる音を聞いたらしい警備員が、ドアをバンバンと叩いた。
「チッ」
 カサブランカは舌打ちをして、ヒラリと窓から飛び降りる。
「逃すか!」
 藍はギリギリと痛む腹を左手で押さえ、カサブランカの出ていった窓から身を乗り出そうと…した。

「いっやー!!! 2階って思ったよりもたかーいっ!!!!!」

 しかし! 覚悟を決めなければ!!!
(…あ、せめて靴でも…)
 そう、藍が思った途端。
「どけ」
「へ?」
 ダンッ
 そして藍の相方は…飛び降りた。
 藍が少し迷っていたスキに、(どこに隠し持っていたのだろうか?)スニーカーに履きかえたらしい。
「…紅?!」
 その呼び掛けに答えることなく、紅は走り出した。

 藍は呆然とその様子を見送った。
 ――が、しばらくして「ぼーっとするな自分!」と自らを叱咤する。

 校舎…寮棟の周りには、もこもこした芝と木が植えてある。
「…よしっ!!」
 誤って転落したとき、少しでもクッションになるように、と砂倉居学園で配慮した物だ。
 藍も、覚悟を決めた。

(行くぞっ!!)
 大丈夫! きっと、足の裏がちょっと…かなり痛いだけだ!
 藍は窓枠に、グッと足をかけた。

「久井さん? 大丈夫ですか?!」
(え?)
 その声は…。
「山吹?!」
 ここは…しばらく警備員の相手をした方がいいか?
 藍は一度心配そうに窓の外を見つめた。
「ごめん…早く行くからっ!」
 藍は小さく呟くと自分たちの部屋の入り口へ、向かった。

+++++

 さすがは、島である。
(どこにいった…?)
 ――広い。
 『中学棟 別棟寮』の敷地内は出た、というのに、全く分からない。
 紅はキョロキョロと見渡した。

 ザザッ
「?!」
 風もないのに、木が揺れる!
 紅は大きく後退した。

 ――そこに降り立ったのは、紅の追っていた人間…カサブランカ!

「…って何でいるんだーっ?!」

 暗殺者カサブランカは叫ぶ。
 …追われるのは想定外だったらしい。

 今度は紅が、蹴り技をカサブランカにかます!
「うわっと!」
 カサブランカは大きく後退ジャンプ。
「…驚いたからって、すぐにやられるようなヤツじゃねぇ…ぞっと!!!」
 カサブランカは助走をつけて、紅に跳び蹴りをかました!
 紅はそれを右側に避け、カサブランカの腹に拳を叩き込む!

「っ!!」

 1度耐えたものの、最後までは耐えきれずにカサブランカは何度も咳きこんだ。
 跳び蹴りの勢いでパンチが入ったようなものである。
 それに空中から叩きつけられて、尻も強打した。
 体中のあちこちが、軋むように痛い。

「ゴホッ! ゲホッ!!」
 咳を止められずに、座り込んでいるカサブランカに紅が一歩、近づいた。
 ふと、見上げる。

 ――紅の背には、星空が広がっていた。

「【彩】のことを知っているのか?」
 紅は囁いた。まるで、語りかけるように。
 どれくらい知っているか知らないが、と前置きをして、紅は右足でカサブランカの足を踏みつけた。
「…っ!!」
 体中が軋むように痛いというのに、痛みがさらにプラスされ、カサブランカの顔は歪む。

「…私は“くれない”。『赤』グループに籍を置く者」

 紅は静かに言葉を発した。
 …それだけなのに、なぜか。
 カサブランカの歯が小さくカチカチと、鳴った。

 ――こんなコトが、あるのか。
 自分が。…この、自分カサブランカが。恐怖に震えるなどということが…!

「…『赤』は、血の赤」

 眼光で人を殺すことができるのなら、紅はまさしくその鋭さを持っていた。
 伸ばされた腕が、掌が…血の通った人間であることを示すように、微かに熱を帯びている。カサブランカはそれを、感じることができる。――だが。それは、恐怖でしかなかった。
 カサブランカの喉に、紅の手が触れた…掴まれる!

「処理班であり、…暗殺を担当している」

 グッ
 カサブランカの首を掴んだ掌に、力が込められた。

「…ッ」

 息が、できない。
(助けて、助けて、助けて…!)
 その叫びが言葉になることはない。叫ぶことさえも、許されない。
 最後の力を振り絞って、カサブランカはグ、と紅のカットソーの首もとを引っ張った。

 ――ビ…

 カットソーが、縦に、裂ける。
 ワイン色のカットソーと、紅の肌…。淡い色のキャミソールに、バラのような柄が、真ん中にぽつんと描かれている。
「――…ぇ?」
かすれた声で、カサブランカは呟いた。
 そのバラはキャミソールに描かれているわけではなく、紅の胸に…心臓の真上に描かれているのだ。

 ――それは、一つの噂。

 脳みそに酸素が廻らず、僅かに意識が遠のいてきていながら――カサブランカは、一つの噂を思い出していた。
 …『花連』内での、噂を。

 バラ、ローズ、薔薇そうび
 ――トップ3人には、名の示す絵柄が心臓の真上に描かれている、と。
 白、黄、赤。
 それぞれ描かれている、と…。
 紅の胸には、名の示すように赤いバラが…描かれていた。

 カサブランカの心中など、知るよしもなく紅はゆっくりと言った。

「ネムレ」

――それは、死の宣告よりも…

 
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