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⑭休日

 藍は一人の姿を…探していた存在の姿を認め、声をあげる。
「紅…!」
 誰もいないこの場所に、特別大きくない声は響いた。
 藍はその後姿に歩み寄る。
 ――走り寄る、といったほうが正しいか。

「………大丈夫?」
 藍は、その場に立ったままの紅に声を続ける。

 その言葉に、声の主を求めて紅は振り返った。
 ――振り返って映ったのは、心底申し訳なさそうな表情かおをした、男。
「…」
 紅は、何も発さない。
 初めて見せる、柔らかい微笑み以外は。

「…紅?」
 藍は呼びかけながら、そっと紅の頬に触れる。――熱い。
 …部屋で、足の当たった頬が、腫れてきたのだ。きっと。

「痛くない? 大丈夫?」
 藍の掌に心地よさを感じながら、紅は藍の言葉に応えた。
「あまり、辛いモノではないが?」
 藍は紅の言葉を聞きながらも唇を噛む。
 『自分はなんて愚かなんだ』みたいな顔をして、苦しげに呟いた。

「…女の子なのに…っ」

 紅はその言葉に、瞳を見開く。
 そして、さらに微笑みを…笑みを、深めた。

「お前、似てるな」
 紅はそう呟いて藍の手を取り、立ち上がった。
「へ?」
 紅の言葉の意味が分からず、藍は首を傾げる。そんな様子を知ってか知らずか。
「ヤツは、あそこ」
 紅は藍から視線を移した。

 紅に並び、「伸びてるね」と倒れているカサブランカの姿をみとめた藍。
 ふと紅を見て…紅の前側、シャツが破けてはだけていたことを知る。
「ちょ…紅ッ?!」
 頬を染めて、藍は自分の着ていたシャツを紅に羽織らせた。

 がしっと紅の肩を掴むと、低い声で藍は言った。
「あいつか? あいつか? あーいーつーかーっ?!」
 紅の肩を揺さぶりつつ、目が据わっている藍。
「あ、ああ…」
 紅はシャツが破けてはだけていることについては特に気にする様子もなく、藍の様子に数度瞬きつつ羽織らせられた服を遠慮なく腕を通した。
「あと、よろしく。悪いが、疲れた」
 言葉だけ聞くと、本当に疲れているのか? という具合である。
 紅は藍の返事を待たずにゆっくりと寮に向かった。
「え、ああ…。うん」
 紅の後ろ姿を見つめながら藍は。
(…あ、そういえばガラスどうしよう…)
 そんなことを思いながら紅を見送った。
 ――警備員の対応を山吹に任せた藍は、すぐに紅を追いかけてなんだかんだ言いつつも、結局は何も手を出していなかった藍だった。

 

 チカッ チカッ

 紅が部屋に入った瞬間、タイミングを計ったようにパソコンがメールの受信を知らせる。
『ガラスの処理は任せてください。大丈夫ですか?(このメールを見ているということは、無事だったということでしょうが) 山吹』
「山吹…か」
 小さく呟くと、紅は返信メールを作成した。
 メールアドレスは表示されているから、送れる。
『暗殺者の処理、完了。手配を求む 紅』
 紅は簡潔な本文を送信した。
 いつもだと本部に連絡をして、本部から『黄』グループに連絡がいき、『黄』グループの対応を待って…と、結構面倒くさい手順をふまえなければならないのだが、『黄』グループの人間にすぐ連絡が取れるのだ。直接『黄』グループに対応を頼んでしまった方が、早い。

「さて…。あと…何日保護すればいいんだ?」
 確か誕生日に遺産が継続されるから…と、紅は1人、つぶやく。

 本日5月9日。…本日をあわせて、あと5日で、彩花の誕生日…遺産継続日である。

「紅は今日、休みなよ」
 部屋に戻った藍が、開口一番に、言った。
 紅は声に振り替える。

「…ヤツは?」
「ん? ああ、本部から、来たよ。対応早いねー」
 紅の問いかけに応じる。
 話がそらされていることに、気付いていなそうな藍である。

「って、もしかして、紅が本部に連絡取った?」
「…正確には、多分、山吹が」
 白々と明けてきた空。今日もいい天気になりそうである。

「ふーん。ま、何にせよ、ガラスが元通りってのには驚いたな…」
「さっき、って程でもないが、山吹がやってくれたぞ」
 さすがにガラス片も全て無くす、とまではいかなかったようだ。しかし、外から見れば打ち破られた、などということは分からないであろう。
「へえ…」
 窓側のベッドを使っていたのは、紅だ。
 よって今現在は、使いたくても使えない状態である。紅は、ソファーに腰を落ち着けていた。
「…もうちょっとで起床だね。ま、紅は本当に寝てなよ。睡眠不足はお肌の敵だよ?」
 1度時計を見てから、藍は冗談っぽく言った。

「しかし…」
 まだ、完璧に期間が終わったわけでは…と、紅は小さく言った。
「お仕事好きだねぇ」
 藍は苦笑いみたいな表情をする。そして『は』と気付いた。
(そういや、このガラス片じゃあ寝るに寝られないよな…)
 藍は紅の使っていたベッドを眺めてしばらく考えた。
 ポン、と手を打つ。
「今日、処理したばっかなんだから、狙う人も早々来やしないって。しかも、そのほっぺの腫れ、言い訳なんてできないと思うけど?」
「…まあ、確かに」
 転んでもこんな腫れ方はしないであろう。…おそらく。
「よかったら、だけどさ。オレのベッド使いなよ」
 守護するのはオレが頑張るから、と。
「寝てなって」
 そう言って、藍は笑う。

「……」
 その笑顔に「まただ」と紅は思った。
 ――似ている、と。
 紅は、あの人のこういう表情に弱かった。…あの人の、こういう顔の『命(めい)』には逆らえなかった。…そして、今も。

「…分かった。寝ている。守護の方、頼むな」
 紅の返事に藍はほっと息を吐き出す。
「オッケ」
 藍は敬礼! っぽく指をピッと額にあてた。
 ――その、瞬間。

 リリリリリリリリリリリリリリリリ!!!

 けたたましく、起床の音が、寮中を響きわたった。

 
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