「――あら、傷一つ負わなかったみたいね」
先程のガラスの割れる音で、すでに人が集まり、片づけが始まろうとしている。
「頬に一本の、傷」
「…あんたは目が良すぎるわ。それに、あんなのは傷の『き』にもなりゃしないわよ」
『残酷』という表現が一番似合いそうな笑いで、微笑む。
「せっかく、こんなトコにも仕事が来たんだもの。期待を裏切っちゃまずいわよね」
長い髪を指に絡ませ、滑らせる。見事なまでに髪は指を擦り抜けた。
『エヌエ伯爵は、アラビア伯爵によって…』
特に面白くもない、世界史の授業。ちょうどその時代のことをテレビでやったということで、『密着世界史』(BY日本放送協会)の録画したものを見させられている。
ここでの席順は特に決まってはいない。
本日の転校生…藍と紅は、それぞれ衣緒と、彩花の隣に腰を下ろした。
社会担当(もっと細かくいうと、世界史専攻らしい)で、クラス担任の赤石作太郎はビデオをセットするとさっさと眠り始める。
紅はテレビなどまったく気にせず、コロコロと紅いピアスを構っていた。
指でくりくりと転がしてみたりする。
(何であたしがこいつの横なの!)
彩花はどうも、紅のことが好きになれそうになかった。
と、いうか、はっきり言ってしまえば嫌いな人種である。
「…ビデオ、見ないの?」
真面目魂。
ピアスばかり構っていないで、ビデオ見たら? と、小さく続ける。
彩花の声に紅はゆっくりと答える。
「この持ち主、私と手の大きさが同じくらいなようだ」
「ふーん。…へ?」
彩花はその答えに一瞬納得しかけ、もう一度考え直したのち、素っ頓狂な声を上げる。
そんな彩花をよそに、紅はポーンとピアスをはじく。
ピアスは空中で曲がったりなどせずに、紅の手元に吸い寄せられた。
(やっぱりこいつ、ワケ分からないわ)
彩花はビデオを見ることに専念することにした。
藍は結構真面目に見ていた。…世界史のビデオを。
(うーん、エヌエ伯爵って嫌なヤツっぽいなぁ)
ことごとく納得してみたり、疑問を抱いたり。
見た目によらず(?)真面目な生徒のようである。
ふと、前に座っている紅を見た。
紅いピアスをはじく。そのピアスはすっぽりと紅の手に納まった。
(…あのピアス…。持った感じが、普通より少し大きめって感じだった)
藍は、紅と同じことを考える。
(あのピアスは、飾るためだけではなく、弾くために使うモノ…?)
あの早さ、威力。当たり所によっては大怪我…もしくは死…することになるであろう。
「…ふう…」
藍は自分の気づかぬ間に、ため息をついていた。
任務は、人物の守護。
転入したのは、本来より年下の中学クラス。
入寮したその部屋は、偶然か、必然か。
(必然だろうな…と、なると)
二階の西側。
『久井香子 嵐人』
――その、右隣の部屋は
『風間彩花』
(守護人物は彩花…か)
藍は表札を見ながら考えた。
「この人かな?」
守る人、と最後まで続けずに、藍は言う。
「だろうな。クラスは同じ、寮の部屋は近い」
彼女しかいないだろう。
ちなみに左隣は、というと『馬場逸見 田村厚』という、クラスも分からない少女(?)と、少年のようだった。