「聞いたか? セルフォートが死んだらしいぞ」
「セルフォート…え? あの、商人の?」
「あぁ。聞いたところによると――」
一度言葉を区切り、男は声のトーンを落として続けた。
「…殺されたらしい」
「――殺された?!」
――ルーナル家。
都市リガイに古くから続く家系のうちの一つ。
とはいえ。古くからの家系であっても現在は『普通の家より少し裕福』といったくらいだ。
ルーナル家には二人の執事がいて、休息がてら噂話をしているところである。
二人の声は小さな声であったが、そんな会話を聞く少女がいた。
(セルフォート、が…)
少女は脳裏に一人の男を思い浮かべる。
出っ歯で落ち着きがなくて…とりあえず、あまり良い噂を聞かない男だった気がした。
僅かに目を伏せる少女は、柔らかそうな長い髪をそのままにして、見た目がいかにも「お嬢さま」である。
ルーナル家の一人娘、名をミルティエ。
今は既に亡き当主の妻――つまりミルティエの母にうりふたつの容貌である。
ミルティエは廊下の角で、じっと聞き耳をたてている。
…噂話を聞くためにやっていることではない。この家から抜け出すのに、ここを通らねば外に出られないから、そこで立ち止まっているのだ。
二人には、ちゃんと外出すると伝えなくては…そう思って、口を開こうとした。
「――ミルティエ」
呼びかけにミルティエの肩がビクリと揺れた。
…明らかな動揺。それでも、ミルティエはゆっくりと振り返る。
「…父上…」
ミルティエは喉の奥につっかかりがあるような声で呟いた。
ルーナル家当主で――ミルティエの父、アルラス。
「「旦那様?!」」
ミルティアの呟きが聞こえたのか、当主…雇い主の姿が見えたのか、二人の執事は声と顔を合わせながら慌てて立ち上がった。
「ラタル、ユーダ。悪いが、書斎の整理をしてもらえないか?」
慌てる二人の執事に対し、アルラスはゆったりと用件を言う。
「「はい」」
ラタルとユーダは同時に返事をした。
ここの雇い主――アルラスは、すごく謙虚な人だ…と、思う。
頼み事をするとき、大抵「悪いが」が、つくのだ。
アルラスの申し付けに休憩時間が終わり、書斎へと向かおうとしたところで今更ながらアルラスと共にいたミルティエに気づいた。「お出かけですか?」とユーダは声をかける。
頷いたミルティエに「供はいりますでしょうか?」とラタルは問いかけた。
「必要、…ありません」
消え入りそうな声音に「どうぞお気をつけて」とラタルもユーダも深々と頭を下げる。
二人の執事は以前、アルラスにミルティエの昼間の行動に関して制限しなくていい、と言われていた。門限までに家に戻ればいい、と。
確かに旧家ではあるかもしれないが、そんなにお嬢様扱いしなくていいと。
「いってらっしゃいませ」
アルラスにそう言われている二人は、ミルティエの昼間の外出等に特に口出しはしない。
…流石に黙って出掛ければ心配するのだが。
二人の姿も足音も完全になくなったとき、アルラスは動かずに…動けずにいたミルティエの肩に触れた。
「…っ!」
見た限り、アルラスは決して力強くミルティエに触れたようには見えなかった。
――しかし、ミルティエは顔をしかめる。
…痛みに耐えるような、そんな表情で。
「――まだ、痛むか?」
ニタリと…執事に対し穏やかに頼みごとをした人間と同一人物とは思えないような暗い笑みを浮かべ、アルラスは娘であるミルティエの苦痛の表情を見る。
「今夜も…だ。――言っておくが時間までに帰ってこなかったら、時間をのばすぞ」
言葉は「クックックッ」とくぐもった笑いに続いた。
ミルティエは唇を噛みしめ、ぐっと腕を掴む。
「外に行くなら行ってこい。…この暑い日に、長袖で大変だな」
それだけ言うとアルラスは玄関とは逆の方向に…くるりと踵を返して執事たちへと続いた。
ミルティエはそんなアルラスの後ろ姿をじっと見つめた。