昨日の嵐の余韻で、道がぐちゃぐちゃしている。
もうすぐで『光の時』だ。すでに暑くなってきている。
一年は主に七つの『時』に分かれている。
まずは『息吹の時』続いて『花の時』、現在である『雨の時』。もうすぐ『光の時』になり、少しだけ過ごしやすくなる『実りの時』、続いて訪れる『乾きの時』、最後に『寒の時』だ。
今は『雨の時』であり、嵐もある意味当然なのだが…結構憂鬱になるものがある。
『光の時』寸前の暑さと、昨日の水分の所為でなんとなくベタベタする暑さだ。
ミルティエは長い髪が頬に張り付くような錯覚を感じて髪を後ろへと流した。
大きな木陰の柔らかな草の上。
一度日が当たったのか、大きな木陰…密集した葉でもともと濡れなかったのか、ミルティエが触ってみたところその場所はあまり濡れていなかった。ミルティエはそのまま腰を下ろす。
「…は、ぁ…」
大きく、息を吐き出した。まるで深呼吸するように。
座り込んで視界に映ったスカート…その裾が汚れてしまっていた。
一生懸命に歩いた結果だ。…あの家から離れるために。
「………」
湿った空気。暑いとはいえ、木陰に入れば少しはマシか。
ミルティエは瞳を閉じて、再び息を吐き出す。
――肩に痛みが走り、思わず顔をしかめた。
「おねーちゃん」
ミルティエはハッとした。
――声が聞こえた気がして、周りを見渡した。…誰もいない。誰の姿も、見えない。
…近くで声がした気がするのだが。
「…? 気の、せい…?」
思わず確認するように、声にして呟く。
「おねーちゃん! こっち、こっち!」
――また聞こえた。
やっぱり、声は近い。…けれど、姿は見えない。
瞬いて、きょろきょろと見渡して…
「上!」
声につられ、ばっと見上げる。
また、肩に痛みが走った。――だが。
「やっほー」
――その姿と声に驚いて、肩の痛みを忘れた。
「……」
どうやって登ったのだろうか。ミルティエの座り込んだ木陰…その木の枝に一人の少年が座り込んでいた。
「こ…こんにちは…」
ミルティエは思わず挨拶をする。若干丁寧な口調になっていた。
ミルティエの挨拶に少年もまた「こんにちは」と笑顔で応じ、「悪いんだけど、」と言葉を続けた。
「ちょっと下りたいんだ。どいてもらえない?」
少年は六、七歳くらいだろうか? 少年の言葉に「あ…」とミルティエは声を上げた。
「――ご…ごめんね」
ミルティエは言いながら、その場所からすっと移動する。
…と。
「――え?」
――多分、それは一瞬のことだった。
「きゃぁぁぁっ!!!」
…ミルティエが避けた方から人間が降ってきたのである。
「あーあ…」
ボク知ーらない。少年はそう呟き、もう一度、木の枝に座り直した。
+++++
『…おい、目を覚まさないじゃないか』
『ボク知らないよ。だってぶつかったのはカシーサじゃないか』
(…声が、聞こえる…?)
ミルティエはドコかでそう思った。
『まさか、死んだか?』
『さぁ…ね。でもそーだとしても、あんたがそれで罪の意識でも感じるわけ?』
(死? …わたしは、死ねたの?)
ミルティエは思わず微笑んでいた。
「…笑ってるぞ。こいつ」
「夢でも見てんのかなぁ?」
ミルティエに声をかけた少年はすぐ近くの川で冷やした布をミルティエの頬にあてる。
ミルティエはその冷たさに薄く目を開けた。
視界がぼんやりとしている。
「…死んでも、冷たいとかいう感覚はあるのかしら…」
「はい、残念。おねーちゃんは死んでません」
「…」
(あ…肩が痛くなってきた…)
ミルティエはつい先程のことを着々と思い出していく。
「うそ!」
「本当」
「…何がだよ」
見事なボケ、つっこみ、シメである。
…それはさておき、ミルティエの意識は完全に覚めた。
「おねーちゃん、大丈夫?」
少年は布をミルティエに手渡した。
ミルティエは背中から肩の痛みにちょっとばかり顔をしかめる。
「ありがとう…」
少年から布を受け取り、礼を言った。
「ごめんね。どっちに避けて欲しいか、ちゃんと言えばよかったね」
少年は本当に申し訳なさそうに項垂れた。そんな少年の様子にミルティエは慌てる。
肩と背中の痛みは…確かに、上から落ちてきた人との衝撃も関連があるだろうが…そればかりではないことを自分自身が一番よく知っていた。
少年に「大丈夫」と言って、視線をもう一人に移す。
「わたしこそ…ごめんなさい。降りようとしたところにわたしが出てきて、びっくりしたでしょう?」
「いや…ちゃんと見てなくて悪かったな」
「ぶつけたところは大丈夫そうか?」と低く続いた問いかけに「大丈夫です」と応じた。
ミルティエにぶつかったらしい存在…少年と共に木の上にいたらしい青年は、ミルティエと同じ歳くらいだろうか?
一言で言ってしまえば『化粧映えしそうな顔』である。
声と口調…からして男性だとわかるのだが…美人だ。
黒髪に青みがかった灰色の瞳。
色合いがキレイだなぁとミルティエは思った。
「あれ…? おねーちゃんってルーナルの…いてっ!!」
「…このガキの言うことは気にしないでいい」
青年は少年の頭を一つ叩いた。
年頃の男の子らしく、少年は瞳に涙を溜める。
「ルーナルって…」
少年の呟きが聞こえたミルティエは思わず訊き返してしまった。
ルーナル家よりも大きな家、金持ちはこの辺にいくらでもある。
…なんでこんなにも小さな子供が自分を…自分の家のことを知っているのだろうか?
「…馬鹿野郎」
青年は大きく息を吐き出す。顔に『まったくこのガキは…』とかいてあった。
「あの…なんで知ってるの?」
青年のため息の意味など知らず、ミルティエは少年に問いかけた。素朴な疑問で。
「え…えと…その…」
ミルティエの問いかけに少年はしばらく瞬いた。
最終的には「エヘヘヘ」笑う。
(…可愛い…)
ミルティエは可愛いモノが好きだったりした。
「…そろそろ時間じゃないか?」
そんな二人の様子を横目に青年が呟いた。
青年の言葉にミルティエは空を見上げる。
…もうすぐ太陽が完全に昇りきる。――昼だ。多少、気を失っていたらしい。
「ん…そーだね。じゃ、おねーちゃん」
少年は小さく手を振った。
青年のほうはさっさと立ち上がり、すでに歩きだしている。
ミルティエはなんだか寂しくて――思わず声をかけてしまっていた。
「あ、あの!」
「ん?」と振り返ったのは、少年だけだった。
「…また、会えるかしら?」
少年の可愛さの所為か――青年のキレイさが故か。
初対面だというのに「また会いたい」とミルティエは思ってしまった。
「オレ達にかかわらない方がいい」
青年は振り返らず、低く言う。
「いいよー。また、この木でね」
…と同時に、少年も言った。
「………」
青年はしばし、少年を見下ろす。
がっつりと少年の頭を掴んだ。
「…ガナマ…この、くそガキ…っ!!」
「えー、いいじゃーん」
半ば本気で怒っている様子の青年に対し、少年は相変わらず…青年に怒られ慣れてでもいるのか…飄々と応じる。ぷくぅ、と頬を膨らませた。
「あ、あの、無理にとは言わないけど…」
言い争うような二人の様子に、ミルティエの感情のまま…思いつきの言葉が、青年にとっては迷惑だったのか、と少し悲しく思いながらもその言葉をかけた。
「…好きにしろ」
青年のまるで独り言のような小さな声。
少年…ガナマと呼んでいた…に「ほら、行くぞ」と首根っこをつかみ引きずるようにして歩きだす。
『好きにしろ』と…その言葉を自分の中で繰り返し、ミルティエは笑みを浮かべた。
――また、会ってもいいのだ。
「またねー!」
ズルズルと引きずられながらもガナマは満面の笑顔を見せる。
「――さよなら」
ミルティエは小さく手を振った。
冷やしてくれた布をぎゅっと握る。
…明日もまた来ようと思った。