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「えーと。今回の依頼人は」
 少年――ガナマはそこで一旦言葉を区切り、青年――カシーサへと視線を向けた。
「…バルテールのおばはん」
 ガナマはその年には似合わない仕草…先程ミルティエに見せた笑顔とは全く違う顔を見せる。
 「はっ」と鼻で笑うようなガナマの様子にカシーサは大きなため息をついた。
 それは、ガナマに対してではない。
「またか…。今度は誰だろうな」
「さぁねぇ。あの人、たくさん依頼しといて、あの人への依頼はないよね」
「悪運が強いんじゃないのか?」
「…なるほど」
 ガナマはポン、と手を打つ。

 しばらく並んで歩いていたガナマとカシーサ…ぱっと見た限りでは年の離れた兄弟のように見える…だったが、ガナマは「じゃ」と手を上げた。
「ボク、誘導してくるから」
 何か描かれた木片を持ったまま、ガナマは走り出す。
 やはり何か描かれた木片を持ったカシーサはひとつ、ため息をついた。

+++++

「…どこに行こう…」
 家から出ることができれば、あとは特に当てのないミルティエは迷った。とりあえず、街の方にでも行ってみようか。
「すみません」
 自分に掛けられたと思えた呼びかけ。ミルティエは「はい」と応じようとする。
 ――だが。

「…!」

 ――声が、出なかった。その『色』に、目が釘付けになった。
 見事な、紅色の髪と…瞳。
 綺麗だと、見入った。
 髪はともかく、瞳はどうやって染めたのだろう?
 髪にしても、ミルティエは染めたことなどないからやり方を知らないが…。
 ミルティエは母親譲りの容貌そのままに、髪の色も明るい栗色だった。
 ――瞳だけは、父親譲りの灰色である。

「あの、食物屋は何処にあるか知っていますか?」
「…しょくもつや?」
 ミルティエはパチクリと瞬く。
「あ、…あぁ。えと…市は、何処でやっているか知ってますか?」
 ミルティエの様子に紅色の少女は言い直し、少しばかり顔を上気させた。

「市ですか? 市なら…」
 ミルティエは行き方を教えようと思って「待てよ」と思う。
 どうせ街の方に行くのだ。別に、一緒に行ったっていいではないか。

「私も、ちょうど行くんです。一緒に行きましょう」
 別に用事があるわけではないが、行く当てもないミルティエは紅色の少女に言った。
「…! いいんですか?」
 紅色の少女の問いかけにミルティエは「はい」と頷いて応じる。

「ありがとうございます」

 二人はふと目が合った。
 にこー
 …ここに、ほのぼのにこにこ娘’Sが存在していた。

+++++

「――バルテールさん、ですか?」
 バルテールはその声の主を捜した。…いた。
 約束の木の根元に立っている。顔は半分以上隠れ、唇の部分が微かに見える程度だ。
 手には、いつものように木片――中途半端に絵の描かれた木片が握られている。

「バルテール…私よ」
 バルテールはずんずんと自分の名を呼んだ男――だと予想された。声と身長から――の元に近寄る。バルテールも木片を差し出した。
 バルテールの持っていた木片と男の持っていた木片を、くっつける。
 二つの中途半端な絵が一つになり、木片に描かれていた中途半端な絵は、大輪の花の絵となった。

 木元に立つ男…カシーサは納得したように頷くと、バルテールから木片を少々強引に奪う。
「――依頼は」
 バルテールは依頼人と請負人との確認のため用意された木片を強引に奪った男の手をしばらく眺めていたが、低い問いかけに瞬くと、唇を三日月型に変形させた。唇の左下にあるほくろもそれにつられて動く。
「…アルラス」
 バルテールは左肩にある細い紐を引っ張り上げた。
 微笑みは、そのままだ。

「…それだけでは分かりませんね」
「あら、そうね」
 ごめんなさい。と声を立てて笑い、バルテールは言う。
 胸の半分位しか覆っていない布もそれにつられて揺れた。
 …いくら暑いとはいえ、その格好はないだろう、とカシーサは思う。
 四十は軽く越えているように見える女性がそんな格好をしているのだ。
 女性の胸元を見て喜ぶ趣味もないカシーサは、余計にそう思った。

 カシーサの問いかけにバルテールは目を細め、言った。
「…ルーナル=アルラス」
「――ルーナル?」
 どこかで聞いたことがあるような?
 カシーサは繰り返しながらも、そう考える。

「報酬は千万ファルツ」
「…両方ですか?」
「合わせて、よ」
 ――バルテールは、よく雇うので知っている。
 他の者達はどうだか知らないが――バルテールがよく雇う使う カシーサ達は依頼された時と成功した時のそれぞれで報酬を得るのだ。

「じゃあ、頼んだわよ」
 金はいつもの所に預けて置くわ。
 そう言って、バルテールはカシーサから離れる。
 数歩歩き…立ち止まった。
 くるりと振り返る。
「――早ければ、早いほどいいわね」
 いい知らせを待ってるわ。
 バルテールはカシーサに投げキスを一つとばし、そこから去っていく。

「…いらねぇ…」
 カシーサはボソリと呟いた。

+++++

「私、こんな果物見たの初めて
 厚い、堅い皮が重なり合うようにして中の実を守っているらしい。目の前に持ってくればミルティエの顔を隠してしまいそうな大きさだ。その実の置いてある横には中身の見本なのか、実を割って置いてあって、中の黄色…オレンジ色に近い、濃い黄色の実がふわっと甘い香りを漂わせていた。それを販売している中年男性が、紅色の少女…ソシラの声を聞くとにぃっこりと笑った。
「お嬢ちゃん、それは甘くてうまいぞ−。肌にもいいってしよ」
 「ほれ」と中年男性は切った黄色い果実をソシラに手渡した。
「ほれ、そっちのお嬢ちゃんも」
 ソシラばかりではなく、一緒にいたミルティエにも中年男性は果実を差し出す。
「あ…。ありがとうございます」
 ミルティエは手を出すのを一瞬ためらったが、結局は受け取り、口に入れた。
 甘い香りの示した通り――濃い、甘酸っぱい味が口の中いっぱいに広がる。
「…おいしい」
 ミルティエもソシラも同時に言い切った。二人の様子に中年男性はその反応を見ると更に笑みを深める。
「おいちゃんは可愛い女の子が好きだからまけちゃうぞ。いつもは三千ファルツのところを二千ファルツ! どうだっ!」
「千ファルツ…うーん…」
 ソシラはお金の入っている袋を覗き込んだ。
「もうちょっと…ダメ?」
「うーん、じゃぁ、七百五十ファルツ」
「…う…ん」
 ソシラはおっさんの目を見つめた。…やや上目使いの目で『安くして』と訴えている。
「…あぁっ! もぉ…っ!! おいちゃんは女の子のそういう顔に弱いんだって! 五百ファルツでどうだっ!」
 中年男性の言葉にソシラはパッと表情を輝かせる。
「わーい、ありがとー」
 ソシラはお金を手渡した。
 「どれがオススメ?」と買い求める果実商品を選ぶ。

 ミルティエはそんな取引様子を微笑みながら見つめた。街にはいつも活気が溢れている。
 ミルティエの家は少し…いや、かなりと言えるかもしれない…街の外れにある。
 徒歩で家から街に出るようと思うと――ミルティエの体力不足も原因の一つであろうが――途中で休まないととても耐えられない…という程度には、距離がある。

 果物を結局は半額で購入したソシラはにこにことしている。見るからに上機嫌だ。
「…よかったわね」
 ミルティエもなんだか釣られて笑ってしまっていた。
「うん! …あ、そういえば、ミルティエちゃんは何か買わないの?」
「わたしは…お金、あんまり持ってきてないから」
 ついでに、別段目的があって市に来たわけでもない。
「ふーん、そうなの」
 ミルティエとソシラはトコトコと進む。
 雑貨屋で立ち止まったり、果物屋の試食だけもらったり…と終わりまでじっくりと眺めた。
「…と、こんなものかしら?」
 ミルティエはソシラに言う。
「うん、ありがとねー。…あ、ひとつ、訊いてもいい?」
「う…」
 ん。が言えなかった。――視界の隅に映った存在が気になって。

 目を見張り、じっと見てしまう。
 ――先程の少年だ。確か…ガナマ、とか呼ばれていたか。
 「また会おう」と言って…別れて。
 それは、つい先ほどのことだったのだけれど。
 ミルティエは思わず少年のほうへと足を進めていた。
「え、ちょ…ミルティエちゃん?!」
 ソシラが呼びかけたが、ミルティエはそれよりも…少年へと意識が集中していた。
 ミルティエは――なぜこんなにもあの少年が気になるのか自分でも不思議なのだが…気になるのだからしょうがない。変なところで自分の感情に忠実なミルティエである。
 しかし…体力が、そろそろ限界になってしまった。
 自分の体力不足を恨めしく思いながらも立ち止まり、下に思いっきり息を吐き出す。
 もう一度正面を見据え、少年の姿を探した。
 ――居た。
「…あら?」
 ミルティエは思わず声を上げていた。
 少年の立った場所――屋敷の門の前に立つ様子に。
(あのお屋敷に入る気なのかしら?)
 …ちょっと…いや、かなり無謀ではないか? ミルティエはなぜかドキドキする。
 見張り番のような男がガナマに気づいた。
(何か言われたり、怒られたりしないかしら…!!)
 ミルティエは、自分のことでもないのに緊張感が最高潮に達した。
 ……が。
 その門番は深く頭を下げ、恭しく門を開ける。
 ガナマは当然のようにその門の中にそびえ立つ屋敷に向かっていった。

(…うそ…)

 ――ミルティエは、少年の正体を知る。
 その屋敷は、リガイ家。
 ――町と名前が同じなのはきちんと理由がある。
 この家系がこの町をつくった…と言われているからだ。
 リガイ家の初代(とされている)者がこの土地にまで道をひき、人を集めた。…と言われている。
 その話が嘘か本当かは知らないが、今でも大きなお屋敷は健在だ。なんにせよ結構儲けているのだろう。
 そこの、関係者。
 …むしろ、門番の様子からして…リガイ家の息子なのではないだろうか。
 御曹子、というやつか。

「…へー。大きいお家…」
「…ソシラさん…」
 隣に並んだ紅色の少女、ソシラは屋敷を見つめた。
「…お金持ち…?」
 ボソリと、ソシラが言った。
「? ええ…」
 ミルティエは頷いた。…ソシラはこの近辺の人ではないのか、思い、付け足す。
「この町と名前が同じくらいだもの。歴史も古いみたいね」
 ミルティエはそう言うとソシラの顔を見た。
「?!」
 ――なぜかとても幸せそうにたたずむソシラがそこにいた。

+++++

 ――屋敷の一室。
 ガナマ少年は窓を開けた。
「早ければ早いほどいい…とさ。少しは調べなきゃいけないことがあるのにな」
 窓の外の声に動じることなく、ガナマは応じる。
「まぁ…あの人生まれながらにお嬢さまらしいからねぇ。我が儘なんでしょ?」
 ガナマは窓の外の木の枝に(なかなかリラックスした体勢で)座っている低い声で告げたカシーサに問いかけた。
「で? 今度は誰?」
 ガナマはフフフと笑みを浮かべる。
「…そんなに楽しそうな顔をするな」
 カシーサは苦笑い、と言う表現が一番似合う笑い方で唇を歪ませる。

「ルーナル=アルラス…」
 カシーサは一人の名を告げた。
「へ? ルーナル?」
 ガナマはしばらく考えるような表情をした。「あ」と声を上げる。
「…今日会ったおねーさんの親父じゃん!」
 ガナマの言葉にカシーサが「…あぁ」と声を上げた。
「…それで聞いたことがあった気がしたのか」
 カシーサは納得する。
「へぇ。なんか、運命って感じ だねっ」
「…そこで目を輝かすなよ。しかし、運命…か」

 ――オレの嫌いな言葉だな。

 ガナマは「ん?」と言いつつカシーサを見つめる。
「今、なんか言った?」
「いや…。くだらない独り言だよ」

 カシーサは瞳をとじ、今はもう、手の届くことのない…永遠とも思える思い出にしばしの間ひたった。

 ――あの土地。
 …あの人達のこと。…今はもういない…逢うことの出来ない人々のこと。

「ねぇ! 情報、いるの?」
 ――その微睡みは、ガナマの一言によって、現実に引き戻された。
「…要る」
 カシーサは一言そう、返事をする。
「ちょっと待ってねー♪」
 ルンルン、という表現が一番合う足取りでガナマは部屋を出ていく。
 カシーサは瞳を閉じた。…今度は、甘い幻想など、見なかった。

 
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