『おねーちゃん、今日、暇?』
ミルティエは脳裏に言葉を思い描いた。
『カシーサとさ、どっか行ってこない?』
続いた言葉も、思う。
チラリと隣の男の人に視線を向けた。
『んね? 暇だったら、つきあってみない?』
ガナマの言葉に誘われて――その言葉に頷いてカシーサと二人きり、という現状だ。
『このにーちゃんてば、顔、こんなだから、女の子と出かけたことないらしいんだよね』
カシーサは天使の仮面を被った悪魔――ガナマの言葉を思った。
『…あんたが興味持った女って、今まで見たことなかったからさ』
ミルティエを見て、過去を思い出してしまったカシーサの様子を目敏く、見逃さなかったガナマの言葉も思う。
息をひとつ吐き出した。
『――ついでに情報が手に入ったらいいじゃん』
なんだかんだでミルティエと二人きりという現状だ。
予想外の事態。二人とも、言葉は少ない。
出かけろ、と言われたところでどうしろというのか。
カシーサは瞬いた。
「…あの」
ミルティエは、恐る恐ると言った具合でカシーサに声をかける。
沈黙に耐えかねたか、とカシーサは視線だけミルティエへと向けた。言葉は発しない。
「あ、あの…」
ミルティエにはひとつ、気になったことがあった。
しかし声を上げてみたものの、聞いてよいのか、迷う。
思わず言葉が詰まった。
「…なんだ?」
ミルティエの様子にカシーサは地の底から這うような声を上げる。
そんなカシーサにミルティエは思わずビクリとしてしまった。
(お、怒っているのかしら?)
自分の態度のせいか、と頭の隅で思う。
ミルティエは意を決して、疑問を唇へと乗せた。
「カシーサさんの出身は、ここら辺なのでしょうか?」
ちなみにミルティエは、生まれてこの方、この街を出たことがない。
問いかけの内容が想定外だったのか、カシーサはしばらくの間をおいた。
ミルティエを見下ろしていた視線が外される。
「――いいや」
言いながら、カシーサの瞳がゆれた。
そしてミルティエから外した瞳がどこか遠くを見つめる…ように、ミルティエには思えた。
「…もっと、海に近い方だな」
そんな一言が、返事をもらえたということが『嬉しい』と思う自分が変だなぁと思いながら、ミルティエは言葉を続けた。
「そうなんですか。…海というのは、カシーサさんの瞳のように、深い色をしているのでしょうか?」
ミルティエは思ったことをそのまま唇に乗せ、問いかけた。
ミルティエの問いかけに、カシーサは再びミルティエへと視線を戻す。
「…海を、見たことがないのか?」
瞳に宿ったのは、純粋な『驚き』だった。
自分が見たことがあるものは、他人も見たことがあるような気がしてしまうし、ミルティエ『没落気味』とはいえお嬢さまである。
家族旅行などで行ったことがあるだろうと、カシーサは勝手に思ったのだ。
しかも、海というと大抵『明るい青』をイメージする者が多いらしい。ちなみにガナマがそのうちの一人だ。
旅行で行く、観光地のような場所が大抵、美しく明るい色なので、そういったイメージが定着するのだろう。
カシーサの地元の海を知る者は、カシーサの瞳の色を遠い冷たい海の色と似ている、と思うかもしれない。――だから、カシーサの暗い…深い青の瞳を見たミルティエが、その色を『海』と想像したのが意外に思えた。
「はい」
カシーサの思考などおそらく全く考える事無く、ミルティエの素直な、カシーサの予想通りの答えが返ってくる。
海を知らないのであれば、カシーサの瞳の青を海の青だと思っても変なことではないか、とも思いなおした。
「それにしても、カシーサさんの瞳の色は綺麗で…」
ミルティエはじっとカシーサの瞳を見つめる。
――何も言葉を発しないカシーサ。
けれど、『不機嫌』だとは思えない雰囲気の所為か、ミルティエはすらすらと言葉を紡いだ。
「宝石のようですね」
そう言って、微笑んで見せる。
――カシーサの暗い…深い青の瞳を、宝石という輝くものに例えた。
カシーサの中で、ミルティエの言葉が繰り返される。
『宝石のようだね』
――彼女の言葉を、思い出した。カシーサの中で、巡った。
彼女に似た笑い方をするこの少女は、言葉まで似たようなことを言う。
…なぜか、不愉快だとは思わなかった。
言葉少なげに、会話は進み、あっという間に世界は朱色に染まり始まる。
――夕方。
カシーサは今夜の自分の事を思い、ミルティエを見下ろした。
「?」
目が合うと、ミルティエは微笑みを見せる。
カシーサがミルティエと一緒にいて分かったこと。
――似ているのはたまに出てくる発言と、その微笑み。
はにかむような穏やかな微笑みは、彼女を思い起こさせた。
「そろそろ送る。…家は、何処だ?」
そんなことを言いながら、カシーサはミルティエの家の場所などすでに分かっているのだが。
「…ええ?」
ミルティエは悲しそうに顔を歪めた。
「どうか、したのか?」
カシーサは言いながらミルティエの表情の変化の理由を考える。――やや非難するような声音の理由は、暫くした後、分かった。
(早速、入れ墨でもするのか?)
「申し訳ありません」と「なんでもありません」と首を横に振ったミルティエの様子にカシーサはゆっくりと瞬いた。
ミルティエと過ごした時間は決して長くはない。
交わした言葉も、多くはない。
――なのに、カシーサの思いはどこか強くなってきている。
ア ル ラ ス ヲ 消 セ バ ミ ル テ ィ エ ハ 解 キ 放 タ レ ル
――ただ『彼女』に似ている、それだけの理由だと分かっていた。
それでも、彼女を手に入れたいと思っている自分がいる。
「さぁ、帰ろう」
カシーサはそう言ってミルティエを促した。
――彼女を手に入れる。
カシーサは微かに口の端を上げて、笑った。…ミルティエはその笑みを見ていなかった。
暗殺者のその瞳は、微笑んでいた。