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十二、復活

「おや?」
 教室に入ろうとした響は思わず声を上げていた。
 擢真は響に気づいていないようで、廊下の窓拭きをやっている。なかなか、マジメな顔つきで。
 掃除が始まる…おそらく三十分も経っていない…前にはものすごーく落ち込んでいるような様子で、何だかんだで心配だった響は掃除を速攻に終わらせると早々に教室に戻って来てみたのだが。
 響が見た擢真の表情は想像していたものとは全く違っていた。
 擢真がふと、こちらに目を向ける。擢真は視界に響の存在を認めるとニッと、擢真は笑った。
「よう、榊原」
 掃除は終わったのか? と続け「終わったならここの窓拭きを手伝え」とも言った。

 今朝の凹みっぷりというか溶けっぷりというかはどこへやら…の、笑顔と口調。
 響は「へいへい」と応じて窓拭き用の雑巾を取りに教室に入る。
 ――ナニがあったか知らないが、『これだけ元気ならつっこんでもいいよな』と思いながら。

「んで?」
 響がシュッと窓拭き用スプレーを窓に吹きかける…と、同時に擢真に声をかけた。
「…『で?』って?」
 響の問いかけの内容は予想がついていたが、擢真はあえて問い返した。
「お前の元気のなかったワケだよ。何だったんだ?」
 続いた問いかけに「やっぱり」と思いつつも窓拭きを続行する擢真。
 黙ったままの擢真だが…一瞬、明らかに動揺するような動きをしてしまった。それを見逃すような響ではない。
「…ほっほーう」
 響は意地悪そうな声を、あげた。その声に擢真は『ヤバッ』と思い、響の方を見つめる。
「人が真剣に心配してったっつーのに、元気になった途端、それか? その態度が人に対する礼儀にかなっているとでも思ってんのか? へー」
 擢真は思わず「う゛…」と声を上げる。
 気づいていた。本当に、心配してくれていたということは。
 ――だが。
 自ら切り出すようなヤツがいるだろうか? 自分が好きな子にある種の『八つ当たり』をしてしまってその自己嫌悪で暗くなっていたなどと。
 ましてや好きな子に自分の存在に気づいてもらえたから、元気になった、などと。
 …後半は、まあ、ともかく。
 暗かった理由など、言えない。――格好悪すぎて。
「へー。ひどいやつー」
 響のブーイングを受けても「言えない」と擢真短く応じた。
 どんなことを言われようと。これは。
「……ほう」
 そう思っていた擢真の耳に、響の一トーン下がった声が届いた。思わず、反射的に返事をする。
「格好悪すぎるんだよ! 理由が!」
 今だって、擢真の不要ないらん部分を響は知っているのだ。そうそう人のヒミツを――からかいはするが――漏らすようなヤツでないことは分かっていた。
 だが、だからって、上乗せして自分の恥ずかしい部分を見せびらす必要こともないと思うのだ。

 そんな擢真の様子を見ていた響が、数度瞬いた。
(ここまで嫌がるっつーことは、片桐的にめっちゃくちゃハズいことしでかしたんだろうなぁ。…しかも、刈田さんに)
 なんとなく、擢真の様子からして恋愛関係であろうことは予想が出来た。
(何やったんだろうなぁ)
 もちろん響にだって、擢真に言っていないことの一つや二つや三つ…下手すればそれ以上、ある。
 だが、ヒトの秘め事は知ってこそ華。
(こういうのはやっぱ、きっちり聞きださ押さえとかねぇとな)
 弱みを握って脅そうなんて思わない。ただ、からかうくらいだ。
「格好悪い? 何やらかしたの? お前」
 響は声のトーンをいつもの調子に戻して言った。突っ込まれた擢真が「う゛」と口ごもる。
「オレとお前の仲だろ? オレ、人にペラペラ喋るような口の軽いヤツじゃないぞ」
「……」
 それは擢真だって今までの経験からちゃんと理解していることだった。
 だが。
「ヤだ」
 短く応じる。喋るものか、と窓拭きを再開した。
 響は短く息を吐き出した。響もまた窓拭きを始めつつ、ポソリと口の中だけで言う。
「…どーせ、刈田さん関連で何かやったんだろ?」
 ――声は、擢真にきっちりと届いていた。
「な、…なななななな……っっっ!!!」
 半端じゃない動揺をして、擢真の窓拭きが早速中断される。
 「ビンゴ」と言わんばかりに響がにやっと笑った。
「オレに見抜けないことはなーい♪」
 本当に楽しそうに響は言い放つと、ガシッと擢真の肩に自らの腕を絡めた。
 擢真は動揺を抑えようと窓拭きに専念しようとするが響の腕が邪魔で、うまくできない。
 響は響で擢真に聞き出すことに専念しようとしているから、窓拭きをやろうなんて考えはどこにもないと言ってよかった。
「ほーらほらほら。ここまでバレてりゃ最後まで言うも言わないも一緒だ。はいてしまえ。そうすりゃ楽になるぞー」
 『ここまでバレて』と響は言ったが、実際のトコロは少ししかバレていない。
 だが、動揺していた擢真は見事に響の話術にハマッていた。

(言うも言わないも一緒…か? …そんな、気もする)
 擢真はは、と一つ息を吐き出し、口を開く。
 「お」と響は思い、黙って擢真の言葉を聞き取ろうと口をつぐんだ。
「紅深、…先輩、が」
 響は「刈田さん?」と問い返そうともしたが、やめた。本当に細々とした声で、擢真が言葉を紡いでいる。妨害するような気にはなれなかったのだ。
 ――しかし。
 いつまで経ってもつぎの言葉が出てこない。「刈田さんが?」と思わず響は続きを促す。
 擢真はまた息を吐き出した。それは深くて重いもの。
「マサ…ってヒトと」
 聞き覚えのない名前に響は瞬いた。
「抱き合ってて…」
「抱き合う?!」
 続いた言葉に響きは思わず声を上げてしまう。
 紅深に付き合ってる人いたのか? とか思い、なんか意外な感じがした。
「それで…二人は付き合ってると…いう感じの雰囲気がバリバリで…」
 いや、抱き合うような仲では十中八九、付き合ってるだろう。付き合ってなくても、友人以上の関係である確率のが高いように思える。
(あっちゃー。それで、元気がなかったのかよ)
 響は軽く「目指せ両想い」なんて言った自分を呪わしく思った。相手側が付き合ってれば、そうそう簡単に手がだせるわけがないじゃないか。――自分のように。
 擢真は窓拭きを続行しつつも言葉を続ける。
「しかも…そいつに数学勉強教えてもらって…。俺、分かるのトロイのに、ちゃんと付き合ってくれて…辛抱強くて…はっきり言ってイイやつで…」
「片桐…」
 何だか、言わせるのが今更ながら悪いような気がしてきた。
 好きな子の、好きな人の良いところばっかり言わせて何だか擢真が辛そうに見えた。もういい、と響は言おうと思った。
 しかしそんな響の表情を見取ったのか「あ、でもな」と擢真は少しばかり声のトーンをいつも程度に戻す。
「好きでいることはやめないでいようと思ってる」
 …というか、『やめられない』と思った。
 ひとまず一枚の窓が拭き終わり、擢真は続けた。
「そう簡単に諦めちゃ、男がすたる、なんてな」
 そう言って擢真は笑う。
 響はそんな擢真の様子を見て瞬いた。
「…長期戦か?」
 響も擢真に応えるように笑う。
「だろーなー。つっても、あの人、三年だけどな」
 そう、擢真が言ったのを聞いて、響はフと『マサ』のことを思った。
 一度口を開きかけたが、止めた。…ネタにするのは何だか悪い気がする。
(…まあ良い。また今度にしよう)
 好きな子の好きな人…その名前を出されるだけで気分が悪くなる、という経験を響はしたことがあったので、わざわざ気持ちを沈ませることもない、と息を吐き出して自分の思考を頭の隅へと寄せる。

「だから落ち込んでたのか?」
 擢真の長期戦の決意を聞いた響は、『マサ』の登場によって落ち込んでいたのか、と思った。というか、それ以外にないだろうと若干確信らしきもどを自分の中で宿らせた。

「――へ?」
 しばらく響の言った意味が分からない擢真。
 今まで擢真が言ったことと響の言ったことを整理して…どうやら響が『マサの登場によって擢真が落ち込んでいるのだ』と思っているらしいと理解した。
 ソコも落ち込む要因ではあったが…響に心配させる程度の落ち込みの原因は、擢真が紅深に八つ当たりと言うか、怒鳴ってしまったことだ。
 しかしわざわざ自分の格好悪いところを公表しなくてもいいよな、と考えた擢真は「あ、うん」と口に出した。
 響は微かに「本当か?」みたいな表情をしたが、擢真はそのことを無視した。
 擢真はもう一度スプレーを吹きかける。
 …と、その次の瞬間。
「おーし、そろそろ講堂行けよー。終業式始まっぞー」
 と、福本の声が教室から聞こえてきた。
 窓を伝う青い液体洗剤を眺め、擢真は瞬いた。
「…もう少し早く言ってほしかった…」
 思わず、一つため息が零れてしまう。
 ある意味タイミングのいい擢真だった。

 
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