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十四、夏休み−ⅰ

 夏休み一日目。――午前七時。
「ん…」
 どこからか、光を感じる。
 そういえばいつも鳴る音が、無い。だからなのか、こんなに布団の感触を楽しめられるのは。
 擢真はまだ重い瞼をゆっくりと開こうと努力する。
(まー、いっかぁ…)
 そう思って、努力を放棄しようとした瞬間。
「たくまーっ!! 起きなさーいっ!!」
 ドアの向こうから声が聞こえる。決して無視をしようとしたわけではなかったが、擢真は返事をしない。
 ……
「やべっ! 朝飯ッ!!」
 そう独り言を呟くと擢真は飛び起きた。

 擢真はパパッと着替えると自分の部屋のカーテン…擢真の部屋の窓は一つ…を開けた。
 光が目に刺さるようで痛い。何度か瞬きをしてから大きくのびをすると、空の様子をチェックした。今日も快晴。暑くなりそうである。
「はよっ!」
 顔を洗うと居間に向かった。
 擢真の父と母は朝御飯を食べ始めている。
 少し長方形の机の縦、横にそれぞれが座っている。ちなみに擢真の席の正面に母、右側に父という状態になる。
「おはよう」
 先にも述べたが、片桐家のモットーに『美味しいものは美味しいうちに食べる』ということがあり、それは夕食だけではなく朝食、昼食でも言えることだったりした。
 まあ、昼食は休日でもない限り家族三人がきちんと揃うなんてコトはかなり少ないが。…それはさておき。
「残念だなぁ。擢真があと五分遅く起きてきたら、この目玉焼き食おうと思ったのに」
 そう言ったのは身長百七十五センチで擢真より心持ち大きい父、匠である。
 それぞれの前に一皿ずつある目玉焼き。ミニトマトの赤、レタスの緑、そして黄身の黄色という彩りが鮮やかだ。
「卵の取り過ぎはよくないんだってよ」
 取られてたまるものか、と席に着きながら擢真は言う。
「ほお、そうなのか」
 匠は心底驚いたような顔つきをしていたが、本当に驚いているかは分からない。  匠は俗に言う『親馬鹿』というやつで、既に高校二年生の息子に対しても些細なことで「すごいなぁ」と言うような人なのだ。
「擢真、パン焼く?」
「あ、うん」
 母に言われて気づいた。主食がない。
「二枚でいいかしら?」
「うん。ありがとう」
 そう言って傍らにある牛乳に手をのばす。…牛乳を注いだ後に百パーセントオレンジジュースを発見。
 ヨーグルトにしてもフルーツ入りが好きで、基本的に果物が好きな擢真は密かに牛乳をちゃっちゃと注いだことを悔やんだのであった。

 昨日は結局、部活のある日は七月三十一日、八月二十三日の二日間のみだという連絡を受けた。
 …紅深は童顔でも三年生。受験の準備もあるようで『そう何度も活動できない』という現実事情もあるらしかった。
 朝食を済ませた後、擢真は部屋にあるカレンダーを睨む。
 どんなに見つめていても、たとえ眼力で穴が開いたとしても「今日」という一日一日が終わらなければ三十一日にはならないのだが。
(…遠いなぁ)
 擢真は小さく息を吐き出した。

 七時四十五分頃に家を出ればいいという、十五分程度の時間で到着できる割合ナイスな環境に職場のある匠は擢真の様子に瞬く。
(カレンダーと睨めっこしてため息…。好きな子でもできたか?)
 匠はそんなことを思った。
 ――親馬鹿は親馬鹿なりにスルドイのかもしれない。

 真子が居間から出ていくと匠はいそいそと息子の傍に行った。
「どうした? カレンダーを見てても、目的の日にはならないぞ」
 匠の呟きに擢真はびっくーんっ!! と見るからに動揺する。
「え? あ…。お?」
(…日本語になってないぞ、擢真)
 匠はひっそりとそんなことを思う。
 「しっかり心情読みとられました!」と言わんばかりにどんどんと擢真の頬は赤くなった。そんな様子を(絶対に口に出したりはしないが)匠は「素直でかわいいなぁ」なんて思いつつ、言葉を続けた。
「その日を待つよりも行動した方がいいんじゃないか? 空回りでも、何にもやらないよりはずっといいと思うぞ」
 そう言うと匠はニッと笑った。
「健闘を祈る」
 そう言うと匠も居間を出ていく。職場に行く前の最終チェックをするためだ。
 …パタン。
 静かに閉められたドアを見つめながら擢真は言った。
「健闘…ねぇ」
 ハハ。擢真は渇いた笑いを洩らした。
 はぁ、と息を吐き出して、カレンダーを見る。
 ――だからって、何をすればいいだろうか?
(…ってか、ドコまでわかったんだ、親父…)
 擢真はナニも言ってない。
 ただ、カレンダーを見ていただけだというのに『健闘を祈る』と言った匠。
 ぐしゃぐしゃと自らの髪を乱す擢真の頭に父の言葉が巡った。
『行動した方がいいんじゃないか? 空回りでも何もやらないよりはずっといい』
(行動、ねぇ)

 ――幸せな時間を思い出した。
 紅深を家に送ったときのことだ。
 自分は紅深の家の場所を知っている。だからって用もないのに家の傍をうろついていたら変質者扱いされるだろうが…。
「あ」
 擢真は小さく声をあげた。
 「たかがそれだけか?」という本当に些細なことに気づいたのだが、擢真からしてみれば大発見に思えたのだ。
(ずっと、うろつかなきゃいいのか)
 そう、紅深が出てくるのをジッと待っていたりせずに通りかかればいいのだ。
「あ゛」
 そしてもう一つ気づいた。
(口実がねぇよ…)
 擢真の家から考えて、紅深の家は響の家よりさらに遠い。「榊原の家に行った帰り」なんて言い訳ができない。
「……はーあ」
 思わずついたため息。瞳を閉じ、色々と想像してみる。
「擢真ぁ」
 それを妨害してきたのは、真子だ。
「んあ?」
 ニコニコとしている。
 …この笑顔は、何かを企んでいるときの――または、何か頼み事をしようとするときの――笑顔だ。
「母さんさ、『パレコ』でパートしてるじゃない?」
 『パレコ』とはスーパーのことだ。服、薬局、食料品はもちろんペット商品、本などがある。
「…だな」
 あまり行ったことはないが。本屋に行くにしても、学校から家に行くのに回り道した方がきちんと揃っているところがあるし、服だって安いけど擢真好みの物はない…であろう。きっと。じっくり見たことがないから判断できない。
「でね、擢真用の昼ご飯、母さんぜーんぜん考えてなかったのよ」
「と、いうと?」
 何を言いたいのかわからない。
「ご飯も今朝終わっちゃったし、ご飯は炊きたてが美味しいじゃない?」
 ちなみに擢真の家ではカップラーメンというものはあまりおいていない。
「だから悪いけど、昼ご飯は自分でどーにかしてね」
「…へーい」
 とは言ったものの。
 去年の夏休みは母親が昼ご飯を作ってくれていた。
 パートを始めたのは今年の四月からだ。
 毎日外食? 擢真のお財布はそんなことができるほどゴージャスな中身ではない。
 どーすりゃいいんだ? とか思った擢真に「あ、明日からはどうにかするわ」と、真子は言った。
 それなら安心だ。一食分くらいなら財布に入っている。
「ん、分かった」
「出かけるときにはちゃんとカギ締めてね」
 別に今すぐに真子が家を出る、というわけではないのだが。真子はそう言って掃除を始めた。

 
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