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十四、夏休み−ⅱ

 扉の向こうでは掃除機独特の音が鳴り響いている。居間から自分の部屋に移動した擢真はベットに座り込んだ。
 のびをしながらバフンッと寝ころぶ。
「さーて…どーすっかなぁ」
 まだ考えている擢真である。なかなか、真剣に。
 恋するものに『乙女』もなにもないらしい。
 頭の中で紅深の家の近くを散策した。
 あまり行ったことはなかったが、どうにか思い出そうとする。
(確か…パレコが割と傍にあったよな…)
 さらに考え、考え…。

(あー、そう言えば今年は結構課題が多いんだよなぁ)
 若干思考が逸れた。
 今年の地理担当教師である佐賀はことある事に課題を出してくる、課題大好き人間らしい。
 ちなみに夏休みの課題は『地理新聞』の作成。地理のネタならなんでもいい、とのことだが…面倒くさいことに何ら変わりはない。
「あー、早めに手を出しといて…」
 擢真は一人、呟いた。
 基本的に、擢真は宿題をため込むタイプではない。
 …あくまで『基本的に』だが。気付けば期日が迫っていた! ということはあったりする。数学とか数学とか数学とかの課題が。
 地理新聞の作成、と考えてみても擢真の家にはそういった関連の本はない。
 どこかに行くしかないが…。行くならば、図書館か。
「――あ!」
 そう考えて、名案が思い浮かんだ。
 擢真は声を上げつつ跳ね起きる。
(そう言えば!)
 通学で使っているカバンより一回り小さいものに筆箱とノート、財布を詰め込んだ。
 パレコは擢真の住んでいる北川町の駅の一つ――北川町には駅が二つあるのだ――の傍に建っている。
 片桐家は二つの駅のほぼ中間位置にあり、擢真はいつもどちらかというと学校に近い方の細田駅を利用しているのだが、パレコの傍、北川駅の近くには町役場、郵便局、小学校、そして図書館があったはずだ。
 バタンッと勢いよく居間のドアを開けた。
 ウィーン、ウィーンと掃除機をかけている母親に声をかける。
「母さんっ!」
 真子はきちんと三角巾を被って『掃除のオバサン』という感じだった。
 擢真呼びかけが通じたのか、プチンと電源を切り、こちらを向く。
「なあに? どこか行くの?」
「図書館! 図書館行ってくる!」
 小さい時からのしつけで、どこかに行く時には報告するのが擢真のクセになっていた。
「図書館? ああ、駅前の」
 フムフムというように真子は頷く。
 擢真はガサゴソと電話の置いてある棚の引き出しを探る。…捜し物が、見つからない。
「あれ? カギは?」
 思わず呟く。カギは、出かけるときには家族の一人一人が必ず持つことになっていた。
 先々週にはこの棚の一段目に入っていたはずだが。
「あら、ない?」
 うーんと小さく唸りながら擢真は探し続ける。ちなみに擢真の持ち歩くカギはスポーツメーカー[KingMan]のキーホルダーのついたカギだ。
「あ、ごめーん」
 妙に間延びした声で真子が擢真に言う。
「そういうトコに置いてあるとカギが取られやすいってこの間、テレビの特集で言ってたのよ。それで移動したんだったわ」
 「をい」と擢真はツッコミをかました。頑張って探していた自分が悲しくなる。
 思わず小さいため息を吐き出してから、擢真は真子に訊いた。
「で? どこに移動した?」
 パタパタパタとスリッパの軽い音をたてながら真子は台所の方に向かって歩き、こっちこっちと小さく手招きをする。
「?」
 ろくに台所に入らない擢真。台所には食器棚があり、食器棚の一部の戸はガラスでできている。
 そのガラス部分に『張って剥がせる便利なフック』とかいうあおりがついていそうな吸盤付きのフックがくっついていた。百円ショップで売っていそうなプラスチック製の物で、水色と緑を足して二で割ったような色合いである。
「…こういうところの方が、泥棒が入ってきたときに分かりやすいんじゃないの?」
「あら、でも擢真は気づかなかったじゃない?」
「…」
 それは、確かだった。
 何はともあれカギをゲットし、もう一度「いってきます」と言う。
「あ、擢真」
 ふと、真子に呼び止められる。今度はなんだと思いながら、擢真は振り返った。

「図書館て、駅前のでいいんでしょ? パレコの傍の」
「そうだけど?」
 只今八時半を少し過ぎた頃。
「まだ開館してないんじゃない? 図書館。わたしの記憶が正しければ、確か十時に開館だったと思うけど」
「……マジで?」
 いくら歩いて三十分だからと言って、さすがに早過ぎる。
 しかも暑い中走って帰るのはイヤだ。なので擢真は自転車を使う気だったのだが。
(チャリを使うとさらに時間短縮されて十五分…)
「後一時間以上あるじゃん…」
 さっそく運命偶然に翻弄されている擢真である。
 開館直後に着くようにするのだとしても、九時四十五分頃で充分間に合う。
「あー…めげそう…」
 思わず独り言が漏れた。
「と、いうわけで勉強も良いけど、もうちょっとしてから出た方が利口だと思うわよ」
「…分かった」
 すごすごと擢真は部屋に戻る。
 荷物の入ったカバンを椅子にひっかけ、バフッ!! と顔面からベットにダイビング。
 …一気にやる気がしぼんだ。
 振り出しに戻る、である。
 こういうときの時間の過ぎ方は数学の授業の時のように、妙にゆっくりに感じる。
 一分は六十秒で、時間の過ぎる早さはまったく変わらないはずだというのに。
 ぬぼーっと天井を見上げた。一時間ちょっと。何をしたものか。
 コンコンというノックに擢真は「へーい」と元気なく応じた。
 当たり前だが戸を開けてきたのは真子である。
「擢真、榊原君から電話」
 擢真は保留中のコードレスを受け取った。

「もしもし?」
 高校二年の擢真は未だにケータイ…つまりは携帯電話を持っていない。
 ケータイに興味がないといったら嘘になるが、別に今は必要な物でもないな、と思っている。よって電話がくるとなると家の方の電話になるのだ。
『おっはー』
 ……なんかイヤ。
 随分古いネタにそんなことを思いつつも「うっす。どーした?」と応じる。
『朝から覇気がないねぇ』
 その声に、擢真はちょっと拍子抜けした。
「響ちゃんも覇気ないじゃん」
 そう言うと相手は
『あ?』
 …とっても態度が悪くなる。
「なんてな。怒るなよ、榊原」
『…“ちゃん”とかつけるな』
 擢真は響があまり名前で呼ばれるのが好きでないという事をきちんと知っていたが、あえて言ってみた。からかわれる率が高い擢真。たまには逆襲だ。
「んで、どうした? 休み一日目早々に」
 終業式は昨日。「都合が合ったら遊ぼう」という話はしたものの、明確な約束はしていなかった。
『いやー、暇でさー。片桐、どっか行かね?』
 擢真は暇といえば暇だが、今だけの話だ。今日は…というか、行ける理由のある限りずっと…図書館に行かなければ。
 ――紅深に会えるかもしれない口実を少しでも多くしておきたい。
「わりー、俺、図書館に行くんだわ。開館早々にでも」
『…片桐が勉強?! 似合わねーことすんなよ!』
 響はそう言いながら受話器の向こうでゲラゲラ笑う。
「うわ、ひでーなあ、おい」
 擢真は軽く苦笑する。響の笑い声は続く。
『じゃあ、いいや。せいぜい頑張れよ』
「へいへい」
 二度目の『い』を言いきる前に受話器からは『ツー ツー ツー』と無機質な音が届いた。…通話時間約一分。
(切るの早っ!)
 擢真はそう思いながらもコードレスをあるべき場に戻し、もう一度ベットの上に寝ころんだ。

 
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