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三、趣味−ⅱ

「じゃーんっ、見て見て
「何度見たって、怖いものは怖いわっ!!!」
 擢真はそう、叫んでいるが他者から見れば『あんな美人さん、この学校にいたっけ?』と首を傾げてしまうような雰囲気だったりする。ついでに擢真はそこそこに身長もある。女性と考えると少し髪は短いかもしれないが、『モデル』と言っても納得できそうだ。
「えー。そんなに拒絶しなくても…」
 紅深は「どーして?」と、心底不思議そうな顔をする。
「ともかくこれ、落とせ!」
 擢真は一応、普通の洗顔剤では化粧が落ちないことを知っていた。
「えー。たった今、できたばっかりなのに?」
「『えー』じゃないッ!! 早くこれ落とせーっ!!」
 擢真、すでに絶叫である。
「どうせなら、校内一周してこない?」
 目をキラキラと輝かせ、紅深は言った。
「あ?」
 態度の悪い擢真。美人が怒ると怖い、という見本のようだ。
「だってさ、どうせなら自分の作品って、見てもらいたいとは思わない?」
 紅深は吼える擢真に別段恐れるような様子を見せず、ニコニコと笑顔のまま言った。
「この学校、化粧とかにはうっさいだろ?」
 低く、唸るような擢真の言葉に少し紅深は考える。
「…大丈夫。ナチュラルメイクだから
「うそつけ! 男の俺から見たって分かるような化粧が『ナチュラル』のワケがねーだろが?!」
「え、そう? あたしから見れば十分にナチュラルなんだけど…」
 本当に『そうかなー?』みたいな顔をして、紅深は言う。
 これが本当に年上か? 擢真は心からそう思った。
「ともかく…」
 化粧コレ落とせ! と擢真が口を開きかけたその時、である。
 コン コン
 ゆっくりとドアをノックする音が美術室に響いた。
「?!」
 擢真の顔が青ざめる。こんな姿を誰かに見られたら、登校拒否をしてしまう!!(自分が)
 ガチャ ガチャ
 鍵をかけたので当然だが、開かない。
 ノックする音と開けようとする音が交互に何度も響いた。
(いい加減に諦めろよー)
 そう思いつつ、擢真は昨日越前から逃れるために隠れた教卓の下に潜り込む。
 化粧をした自分の姿など晒したいものではない。
「はい?」
 ガチャンと紅深が鍵を開ける。
 机の下の擢真には音しか聞こえないが、そうであろう。次にはドアの開く音が聞こえたからだ。

「――ッ!!」

 ダダンッ!!
 凄い音がした。まるで、ドアに叩きつけられたような…。
 机の下で思わず、ビクッと擢真の肩が揺れる。
「マサッ?!」
 半ば叫ぶように思えた紅深の声に、擢真は思わず勢いよく立ち上がった。

 ガンッ

「いてっ!!!」
 ――立ち上がろうと、した。
 …痛かろう。結構狭い教卓の下から這い出るのではなく、立ち上がろうとしたのだから。
 じんじんと痛む頭を擢真は押さえた。痛い。

   擢真が机に頭をぶつけた『ガンッ』というめちゃめちゃ痛そうな音と「いてっ!」という言葉。
 しばらくの沈黙があった。
「…誰かいるのか?」
 紅深のものではない声が問いかける。
「いるわよ。新入部員片桐…」
(名前を言う気かっ?! もし名前を言われたら、顔なんぞ出せなくなるじゃないか!)
 ――冷静な擢真だったら、そんなことを考えて、顔を出さなかったかもしれない。
 が、痛みのあまりそんな紅深ともう一人の会話が聞こえず、――擢真の頭にあったのは紅深の半ば叫ぶような「マサッ!」という声だけだった。

「どうした?!」
 擢真は顔を出す。

「…擢真くん」
 紅深がそう、名前を紹介しつつ、擢真の方に振り返った。
「…美人だな」
 『マサ』と呼ばれた誰かは、相当ドア側にいるらしい。擢真の位置からでは出っ張った壁が邪魔で声が聞こえるだけだ。
「でしょ
 マサの呟きに紅深は満足げに頷く。
「人がいるなら…イイや。また後で」
「え、いいの?」
「ん」
 そんな会話を擢真はぼーっとしながら聞いていた。
 いくらかまだ、頭がガンガンする。
「じゃ」
 ガラガラガラ…ガタン
 そんな音がすると、それを合図にしたかのように擢真は行動を開始した。
 わざとではないのだが、なんだかタイミングが合ったのである。
 紅深の元へ歩み寄り「大丈夫か?」と問いかけた。
 そんな擢真の問いかけに紅深はきょとんとした顔をする。
「何か…凄い音がしたから」
 その表情を読み取り、擢真は理由を述べた。
 「ああ」と瞬いて、続けた。
「マサがね、よろけて派手な音をたてて、ドアにぶつかったのよ。だから大丈夫」
「…そう、か?」
 あの派手な音と半ば叫ぶような紅深の声。
 ――紅深に何かあったのか、とか思ってしまったのだが、早とちりだったようだ。
 「心配してくれてありがとう」と紅深は不思議な魅力のある笑みを擢真に見せた。

「――…」
「ん? どうしたの?」

 黙ったままの擢真に、紅深は問いかけた。
「片桐くん、顔が真っ青よ?」
 「そういえばさっきすごい音がしてたみたいだったけど」と紅深ははっとした。
 実は未だにぶつけた頭は痛むのだが、そんな紅深に構わず擢真は恐る恐る、口を開いた。

「…さっき、あんた、俺の名前言ってなかったか?」
「え?」
 突然の擢真の問いかけに紅深はちょっと考えるように目を泳がせた。
「…言ったわね」
 ふむ。と紅深は納得したように呟くと「それが何か?」と、逆に問い返した。

『新入部員片桐擢真くん』

「…しかもフルネームだった気がしたが、違うか?」
「違わないわね」
 机の下で聞いていた声。
 紅深の、声。言葉。

『美人だな』
 …擢真からは、そう言った誰か――紅深いわく『マサ』の顔を見てはいないが。
 嘘かお世辞か知らないが、『美人だな』なんて感想を漏らしたということは化粧をした擢真の顔が見られということで。

「うぉぉぉぉっっっいっ!! 俺はこの姿を見知らぬ奴に知られたのかぁぁぁっっ?!」

 吼える擢真に紅深は「あ、大丈夫」とまた、笑顔を見せた。
「マサは全校生徒の名前と顔が一致してるから」
「笑ったって騙されねぇぞっ! っつ−か、ナニがどんな風に大丈夫なんだっつーんだっ!!!」

 吼えるような叫ぶような擢真に「片桐くん」と紅深は右の人差し指を立てた。
「怒りっぽいのはカルシウム不足が原因なんだってよ」
 ちゃんと牛乳飲んでる? と言われて「毎日飲んでるっ」と応じた。
 擢真は朝食の後にいつも、一杯の牛乳を飲んでいる。小さい時からの日課だ。
「あたしはヨーグルトを毎日食べてるわね」
 紅深のそんな言葉を聞いた擢真はちょっと考えてから、言った。
「ヨーグルトはブリジアンヨーグルトだよな」
 白地に青のパッケージを脳裏に描きながら言った。
 紅深はそんな擢真に頷く。
「あたしは結構ストロベリーなんかがスキ」
 …話がすり替えられている。
 が、その後しばらくはヨーグルトネタで話がはずんでいた二人だったりした。

 
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