昼休みになって、それぞれが昼食を取る。
「……片桐」
「ん♪」
呼びかけに応じた擢真に響は僅かに声のトーンを下げて続けた。
「…顔、緩みまくり」
「え゛」
妙な声を上げた擢真に「自分で気づいてなかったのか?」と切り返す響は、「マジで?」みたいな表情をしている擢真に、見て分かるように大きくため息をついた。
「ん。…まぁ」
自覚がないまま響にポソリと応じながらも、次の瞬間には『ご機嫌♪』みたいな顔をして擢真は一口、ご飯を放り込む。
「なんかいいことでもあったのか?」
「……」
問いかけに対する答えは、沈黙。
しかし、問いかけた瞬間にふと目を泳がせた擢真。――それを見逃す響ではなかった。
「たっくまくーん。オレとお前の仲じゃん?」
語尾にハートマークの付いていそうな響を、擢真は自然に無視して、おかずを放り込む。ちなみに肉巻きポテトだ。
「…いい天気だなぁ」
二人は窓側の友人の席を借りて、大抵そこに腰を落ち着けて昼食を食べていた。
窓の外を見つめつつ言う擢真に響は鋭いチョップをかます。
「イッ?! なっ?!」
訳:痛いッ?! 何なんだっ?!
脳天直撃。思わず言葉にならない声を上げた擢真だったが、
「どーこーがーいい天気なんだ? んん?」
若干おどろおどろしい雰囲気をまとった響が応じる。
しかし、響の言うことはもっともだった。
窓の外は、雨である。大降りではなかったが、カサがなければ『最悪だ!』とか言いたくなる程度にはいい降りだ。
「……」
擢真と響の目が合う。ヘラ、と笑う擢真に響は思わずニカッと笑い返した。
「って、ちがーうっ!!!」
またもや脳天チョップをかます響に「いってえなっ!!」と文句を言う擢真。
チョップをくりだした手刀で机を叩いて「ほーれほれ。白状せいっ!」と騒ぐ響。
「何を?」
しかし、擢真は未だにすっとボケる。
「り・ゆ・う! お前の機嫌のいい理由だよ!」
何故こんな事を言うかというと、昨日起こった擢真の至福の時のことを響に報告していないからである。
…つまり響にしてみれば擢真の顔の緩んでいる理由が全く分からない、という状態なのだ。
「あ、そろそろ時間がヤバいぞ」
響の問いかけの内容を知りながら、擢真は時計をチラリと見た。
現在十二時三十五分。あと五分で授業が始まる。計ったかのように、予鈴が鳴った。
「……チッ」
本気で悔しがる響に擢真はちょっと舌を出してから、笑った。
――自分の幸せな理由を、まだ一人占めしていたかった。
――放課後。
擢真はいつも通りに美術室へと向かった。
今日は顧問のいない日である。昼間に降っていた雨は、未だに止まない。
昨日、一昨日の緊張はどこへやら。今の擢真はワクワク、といった状態である。
擢真はいつも通りノックなどせずに美術室に入ろうとした。
ドアに手をかけようとしたら、いつもはピッチリと閉まっている美術室のドアが開いている。
「……?」
別に気にするようなことでもないだろうが、なぜか擢真は気になった。
カラ…と、『あまり音をたてないようにしよう』とかいう配慮はなかったのだが、中途半端に開いているドアは静かに開く。
中から、声が聞こえた。
「……? …今度いつ…?」
それは途切れ途切れだったが、紅深の声だとわかった。
擢真は声をかけようとした…が。
「明日…ってよ」
紅深のものではない声に、擢真は開きかけた口を閉ざす。
――その声は、男のモノのように聞こえた。
別に『入室禁止』とかいう張り紙がしてあったわけでもないし、入ってしまえばいいハズだ。
だが…盗み聞きする気などないのだが、なぜか入りにくい。
擢真は入っていいのか…なんて悩んでドアの前にしゃがみこんだ。
誰かが美術室を利用しようと思えば邪魔な位置だが、今までの経験上、かなりの高確率で来客者はいない。
しゃがみこんで、本格的に腰を下ろしてちょっとばかりドアに背中を預けながら、会話をしばらく聞いているうちに、紅深ではないもう一方の声に聞き覚えがある気がしてきた。
(誰だっけ…?)
密かに考える擢真の耳に「本当? 嬉しい!!」と、紅深の声が届く。
「ありがとう、マサ!」
続いた言葉に「マサ???」と唇だけが象った。
(なーんかひっかかる…)
そう、考えていた擢真の耳に入った言葉。
「大好き!」
――届いた声は、紅深のもの。
(…はい?)
「ハハ、ありがと。紅深」
応じる声は…静かな、『誰か』のモノ。
ピシッと、何かが割れる音がした…ような気がした。
(ダイスキ? 台空き? 陀椅子記?????)
変換してみれば、一発で出てきそうな言葉。
けれど擢真はドコかでそれを拒絶して、脳内で妙な漢字変換をする。
ドアの所で門番のようにしていた擢真なのだが…頭の中が真っ白になって、なんだか急に力が抜けて、スライド式のドアに完全に寄りかかる格好になる。
ドアの滑りが良かったのか…それとも、擢真の体重の掛け方が良かったのか。
ドアはガラガラと音をたて、ゆっくりと開いた。
…そしてパタリと倒れた途端、擢真が見たモノ。
「……!?」
それは…佇む二人、だった。
ただ、佇んでいるだけならば、擢真的には良かったかもしれない。
それは――呼吸を忘れてしまうほどの衝撃だった。
佇む二人。
――抱き合う、二人。
紅深は相手の腰に腕をまわし、相手は紅深の肩を…抱いて、いる。
ガラガラという音に気付いたらしい紅深が擢真のほうをを見やった。
「擢真くん!」
擢真の目は…悪くはない。
擢真の名を呼んだ紅深の、『誰か』の陰から覗かせた顔は…赤かった。
「アハハー。どうしたの? そんなところで寝ちゃって」
何かを誤魔化すかのように見える、慌てたような口調。
(寝てるんじゃない。倒れてるんだ)
声にできないまま、頭の中だけで応じる。
「あれ…片桐…擢真くん?」
擢真に背中を向けていた、紅深のではないもう一人が振り返って…名を呼んだ。紅深のように顔を赤らめてはいない。平然とした表情。その、顔つき。
「…!」
どこかで見たことがあるはずだ――その声も、聞いたことがあるはずだ。
公立北川高校。そのクラス数は三学年合わせれば二十五クラス。
そのトップともいえる存在――生徒会長である。
校内新聞、意見発表、生徒総会…諸々の場で活躍する。擢真は名前を知らないが(正確には覚えていないが)いくらなんでも、その存在は知っていた。
「生徒…かい…ちょう…?」
ぼんやりと問いかけるような擢真に「ん? なに?」と紅深が『マサ』と呼んだ――生徒会長は応じる。
なんだかんだで噂くらいなら、聞いたことがある。
成績優秀、運動神経抜群、眉目秀麗。先生の評判はよく、生徒からの信頼もあついe,t,c…なんていう、結構胡散臭さがただようなような噂ではあるが。
見た目だけで判断できたのは、眉目秀麗、ということだった。
黒…漆黒といってもいいような髪と、瞳。バランス良く配置された眉、鼻、唇。
瞳は憂いを漂わせてもいるようなすっとしたモノ。
微かに笑みを浮かべる唇は、さながら少女マンガの王子さま。
擢真の見つめる中、未だに抱きついている紅深をなだめるようにして離し、軽く数回、肩を叩いた。
耳元で何かを囁くと、紅深は花が綻ぶよりも鮮やかに微笑む。
「……」
マジで?
擢真は放心状態のまま、二人を見つめた。
「アハッ、ごめんね。さて、今日も始めよっか」
未だに頬を染めている紅深の様子に、擢真の魂はどこかに行ってしまいそうだ。
「じゃあ、また」
生徒会長がそう言うと「うん。バイバイ」と手をふる紅深。
紅深の頭ををポンポンと撫でてから去る生徒会長。
そしてまた、微笑む紅深。
…まるで、普通(?)の恋人同士のようではないか。
魂が抜けかけて、未だに横たわったままの擢真。
ドアの外から中にかけて仰向けに倒れたままの擢真に腕をのばし、生徒会長は「大丈夫?」と声をかけた。
普段の擢真だったなら素直に、「この人、いい感じ。格好良いなぁ」なんて思っていたかもしれない。案外、憧れの念を抱いたかもしれない。
けれど、今は…。
「大丈夫です…」
生徒会長がのばした手は取らず、どうにか起き上がる。
「そ? 良かった」
「じゃあ」と――そう言って去っていく生徒会長の後ろ姿はなんだか、とてつもなく大きな存在に見えた。