あれから一週間。
自分自身の…指先への口付け、頬や額を撫でる…行動に一人赤面し、他人のことは言えないなぁ、なんて考えたりもしつつ。
「…はぁ…」
響は思う度に、ため息が出る。
…響が輝に口付けたことは、輝にばれなかった。
その証拠に、輝の態度は変化しないし、何よりも。
『あのね』
それは、確か一昨日のこと。
輝は嬉しそうに微笑んで、言った。
『彼氏ができたの!』
「…は、あ…」
ため息。
現在響はアルバイト中である。
夏休み中のみなので朝十時から夕方六時までという、休憩はあるが、八時間みっちりやるアルバイトだ。
ただいま、五時半。あと三十分で終わる。
こういう時が一番、時間が過ぎるのが遅い。
ブー ブー ブー
(あれ?)
マナーモードにしているケータイが鳴った。
「……」
響は一度辺りを見回す。
本当は、携帯電話は電源を切ってロッカーに置いておかなくてはならず、働いている場所に持ってきてはいけないことになっているのだ。
辺りに人がいないことを確認すると、響は携帯電話を開いた。
画面にはメール着信の通知が表示される。操作して、メールを確認した。
「…は?」
内容に、響は思わず声を漏らしてしまう。
そこには、こう書かれていた。
『彼氏と別れた。お酒買ってきてくれたらうれしい』
短いメールは、輝からのメールだった。
「輝?」
輝の注文通り、酒を買った。
一週間前に輝が「おいしい」と言っていた缶チューハイを五本選ぶ。
あまり飲ませてもヤバいよな、という響の考えからである。
…しかし。
「――お〜い…」
その部屋の様子に、響は思わずうめいた。
輝に言われて向かったのは、輝の部屋である。クーラーのきいた輝の部屋は涼しい。
そこには空き缶がいくつか転がっていた。…空き缶は、発泡酒の空き缶だった。
「エヘヘヘヘヘ。お先にしつれーい」
「お先にしつれーい…って…」
転がる空き缶を見て「五本でも多かったかな」と響は思う。
「んー、おいしー♡」
輝は響が買ってきた缶チューハイを開けると、早速飲んだ。
飲みこむと本当に幸せそうな表情をする。
響はふとメールのことが頭によぎった。
一度「どうして別れたのか」訊ねようと思ったが…やめる。
それは、当人同士の問題であり、響が口出しすることではない。
…口出しできることではない。
輝は中学二年の秋頃から彼氏がいた。
しかし、続いている期間は決して長くない。
今回の男で両手くらいの数になるのではないだろうか。
(その間ずーっと見てるオレもどうか、ってハナシだけどな…)
ひとりツッコミをかましつつ、響は目を伏せる。
――どうして、別れた?
それは、当人同士の問題だ。響が口出しすることでも、出来ることでもない。
だが…。
「ねぇ」
輝の呼びかけに響はハッとした。やや自分の思考に浸ってしまっていたため、反応が贈れる。
輝は飲むものが飲み終わったのか、ベッドの上で横たわりながら響を見ていた。
「ん?」
一口、自分用に買ってきたペットボトルのウーロン割を口にしながら輝の言葉の続きを待った。…続いて輝の口から出た言葉は、響の想像しなかったものだった。
「どうして男の子ってすぐに『エッチしよう』って言うの?」
「…?!」
輝の発言にペットボトルを落としそうになる響である。…どうにか堪えたが。
「アタシって、そんなにエッチスキそう?」
「…………」
問いかけに、響は答えられない。
危うく口の中身も吹き出しそうになり、右手でフタをして耐える。
(……想像しちまった……)
輝は、色の派手な服を好む。そして、顔も結構整っている。
そのせいか、よく『派手』と…『軽そう』と言われるのだ。
『お前、篠岡とヤッてんの?』
いつだか訊かれた、不愉快な問いかけ。
…付き合ってもいないのに、出来るはずもない。
「エッチしないって言ったら、『なら別れよう』…だって」
輝は言いながら、大きく息を吐き出した。
響はそんな輝の言葉に瞳を丸くする。
…相手はそんなことを言ったのか?
「アタシ、そんなに魅力ないかな? エッチしなきゃダメなほど、魅力がないかな?」
そんなことないよ。…そんなこと、ないのに。
響はくーっとウーロン割を飲み干した。
「――オトコって、バカだからさ」
その呟きに、輝は響へ視線を向ける。
「ついでに変態だし」
…輝を傷つけないだろうか。
自分の言葉は、輝を傷つけたりしないだろうか。
響は不安な気持ちでいっぱいだ。…でも、続ける。
「だからすぐ、触りたくなるんだよ」
…この間響は意識せず、眠ったままの輝に触れてしまった。
『触れたい』という欲望そのままに。――意識しないままに。
「――触れて、確かめたくなるんだよ。…自分のこと好きなのかって」
そんなことで、感情や気持ちの全てがわかるわけじゃないだろうに。
でも、これは…本当の気持ち。
触れたい。触りたい。好きな人に。――触れたい。
輝が響を見ていたことを分かっていた。
響は視線を輝へと向けないまま、続ける。
「それから――輝に魅力がないわけないだろう?」
響は、それが言いたかった。
…キスや、それ以上に興味がない、なんて言ったらウソになる。
でも、それは好きな相手にだからこそ。
誰でもいい、というわけじゃない。輝でなければ意味がない。
「オレが惚れたヤツだもん。十分、魅力的だって」
「……――」
思わずこぼれた言葉に、輝は沈黙で応じた。
響はしばらくした後、はっとする。
(…今)
自分、なんて言った?
『オレが惚れたヤツだもん』
自分の中で、反芻させる。
………言った。言ったぞ。酒の勢いといえるが。
しかし――輝の反応が、ない。
「……輝?」
おそるおそる、響は視線を輝へと向けた。
響と目が合うと、輝は忙しげにぱちぱちと瞬きをする。
何度も何度も瞬いて――それから。
「……そっかぁ」
そう言って、笑った。
満面の笑みを浮かべて。
「へへへへへ」
――本当に嬉しそうに、笑った。
響は一度視線を逸らす。
アルコールのせいだけではない顔の火照り…赤面を輝に悟られないようにするため。
…そしてまた、沈黙。
響はぴちぴちと自分の頬を叩き、チラリと視線を輝へと向けた。
…輝は。
「おいおい、またかよ…」
――寝ていた。またもや、かなり健やかな吐息で。
「しょうがねぇなぁ…」
呟きを漏らしながら、ベッドの上の輝に一応布団をかぶせる。
「…聞いてたよな?」
答えはない。…あるのは、寝息だけ。
『そっかぁ』
輝の表情を思い出す。…満面の笑みを。
今あるのは、単調な吐息ばかりだったが。
響は空き缶を集め、まとめて置く。
まだ残っている自分用のウーロン割を手にする。
「…おやすみ」
響はそう告げると、輝の部屋を後にした。