「おはよー」
二学期開始である。
今日は始業式と大掃除、それからホームルームをやって終了だ。
しかし、すぐに文化祭…清涼祭があるので、ホームルームが結構長引く。
「おはよ、輝」
ポン、と肩を叩かれた。輝はドキッとしてしまう。
「お、おはよ」
声をかけてきたのは響だった。
別に避けているつもりはないのだが、輝は今朝、一人で学校に来た。
響と会うのは告白された日以来。約、一週間ぶりである。
…十分、避けていることになるだろうか。
(でも、毎日毎日絶対一緒に来てるってわけじゃないし、…避けてることにはならないよね)
輝はそう、自分自身に言い訳をする。
「おはよっす」
並ぶ二人に、一人が言葉をかけた。二人はほぼ同時に振り返る。
「あ、たっちゃん。おはよー」
「片桐、はよっす」
声をかけた少年は片桐擢真…輝、響共通の友人だ。
擢真は全体的に色素の薄く、見た目だけで判断するならば弱そうな印象を持たせるが、――あまり関連はないかもしれないが――足が速い。
陸上部に入るのが嫌だという理由で、現在美術部に在籍しているが、きちんと活動に参加しているなかなかマジメな部員である。
「あれ? 岡本は?」
岡本…こと、岡本日奈はこの間輝が一緒にショッピングをした友人だ。
大抵この輝、響、擢真、日奈で一緒にいることが多い。
「そう言えば、見てないな」
「アタシも見てないや」
大体この四人の中で一番遅くに到着するのは擢真なのだが。今日は、日奈がまだ来ていない。
小さく「珍しいな」と呟いた擢真の後ろから「何が?」と声がした。
想定外だった擢真は「うをぅっ!!!」と妙な声をあげる。
「…擢真、そんなに驚かなくてもいいじゃない…」
「あ、ひー。おはよーさん」
擢真の様子に笑いを噛みころす努力をしつつも、結局のところは笑ってしまっている響が日奈に応じる。響は日奈のことを『ひー』と呼んでいた。
響に「おはよう」と応じる日奈を見て、輝はちょっと安心してしまった。
「日奈」
朝一番に、日奈に…響から告白されたことを報告しようと思っていたのだが、肝心な日奈の姿が見えなかったのだ。
…本当は告白されたその日にでも報告してしまいたかったのだが、日奈は何かと忙しいらしく、長電話も出来なかったし会うこともできなかった。
「そういや、岡本。俺より来るのが遅いなんて珍しいな」
擢真の言葉に日奈は一度パチクリと瞬きをした。
「学校に来るのが…ってこと? 来るだけなら来てたよ。図書室に行ってたけど」
「あぁ、それで姿が見えなかったのか」
響がフムフムと頷く。
「そういえば、着替えないの?」
日奈は三人に問いかけた。
この公立北川高校は行事制服制という高校だ。
『行事』というのは例えば終業式だったり、卒業式だったり。
それ以外の普通の日は私服で構わないのだが、今日は始業式である。
今は日奈を含め四人とも制服ではなく、私服のままだった。
「制服…めんどいな」
擢真は小さく呟いた。
ちなみに北川高校の制服は女子がブレザー、男子が学ランである。
「確かに。学ランって首が苦しいんだよなぁ」
響も擢真に同意を示す。「まだまだ暑ぃし」ともぼやいた。
まだ学ランを着ないで、ワイシャツだけでもいいのだが。
「でも、一応決まりなんだからさ。着替えようよ」
輝は言った。
輝はその容姿に似合わず、決まりごとややらねばならないことはしっかりやろうよ、という少女である。
輝の言葉に響は一度ゆっくりと瞬きをして、「そうだな」と笑った。
「ってなワケで、更衣室にレッツゴー」
輝はそう言って日奈をズルズルと引っ張る。
朝一番とまではいかなくても、とにかく早く、日奈に報告したかった。
「…あのね、」
更衣室に到着すると、輝は日奈の耳元で囁いた。
「榊原に告白された…?」
日奈の呟く言葉に、輝は「しーっ!」と口の前に指を立てる。
――だが。
「そうか」
輝の報告を受けた日奈の反応は、案外素っ気なかった。
「そうか…って…日奈、冷たい…」
「だって、なんとなくそうじゃないかなーとは思っていたから」
ワイシャツを着て、ブレザーを羽織りながら日奈は呟く。
「…え?」
「単なるカンだったけど。当たってたみたいね」
…しばし、頭の中が真っ白になった。
動きの止まった輝に、日奈は「輝?」と声をかける。
たっぷりの間を置いて、輝は口を開いた。
「気付いてたの〜?」
そう言った声が、多少大きくなってしまった。その程度に衝撃を受けたのだ。
「だから、単なるカンだったってば」
日奈は着替えないの? と言いながら襟を直す。
「で? 付き合うの?」
「つきあ…う…って…」
日奈にそう言われて、再び巡る響の言葉。
『輝のことが好きなんだ』
――あの日から何度も巡る、響の言葉。
『好きなんだ』
……響の……。
(――あれ?)
「…好き…?」
輝は思わず、呟きをもらした。
その呟きに日奈は首を傾げる。輝はそんな日奈の様子に気付かず、ゆっくりと瞬きを繰り返した。
響は自分を、好きだと言った。
――でも。
(付き合おう、とは言わなかったよねぇ?)
そう思って。…それに、気付いて、輝はしばらく呆然としてしまう。
「…始業式に遅れるよ」
「あ゛っ」
日奈の言葉に慌てて着替えを始めた。
◇ ◇ ◇
始業式、大掃除が終わり、ロングホームルームも終わる。
…なんだかんだで放課後になってしまった。
――まぁ、今日はもともと通常より早く終わる予定だったのだが。
「輝、帰るか?」
響はそう、輝に問いかけた。
「……」
じっと、輝は一点を見つめている。
「――輝?」
響の呼びかけは聞こえているが、耳の右から左に通り抜けている状態である。
「きーらっ」
そんな言葉と同時に輝の目前に、自分のものよりも大きな手のひらが出現した。
「うわっ」
驚いた輝に「そんなにビビるなよ」と、響は少し笑った。
「え? あ、うん。ごめん。何?」
「輝はもう、帰るか? 帰るんならチャリに乗せてくぞ」
響は自転車で通学している。輝は、大抵徒歩なのだ…正しく言えば響の自転車に二人乗りしてくるのだが…。
「あ、今日は…いいや」
意識しすぎかな、と思う。
――しかし、自分が単なる幼馴染みだと思っていた相手だ。
その相手が自分に恋愛感情を抱いていたとなると…やっぱり、意識してしまうではないか。
「そっか。じゃ、また明日な」
響はそう言って教室を出ていった。
…輝の中に妙な思いが込み上げた。
(――諦めが早いな…)
…そんな、思いが。
響の誘いを断った輝だが、学校に用事はない。
日奈は帰ってしまった。擢真は美術部があるとかで、既に教室にはいない。
他の友人も、ほとんど帰ってしまった。
(…帰るか)
輝は立ち上がる。昇降口に向かい、靴を履き替えた。
…と、その時。
「篠岡!」
名を呼ばれて、輝は振り返った。
――顔は知っているが、名前は知らない。
確か、一つ年上の先輩だったと思ったが。
「はい?」
輝は首を傾げる。
「俺、千場啓二っつーんだけど」
(チバ…?)
委員会か何かで一緒だっただろうか?
そんなことを考えていた輝に、千場啓二は勢いよく言った。
「俺と付き合わない?!」
……。
輝は今、付き合っている人が…彼氏がいなくて。
――別に、好きな人もいなくて。
…断る理由など、特になかった。
だが。
『輝のことが好きなんだ』
響の言葉が思い出されて、「いいですよ」と言おうとした声が、のどに引っかかった。
…言葉にならない。
千場啓二は、輝の表情の変化を少しも見逃すまいと、じっと凝視している。
「……」
輝は、口を開いた。
――声が、うまく出ない。
「――…さい…」
輝は、小さな声で呟いた。