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3、久々の…

 コンコン
 …コン

 窓の方から、そんな音がする。
(……)
 何だろう? なんてことは思わなかった。
 ――それは、合図。小さい時からの…幼馴染みである隣人からの、合図。
 輝はちょっとだけ迷ったが、「何を迷う必要がある」と自らに言い聞かせ、合図のあった壁側の窓を開けた。
「何?」
 顔を覗かせる。
 ――隣の屋根の上に、一人が立っていた。
 それは…もちろん。
「あ…ちょっと、時間いいか?」
 …榊原響――輝の幼馴染みだった。
 屋根伝いに行けば、互いの家に…互いの部屋に入り込むことができる。
 二人の家の間…屋根の間は、多く見ても足の歩幅程度しか離れていないのだ。
 窓を開けたところで互いの家の壁でしかないのだが、体が成長した今では、少し頑張れば、家の中からでも窓の傍の壁をノックする、ということが出来た。
 輝のもう一人の幼馴染み…奏からこうやって呼び出されることはほとんどない。
「いいよ。こっち来る? そっち行く?」
 輝の問いかけに、響は部屋の家を示しながら「こっち、茶ならあるけど」と応じた。
「じゃあ…久々にお邪魔するよ」
 輝の言葉に響は「久々か?」と誰ともなく問いかけ、「久々か」と一人納得するように頷くと響の家の屋根に行こうとする輝に手を差し出す。
 輝はまた、一瞬躊躇したが、手を伸ばし、差し出された響の手に捕まった。

「わりぃな。突然」
 言いながら響は窓から自分の部屋に入った。
 部屋に入ると再度、輝を手助けする。
「いいよ」
 響に応じながら、輝はなんとなく響の部屋を見渡した。和室で…しかも八畳はあろうかというナカナカ広い部屋である。
 勉強机はないが、部屋の中央より襖寄り(隣は響の妹である奏の部屋がある)に、冬はコタツに変化する木製の机がある。
 その机の上には響の言った通り、お茶…ガラスのコップに入っている、麦茶が用意されていた。
 部屋には扇風機が置いてあったが、響は回さずに窓を開けっ放しにする。
心地よい風が部屋の中に入り込んだ。
「ところで、何?」
 輝は机の周りの座布団の一つに適当に座った。
「あ〜…あのさ」
 響は輝の正面に腰を落ち着けると、しばらく言葉を濁し…意を決したかのようにして、口を開いた。

「輝…あんま、意識するなよ」
「――え?」
 輝は響の言葉に数度、瞬きをした。
 輝の目に不思議な…なんと表現すればよいかわからない…表情の響が映る。

「なんか、オレのこと微妙に避けてるだろ、輝」
 続いた言葉に輝は思わず「う」と声をあげた。
(――バレてたか…)
 応じず、輝は思わずちょっと俯いた。
「今まで通りでいいんだよ。――輝が気にすることはない」
 俯いた輝の耳に、そんな響の声が届く。
 …ふと、響の言葉に引っかかりを感じた。

 ――自分が気にすることはない?

(…どんな意味だろう…)
 そんな輝の戸惑いのような思考に気付かないまま、響は言葉を続ける。

「お前に避けられるのは、結構辛いわ。だから、さ。今まで通り、接してくれよ」
 輝の頭には響の『輝が気にすることはない』という言葉が巡る。
 しばらくしてやっと、輝は「うん」と応じた。
「…」
「……」
 そして、互いに無言になってしまう。

 何か喋らなければ、と輝は考える。――今日、告白されたことを思い出した。
「今日ね」
「おう」
 輝が口を開いたことに安堵したのか、響の顔にほっとしたような表情が広がる。
 その表情に輝もまた、なんとなくホッとして、言葉を続けた。
「チバ…って人に、付き合おうって言われた」
 輝の報告に、響がゆるゆると瞬く。
「…」
「……」
 …またもや、広がる沈黙。
(あ…)
 マズったかな、と思った。
 ――と、いうか。
 自分のことを「好きだ」と言った人の前でこんなことを言うのはもしかしてスゴクいけないことだったのでは? と輝は今更ながら考えてしまう。
 つい、いつもの調子で響に報告してしまった。
「――あ」
 何か違うことを言わなくては、と輝は口を開こうとした。――だが。
「そっか」
 …その前に、響が口を開いた。

(…え?)
 今…なんと?
「チバ、なんて人?」
 輝の中に何か、感情が巡る。
 その感情が『何』かは分からないまま、輝は応じた。
「――チバケイジ。顔は見たことある人…」
「ふーん」
(…あれ?)
 輝の胸の中に、妙な感情ものが渦巻く。
「オレは…知らねぇな。…多分」
 考えるような表情の響を輝はぼんやりと見つめた。
(――ねぇ、)
 輝は心中で響に問いかける。…本当は口にしようと思っているのだが、うまく声にならない。

「で? 付き合うの?」
 …変わらない、響。
 自分を好きだ、と――そう、言った前と…なんら、言うことが変わらない響。
 そしていつもの自分だったら言うのだ。『付き合うよ』と。
 …だが、今回は…断ったのだ。
 ごめんなさい、と。
 千場に『付き合おう』と言われたときに――なぜか、響の顔が思い出されて。
「――付き合わないよ」
 輝の言葉に、響はゆっくりと瞬いた。
 輝は俯いていて、その表情に気付かない。

(…なんで? アタシのこと、好きなんでしょ?)
 どうして変わらないんだろう?
「…アタシ…帰るわ」
 「明日の数学が当たりそうだから」と輝は立ち上がり、窓に足をかけた。
「え? あ、そう。大丈夫か?」
 窓の外…屋根の上に立つ輝に、響は手を貸そうとした。
「じゃ、オヤスミ」
 輝はその手を取ることなく、自分の部屋に向かう。
 家の間を風が吹きぬけた。
 輝は自分の部屋に戻ると勢いよくカーテンを閉め、…教科書は開かず、ベッドにうつ伏せた。
(ナニ? 響はアタシが誰と付き合おうが、興味ないわけ?)
 アタシのこと、好きだって言ったのに…。

『そっか…で、付き合うの?』
 ――全然興味のなさそうな、響の言葉を思い出す。
 胸のうちの感情ものが、なんだかわからなかった。

(アタシのこと「好き」って言ったのに…)
 感情が渦巻いている。
 ――グルグルと、グルグルと。

 
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