朝のショートホームルームの始まる前。
――まだ、開いたばかりの図書室。
「…で?」
日奈は、輝にそう言った。
――響の部屋に行き、自分が『付き合おう』と言われたことを報告した翌日。
…今日も響を避けるように学校に来た輝である。
「…で…って?」
輝は――特に読みたいなどとは思わなかったが――『風の道標』という本を手に取り、表紙を眺める。
日奈は『月影の蝶』という本を手に取り、パラパラとページをめくった。
「いや、仲直り…というかはしていないの? 榊原と」
そんな日奈の声に輝は無言で応じた。
「――その調子じゃ、してないみたいね…」
なんだかんだでその『月影の蝶』という小説を借りることにしたらしく、日奈は小説に入っていたカードを取り出し、記入した。
「だって…さぁ…」
仲直りも何も…。
輝はそう、口の中だけでモゴモゴと呟く。
「――で?」
日奈は再度、そう輝に問いかけた。
「――で…って?」
日奈は図書室の奥のほうに足を進めた。輝も、そんな日奈の後に続く。
椅子を引き、日奈は腰掛けた。輝も倣って、日奈の横に腰を下ろす。
「あたしに何か言いたいことでもあるんじゃないの?」
「…言いたいこと…」
図書室の中には、輝と日奈、そしてカウンターに図書委員が一人いるだけである。
窓からはさんさんと陽光が差し込んでいる。
――九月上旬。
朝だからまだいいが、昼間だったらこの陽光はまだツライだろう。
「…言いたいこと…」
輝は再度同じことを呟いた。
昨夜輝の胸のうちを覆った、もやもやとしたもの。――妙な感情。
それは一体、なんなのか。
「――あのね…」
輝は、口を開く。
胸のうちの感情を全て流しだすように、輝はとにかく、語った。
「…ふーん…」
輝が喋るのをやめると、日奈は小さくそう、声を漏らした。
「どう思う?」
日奈はゆっくりと瞬きをする。そして今度は小さく「うーん」と声を漏らした。
日奈の口から何が語られるのかと、輝の視線は日奈に集中する。
どこかで「日奈ってやっぱり美人だな」と、関係ないことを思った。
「…輝、率直なことを言っていい?」
「う、うん――あ、ちょっと待って」
…日奈の『率直』は、本当に率直である。輝は一度深呼吸をして、覚悟を決めた。
「どーぞ」
輝の言葉に日奈は口を開いた。
「輝の話を聞いてると、輝は榊原に嫉妬してほしいみたいに聞こえる」
「………えぇっ?!」
輝は思わず大声で叫んでしまった。
日奈は「しーっ」と人差し指を自分の口元にあてた。
――いつの間に来ていた他の図書室利用者がチラチラと輝の様子を盗み見る。
輝がそれ以上何も言わずにいると、輝を見つめていた日奈の視線は外された。
「アタシが、響に嫉妬してほしい?」
コソコソと小さな声で輝は呟く。
日奈は輝の言葉に「…ように聞こえる」と付け足した。
「なんで?!」
輝は日奈にそう、問いかける。
「いや、それは自分に訊いて?」
輝は机に肘をつき、自分のこめかみを覆った。
「…アタシが、響に嫉妬してほしい…? えぇ…?」
輝は考えたが、その答えになるような考えは一向に出てこない。
「日奈、アタシわかんない!」
「あたしだってわからないわよ」
日奈のサラッとした発言に輝は「日奈が冷たい…」とこめかみを覆っていた手で目元を覆った。
「ま、考えてあげなさいよ。榊原が輝を想ってる時間は結構長そうだし…ね」
その日、輝の頭には授業の内容がまともに入ってこなかった。
輝は休み時間の度に日奈に意見を求め、助けを求めたけれど…日奈は輝に「頑張って考えな」と言うほかには、特に何も言わなかった。
◇ ◇ ◇
「響」
輝は、思い切って幼馴染みに…響に声をかけた。
帰る用意をしていた響はゆっくりと瞬いて輝を見ると、満面の笑みを浮かべた。
「なんだ?」
そんな響の笑顔を見て、輝は「響はこんな顔をしていただろうか」なんてことを思う。…近くて、いつも傍にいたから。見えるものも見えなかったのだろうか。
「じゃーなー榊原、篠岡」
そんな二人の横を、擢真は颯爽と歩いていく。
「バイバイたっちゃん」
「明日な、片桐」
二人はそんな擢真にそれぞれ言葉を返す。
擢真はショートホームルームが終了すると、早々に部活に行くのだ。
文化祭が近いということもあってか、夏休み前よりも忙しそうにしている擢真である。
「…あ、ところで。ちょっと話したい」
しばらく擢真の後ろ姿を見送っていた二人だが、輝はそう、響に切り出した。
響は輝の言葉に再度ゆっくりと瞬きをする。
「今? ここで?」
切り返しに輝は少々、言葉を詰まらせた。…ちょっと、ここで話せる度胸はない。
――響以外の誰かが相手だったら、もしかしたらここで話していたかもしれないけれど。
「う…うーん、家に帰ってからでも…っていうか、家に帰ってからがいいんだけど…今日、何か用事ある?」
「いや? 特にはないはずだけど」
ちょっと首を傾げて、響は応じた。
「じゃあ…また、お邪魔していいかな?」
響の答えにそう問いかけると「いつ頃来る?」と響は問い返してくる。
輝は「うーん」と小さく唸った。
――なぜだろう、響の顔がまともに見ることができない。
「今日、そのまま…寄っていい?」
「じゃあ、今日は玄関から来るのな」
響は微かに笑って言った。
「じゃあ、チャリに乗ってくだろ? もう、帰る用意はしてあるのか?」
「あ、まだだけど」
響はそれを聞くと、机に座った。
「じゃ、待ってるよ。準備しちゃうならしちゃって、早く帰ろーぜ」
響はまた、笑みを浮かべた。
輝は響から視線を外しながら、再度思う。響はこんな…優しい表情をしていただろうか、と。
「バイバイ、日奈」
帰る準備を済ませた輝の声に、日奈は視線を上げた。
一度机に座っている響をチラリと見つめ、輝に耳打ちする。
「一緒に帰るの?」
「うん、ちょっと…話してみようと思って」
「もう一度、ちゃんと」と輝は続ける。
「…今朝のは解決したの?」
日奈の発言に輝の息は一瞬止まった。
日奈が言っているのは図書室での話だろう。
――なぜ自分が、響に嫉妬してほしいのか?
…いまだ、その答えは得られずにいる。
「う…うぅん…」
その言葉に日奈は輝の頭をポンポンと軽く叩いた。
「ま――頑張りな」
じゃあね、と日奈は言い、視線を輝から外した。
「準備できたか? 帰るなら帰ろーぜ」
そこに、会話のネタとなっていた響が歩み寄った。
輝の鼓動がわずかに速まる。
「…う、ん。帰ろうか」
「じゃな、ひー」
響が日奈に言うと日奈は「じゃあね」と一度輝に目配りをする。
二人に手を振った。