「ただいま〜」
「お邪魔します」
…とは言っても。
「まだ誰も帰ってきてないみたいだな…」
響の発言に輝はドキリとしてしまう。
――と…。
「…あれ? 奏は?」
思いついて、輝は問いかけた。
奏とは、中学二年生の響の妹だ。当然輝の幼馴染みでもある。
この時間…とは言っても、まだ五時半を少し過ぎた頃だが…、特に部活もやっていない(と思われる)奏は帰ってきていてもいいと思うが。
輝の問いかけに靴を脱いだ響は「さぁ?」とあっさり応じる。
「委員会かなんかじゃねーの? この頃帰ってくるのは六時頃だよ」
「ふ、ふ〜ん」
もたもたと靴を脱ぐ輝の微妙な心境に気付いたのか、響は苦笑した。
「そんなに身構えてくれるなよ。大丈夫だから」
う゛、と声をあげた輝に響はククク、と笑った。
「オレの部屋、わかるよな? 先行っていいよ。何か持ってくから」
響はそう言うとちゃっちゃと居間のほうに行ってしまった。
「……」
輝はしばらく考えた後、響の部屋へと続く、階段を上った。
(相変わらずキレイだなぁ)
…とは言っても、前にこの部屋に入ったのは昨夜のことなのだが。
ふと、本棚に目が止まった。
五段ある本棚の、上四段はマンガ本で埋まっており、一番下の段には何か、厚いもの…アルバムや、卒業文集が置いてある。
(あ、なつかしー。…って、アタシ、こーゆーのドコにやったっけ?)
見ちゃってもいいかな、と輝は小学校の卒業文集を手に取る。
自分のページを見て、輝は苦笑した。
(汚い字だなぁ…)
当時とすれば、ずいぶん頑張って書いたつもりだったが。
しばらく眺めてから前に戻って響のページを開いた。
幼馴染みで、ずっとクラスメイトで…名前が『篠岡』と『榊原』の為、名簿番号もいつも近かった。腐れ縁としか言いようがないのかもしれないが…ずっと、一緒にいた。
(うわー…変わってないけど、変わったなぁ)
それぞれのページには顔写真も一緒に載っているのだ。
文集のそれぞれのページに載っているのは白黒写真だったが、一目見て響とわかる。
くりっとした瞳は健在だし、映っている笑い方も変わらない。
…だけど、今は、この写真のような幼さはほとんど無い。
輝はもう一度、響の顔写真を見つめた。
(笑い方…)
輝は瞬きをした。
その写真は、教室で見た優しい笑みとは違う笑顔だった。
――よく見る、笑顔。
と、突然。
「なーにやってんだ?」
「ぅわっ!!」
文集…写真に集中してしまっていた輝は驚きの声をあげる。
そんな輝に「そんなにビビるなよ」と、響は笑った。そして輝の手元の文集を見て、一瞬焦ったような表情を浮かべる。
「うわっ! 何見てんだ?!」
驚いてやや心臓がうるさくなっていた輝だったが、焦ったような様子の響に、なんとなく落ち着きを取り戻す。
「え? 卒業文集…」
輝の答えに「って、わかってるけど」と、響は頭を掻く。
「…なかなか、汚ねぇな。オレの字」
輝の眺めていた文集を覗きこみつつ呟いた。「別に今だってキレイじゃないけど」とも響は続ける。
そんな響の言葉に輝は笑ってしまった。…響の前で普通に笑ったのなんで、告白されてから初めてかもしれなかった。
「で?」
机の上に麦茶とお菓子を置き、響は切り出した。笑ってしまっていた輝は「ん?」と響を見上げる。
響は輝の向かい側に座った。
「…なんだ、話ってのは?」
――あぁ、そういえば…話すために響の家に来たのだった、と。
輝は…今更ながら…そのことを思い出し、数度瞬きをする。
一度息を吸い、吐き出す。――覚悟を決めた。
「響、正直に答えてほしいんだけど」
輝の言葉に、今度は響が「ん?」と首を傾げる。
「アタシのこと…好き?」
「…っ?!」
輝の問いかけは、よほど響の予想外の言葉だったらしい。
口に含んだ…飲もうとした麦茶をふきだしそうになり、むせた。
一度落ち着くと「いや、まぁ…そう言ったよな」と、響は口を覆いながら呟く。
言ってからまた、数度むせた。
輝自身が若干緊張していたため、むせる響に「大丈夫?」と声をかけることができないまま、続ける。
「じゃあさ、アタシが誰と付き合おうが興味ない?」
「――は?」
それもまた予想外な言葉だったらしく、響は瞳を丸くした。
輝はじっと、響を見つめる。
何か言おうと口を開きかけた響だったが、じっと見つめる輝の視線に耐え切れなくなったのか、一度視線を外す。
けれど…浅く息を吐き出すと、口を開いた。
「なんで、そんなこと訊こうと思う?」
…そう言って、輝を見据えた。
「――え?」
まさか、訊き返されるとは思わなかった。
いつもより、声のトーンが低いように思える。それから…心なしか、響の眼光が鋭いような…。
「そんなに、オレの告白は冗談にとれたか?」
そこまで言うと、響はフーッと、大きなため息をついた。
「え? あの…響?」
輝の呼びかけに応じず、響は両手で目元を覆った。
「冗談…なんて思ってないよ?」
輝は言った。――目元を覆ったから、泣くかと思ったのだ。
「そりゃま、ビックリしたけど!」
輝は言葉を続ける。――響は目元を覆う手をどかさない。
「だけど…響、アタシのこと好きって言ってくれたけど…」
ふと、輝は言葉に詰まらせた。そのまま、視線を落とす。
沈黙に、響は目元を覆う手をどかした。
俯いた輝と、輝を見る響。――視線が合うことは、ない。
「昨日…アタシが告られたコト聞いても、いつもと変わりなかったし…」
輝はそう言いながら、『自分がどうして響に嫉妬してほしいのか』と、その理由がいまだにわからないなぁ、なんて思った。
響はそんな輝の言葉に、目を丸くする。
――そのことに、俯いている輝は気付かなかったが。
「それに…響は『付き合おう』とは言わなかった…よね?」
俯いたままぽそぽそ言っていた輝は、そこで言葉を止める。
…しばらくの沈黙がその場を支配した。
「――言わなかった…なぁ…」
響が口を開き、沈黙を破った。
やや感嘆のこもった響の声を、輝は未だ俯いたまま聞く。
「でも、『付き合おう』っつったら、他のヤツ等と同じじゃん」
輝は届いた響の言葉に思わず顔を上げた。
「…へ?」
――妙な声付きである。
「同じだったら意味ない、って…思ったんだよ」
輝は響の顔を見る。目が合うと、響はニッと笑った。
「…そうなの?」
「そーだよ」
それに、と響は続ける。
「いつもと変わらないのは、当然だよ。いつも、表情に出さないように頑張ってるし」
響はあっけらかんと「まぁ、ある種の慣れ?」と言った。
「…慣れ?」
聞き返す輝に、響は「そう」と応じる。
「だから、頭ん中はスゴイぜ? もう、グルングルン」
言いながら響は右の人差し指を空に向け、ぐるぐると回す。
「…――」
――それは、つまり…響は、胸のうちで感情が渦巻いていた、ということだろうか。
そう思ったら…なんだか。
輝は、「響は輝のことが好きなのかぁ」なんて改めて思ってしまった。
突然響は「あ、」と言って、視線を一点に集中させた。
「え?」
響の様子に思わず首を傾げた輝に「髪にゴミ」と言って、響は立ち上がる。
「あ、ドコ?」
輝は響の伸ばした腕のほうに、自らの腕を伸ばした。
「なーんて、ウソ」
「へ?」
…そう言っている間に、輝の手は――響に捕らわれた。
掴まれた手に…触れる響の熱に、輝はぎょっとする。
「――オレ、期待していいのか?」
その問いかけに、輝は言葉に詰まらせた。
「…なぁ、輝」
真っ直ぐな視線と、呼びかけと。
よく知っている相手なのに…ずっと一緒にいた幼馴染みだというのに輝は、固まってしまう。ドキドキと、妙に鼓動がウルサイ。
「オレ、さ。…輝のこと好きなんだよ」
――今まで、何人かと付き合ってきた。
でも。
「――輝に触れることを許される、唯一の男になりたいんだよ」
響はそう言うとそっと、輝の手を握る力を強める。
「…『唯一』でありたいんだ」
…今まで、こんなことを言う男がいただろうか。
二人の視線が、ぶつかる。
「――…っ」
頭に血が上ったのは、輝のほうだった。